恋愛モラトリアム
最初から恋をしていた。
それはもう、一目惚れだった。
.........なんてことはねェ。
絶対。最初は敵意しかなかった。ムカついてしょうがなかった。
おれがオヤジに盾突いて寝首を狩ろうとしているのを傍観決め込んで傷の手当だけをするオンナだったんだ。何も言わず淡々と、坦々と作業のように傷口に消毒してくだけのオンナが、ベレッタさんだった。
「.........あの、野郎っ」
「今は動かないで。少なくとも包帯するまでね」
ナースじゃねェのは明らかだった。だけど戦闘員にも見えなかった。
いや、腰に備わっているのは短銃で背中にあるのは剣だ。明らかに戦闘員だってのはすぐに気付いたが仕掛ける気にならなかったのは手当をしてくれる手が綺麗だと思ったから。
「なァ、」
「何?」
「あいつの弱点ねェの?」
「ふふ、そんなのあったら私が知りたいわ」
最初の会話はこんなもんで、その時は何の感情もなく何も想うものも無かった。
「アンタがあいつの弱点になったりしねェか?」
だから最初は利用しようともしたし、何だったら人質にしてやってもいいくらいの感情すらあった。
「しないわ。私は確かに"娘"だけどパパの弱点になるほどのものでもないし」
「.........娘?」
「そうよ。けど誤解しないで。此処に居る皆がパパの子供たち。血の繋がりはないわ」
淡々と、坦々と。ただおれの傍に居るオンナは投げ掛ける言葉を聞き逃すことはなく、真面目にも返事を返し続けた。おれの相手をしてくれた。それに何の意味があるんだ?と問い掛けたこともある。すると、「今の仕事はアナタの傍に寄り添うこと。逆にその質問に何か意味はあるの?」と言われる始末。
食えねェオンナで、それでも仕掛ける気にはならなかった。
長い間、オンナを名前で呼ぶことをしなかった。
別にそこに意味はなく、相手はおれのことをエースと呼んだが特に気にもならなかった。おれ自身は呼ばれても返事をしないことも多々あったが、それでもオンナは根気よく呼び続けた。
「座って、エース」
「.........」
「無視しないの。ほら座って。背が高いから手が届かないのよ」
おれが指示に従うまで淡々と、坦々と、根気よく声を掛け続けるから従って来た。指示に従えば「有難う」と必ず言ってたが、大事なパパの首を狙うヤツに何故礼など言うのか...分からなかった。
「.........っ」
「あ、ごめん。思ったより傷が深かったのね」
「.........アンタさァ、」
「三番隊所属のベレッタよ」
あまり顔を見ることをしなかったおれが、初めてオンナの顔をガン見した日。
御世辞でもすっげェ美人ってわけでもなかったオンナは、穏やかな表情を浮かべていたのを覚えている。それも月明かりの下、さっさと寝てェだろうに...やっぱおれの傷の手当てをしてくれていた。
「名前なんてどうでもいい」
「名前は大事よ。それにエースだってイイ名前」
聞いてもねェのに話し出したのは...おれの名前について。
一番、主力...「第一人者」の意味を持つというおれの名前をオンナは好きだと言った。
「その名と自分自身だけが正真正銘、個人所有物なのよ。だから大事にしないと」
「.........意味分かんねェ」
おれは、おれごと全てが憎い時があった。
だから自分は傷付いても構わなかったし、おれが大事なものだけ生きてりゃ良かったし、いつだって自分自身を大事に思うことはなかった。
「自分を大事に出来ない人は強くならないわよ」
「.........あいつがそう言ったのか?」
「ううん。私の父。本当のね」
その時は適当に聞き流した。返事もしてねェ。
オンナの両親が荒れる時代によってすでに命を奪われた人の一人だった、なんて気付きもしなかった。
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