#04
奴隷ってのは人じゃねえんだ。
使用人、召使い、給仕...そういうのはあくまで"人"だけど、俺らはそうじゃない。"人"じゃない、家畜以下の存在で所有物にも属さない。価値のない石ころと同じ。ただ、生きてて、死なないために働ける生き物...それが俺ら"奴隷"だった。
馬車馬のように働け?んな優しいものじゃない。馬は可愛がられるだろ?俺らはそんなものはない。ほんの少しの餌を与えられ、強烈な痛みを与えられ、ただただ恐怖を刷り込まれて生きた。それは簡単に拭えるものじゃない。きっと、俺みたいな気丈なヤツですら一生付き纏うものだ。
解放されて10年、それでも俺は時々夢に見る。
目の前で殺された人、自ら命を断つ人、投げ捨てられてく遺体、半ば狂っていく人の様...そんな中でも喜々として生きてる天竜人。それはあの場に居ない人たちには想像出来ないと思う。今日はアイツが死んだが明日は我が身、もう、言葉すら発せられない空間はどんどん俺らを狂わせた。
その中でも特にオンナはどんどん狂ってく。若ければ若いほど...自我を失って狂う人が多かった。なんでか分かるか?
――性奴隷、だ。
見てくれだけ良ければ男女は問わなかった。アイツらは穴があれば何でもいいんだからな。それでも特にオンナは狂っていく。そりゃそうだ。下手したら"そうなる"かもしれねえんだから...そう、あんな薄汚ねえ野郎の、なんぞ誰が......とはいえ、その時点で間違いなく殺された。だから狂った。
狂って、狂って、狂って狂って、狂い、果てた。
正気を保てるはずがなかった。この俺ですら、狂う寸前まで追い詰められた。
「.........もう理解出来た、な」
「セト...」
「だから何も言えなかった。応えてやることが出来ないんだ」
それは、セトがあの日に告げなかったこと。
告げる必要のなかったこと?いいや、もしかしたらおれ以外のヤツは何となく認識してたかもしれねェ出来事。そうだ。アイツらは...腐ってるんだ。
「これが、俺だ」
徐に服に手を掛けたかと思えばパサッと服が床に落ちた。そして...解けた包帯、見せられた背中。
全面にある傷、切り傷だけじゃない火傷みたいなものもある。特に腰は...抉られたようになって変色しきってる。それはまるで...でかい蜘蛛が全面に張り付いてるみたいだった。このおれでも目を背けたくなるくらいの傷...いや、傷なんて表現じゃ済まないくらい...酷い。
「よく...見ろ」
セトが...今度は正面を向いた。
白い...白い肌のはずなのに、それなりに豊満な胸なのに、釘付けになったのは十字に刻まれた大きな傷。切り傷じゃなく爛れていたと思われる傷は修復しようと努力だけはしていたらしく、でもそれだけの年月が経ってしまった所為でその努力がまた酷く痛々しいものになってしまっていた。
「.........っ」
「火傷だ。火で炙られたんだ。10年も経てば...治ると思ってた」
「.........火で、」
10歳かそこらで付けられた傷。
自分で負った怪我ならいくらでも我慢出来る、いくらでも痛いと喚ける。けど、
「此処まで来ると本当にキズモノだ。どんなに着飾っても同じ。装飾がなくなればこんなもんだ」
セトはそうも出来なかった。それが、奴隷だと。
「服を、着ろ」
「ちゃんと見ろエース!これが、俺がお前に応えられない理由だ」
傷が...
心にも体にも付けられた傷がこんなにも痛々しいことを知らなかった。
「俺は今も...触れられることに抵抗がある。男は、恐怖だ。女で、居られないんじゃない。居たくない」
それを晒すことがまたどんなに痛いかなんて、おれには想像出来ない。
「分かったから服を着るんだ!」
けど、痛いことだけは分かる。本当は触れられたくないものなんだってことも分かる。だから今度はおれが目を背けて叫んだ。だけどセトが叫び返した。「このまま聞いてくれ!」と。だから、もう一度...セトに目を向けた。
射抜くような強烈な視線。
「それでも俺は女で...根本は変えられない。それを教えてくれたのが"此処"だ。仲間たちだ。
エース、お前が真っ直ぐでその気持ちも真っ直ぐなのは俺にも分かる。嬉しく思う。勿体ないくらいだ。そういうとこが好きだ。けどな、俺は...触れられると思い出すかもしれない。この姿で誰かに触られた瞬間、相手が誰であれ殺してしまうかもしれない。それぐらい出来るようになった。泣き叫ぶだけの子供じゃない、抵抗出来なかったあの時と違う。今は自由も与えられている。何をしてもいい。だから...例え相手がエースであっても殺すかもしれない。仲間なのに、それでも俺は殺してしまうかもしれない。だから、何も、言えなかった。嘘でも、嫌いと言ってやれれば良かったのに」
.........なァ、それって、
セトの悔む表情とは裏腹におれの動悸が速くなってく。そうだ、セトは嘘は吐かない。感情もハッキリしてて好き嫌いもきっぱりと言える。だからずっとおかしいと思ってたんだ。なんでおれにハッキリ言ってくれないんだろう、と。その答えが、見えた。
「.........おれが嫌いじゃないのか?」
「嫌いじゃない」
「迷惑、じゃねェのか?」
「迷惑じゃない。ただ、困りはした」
「おれが......好きなのか?」
「.........そうだな」
「それってシンとかエアとか...オヤジとかマルコとかとは違って、か?」
「.........多分、な」
嘘は吐けない、だから嫌いと言えなかった。でも自分が...と思うから好きとも言えずに応えることも出来なかった。それが、答え。
「だったら......おれの一方通行じゃねェんだな」
「多分、な」
「そっか」
セトは、おれ以上の大馬鹿野郎だ。
何も分かっちゃいねェ。おれは"セト"が好きで、好きで好きでたまんねェんだ。他に何もないんだ。
「だったらおれの選択肢はどっちかだな」
「え?」
「我慢するか、腹上死するか」
「なっ、」
そう、他には何もいらねェ。
欲しかったものは、大事に傍に置いておきたかったのはただ一人だけ。
「だっておれ、セトじゃねェと嫌なんだ。セトが好きで欲しいんだ。別のとかいらねェし」
「エース...」
「つーか、マジなんだよな?マジでおれのこと好きだって思ってんだよな?」
「た、ぶん...」
「そこが一番大事なとこだ」
「.........」
ここまで来て返事がないのは許さねェ。
「なァ、ちゃんと好きなんだよな?家族でも仲間でも友達でもねェ好きなんだよな?」
「.........」
「黙んな。認めろよ。違うんなら言えよ」
「.........好きだ」
――あァ、やっと聞けた。
「なァ、そういうのは二の次だ。おれは両想いであればいい」
ずっと一方通行、おれがこんなに好きなのに皆と同じ扱いだってのが一番気に入らなかった。
オヤジとあの二人は別としてもマルコと同じ、サッチと同じ、ディナたちと同じ、下手したらセトを慕う下っ端たちとも同じ...そんなの嫌だった。おれは特別になりたかった。おれが居ないとダメだっていうくらいの存在にずっとなりたかった。
「後はセトが自分から来るまで待つ」
他のヤツと違う何かで好きだっていうのは...そういうことだろ?おれは、そうなりたかった。
「おれだって嫌われんのは怖い。触れて拒絶されんのも怖い」
「.........エース」
「あ、けど、服着てたら抱き締めても平気だよな?キスも」
とか、本気に限りなく近い冗談を言ったところでセトの表情はまだ暗い。
そんな顔すんな。似合わねェどころかこっちが見てて痛くなるから。
「別に今はそれも出来なくてもいい。ヤんなくてもいい。まだ先はなげェし」
「ただ勃たなくなる前には来て欲しいけどな」と言ったらセトの表情が少しだけ砕けた。
あまり見たことのない表情で何処か優しい...そう、滅多に見られないオンナの顔。シンとエア、それからセトの故郷に眠る仲間たちにしか見せなかった表情。おれが、セトに初めて惹かれた時の、顔だ。
「.........馬鹿、だな、お前」
「馬鹿はお前だ。もっと前に話してれば悩まなくて済んだぞ。ほら、もう服着ろ」
近づいて落ちた服を拾って突き付ければ素直にそれは受け取られた。
気持ちを確認出来ればそれなりにこう、なァ、目の毒だし。フツーに抱きたくもなるし。
「.........この傷、気持ち悪くねえか?」
「傷に気持ち悪いも何もねェよ。大事なのはそこじゃない。おれはただセトに好かれたかっただけだ」
「.........弄ばれた体、だぞ」
「おれは愛すだけだ。まァ、触れなくても愛せるぞ」
体が先じゃねェんだ。心が先なんだ。
心が手に入った時に初めて抱きたいと思う。今はまだその心が追い付いていないのならおれが待てばいいだけの話だ。別に問題ない。ただ、ちょっとオカズにはなるかもしれねェけど、それはそれ。言わなくても問題ないだろ。
服に袖を通し始めたセトがその途中で大きな溜め息を吐いた。
「.........だったらやるよ」
「へ?」
「この体も心も...命ごと全部お前に」
「なっ、」
「お前が本気なら、やる」
射抜くような強烈な視線の中に見たセトの本気。
「まあ、いらなくてもお前に命を捧げよう。一度は捨てたもんだしな」
「.........捧げんな馬鹿」
一歩近づいてセトの頬に触れた。
もう一歩近づいて額と額をくっつけた。
更にもう一歩近づいた時、セトの腕がおれの背中に触れて.........唇が重なった。
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