ぼくの決意は君の覚悟に届かない
彼女の表情が少しずつ曇り始めた。それはいつからかは分からない。
最初に船に乗り込んだ日は強い眼差しで決意を感じ、生活に慣れるまではいつも張り詰めていた。
それが解除された時は周囲に可愛がられる存在となったはずなのに、今は誰が見ても不安定で心配になる存在となった。
「あれでもオンナだからなァ。色々あんだろ」とイゾウは言った。
「仕事は真面目なままだ。問題ない」とジョズは言った。
「女の子から女性に変わる瞬間でしょ。成長だよね」とハルタは言った。
「顔がちょっとおっかなくなったけどアイツはアイツだろ」とエースは言った。
まァ、確かにアイツはアイツで表情以外はいつも通りで何の文句もない。
女の子から女性に変わる過程ならそれもまたどうしようもない。というより、早くエースも大人になればいいと違うことを考えた。
ただ、何があってその過程に辿り着いたか、なんて...分かり切ってても分かりたくない自分がいたのもまた、事実。
別に悪くはねェんだ。そこは自由だからな。
ただそれが本当ならば分からないのが相手のことだけ。
おれらはオヤジが認めた家族だ。おれらは兄妹だ。下らねェヤツなら全力で止める義務がある。
ついで言わせてもらえばすでにそいつはおれらを敵に回しているも同然。アイツはもっと笑ってたんだ。それを見事に消しやがって。
そう、思ってたのに。
「胸倉、掴んだらごめんなさい」
最初はこの言葉の意味が分からなかった。
父親の話をしていたはずだ。彼女の父親は家族を置いて家を出て...彼女は問い詰めるためにこの船に乗った。
そのことについて話していたはずなのに何故おれに「ごめんなさい」と言ったのか分からなかった。
だけど、言うほどおれは...馬鹿では、いや、若くはない。
それなりに年を重ねて勘だって鈍いわけではない。ただのうぬぼれでなければ...
「有難う、ございました」
彼女は少し大人になった。
大人になって、また以前のように笑顔を見せるようになった。それはただただ可愛いだけの笑顔ではなくなった。
彼女の変化は瞬く間に広がった。
何かがふっ切れたんだろうと誰もが口にした。おれだけ、ザワザワした気持ちでその変化を見守った。
「いつか、言いたいこと言ってスッキリしようと思います」
その言葉がもし、父親だけでなくおれにも向けられていたとしたら、おれは何と返せばいいのか。
いや、もしかしたらおれの勘違いかもしれねェが...とにかく何もかもが分からねェ。ただ一つ、ザワつく気持ち以外は。
「追いすぎだ。情けねェぞマルコ」
「.........イゾウ」
「言うほど子供じゃねェよアイツ」
大きな変化がもたらしたのが...本当は何なのか、ザワつく気持ちが何なのか、おれ自身が気付かないわけがない。本当は。
だけど、そんな馬鹿げたことは、あっちゃいけねェんだ。少なくとも、おれの中では。
「.........いや、子供だよい」
「だったらそんな目で見てやんな。可哀想だ」
「"そんな目"って何だよい」
「"妹"を見る目じゃねェよ。誤解も期待もさせんな。違うならな」
彼女は..."妹"だ。おれらの可愛い"妹"であってそれ以上でもそれ以下でもない。
お前が彼女を見る目と何が違うってんだよイゾウ。少なくともおれは...同じ目で、見てるつもりだったよい。
「その目で見たきゃ、きっちり段階踏めよモラリスト」
.........誰が、モラリストだよい。
イゾウは、言いたいことだけ言っておれに背を向けた。そう、それでスッキリしやがったらしい。
残されたおれは...分かってた。分かってたからそれ以上言い返すことが出来なかった。そうだ、おれが認めちまったら可哀想だ。
オンナってのは成長が異様に早い。急に大人になっちまう。
全てを飛び越えてあっさりと、オトコは未だに子供のままで成長してるのかも分からねェってのに。
彼女もまた...同じだ。急に大人になっちまったから...おれは驚いてるだけだ。戸惑っているだけだ。そう、言い聞かせるしかない。
「.........ちょう」
じゃねェと...おれがおれでなくなるかもしれねェ。アイツも、アイツでなくなるかもしれねェ。
「.........隊長、」
分かってて、気付いてて自分自身が認めるわけにはいかねェ。だってアイツは、
「マルコ隊長!!」
「!?」
「やっと気付いた」
大事な、家族だから。
「イゾウ隊長から伝言受け取りました。ご用は何でしょう」
「.........は?」
「あれ?さっき聞いて来たんですが...」
.........どうしろって言うんだよい。お膳立てのつもりかい。
「あー......いや、イゾウの勘違いだねい」
「そうなんですか?てっきり深刻な顔をされていたから何か失敗があったのかと思いました」
もう、子供じゃない。イゾウの声が響いた気がした。
おれの方が遥かに年上で、向こうは成人したかしてないかの瀬戸際で...おれの方が長く生きてる。だからこそ見える先は、彼女にとって良くないんだ。
例え、彼女が...そういう目で見ていたとしても、おれは同じ目は出来ない。
「何か、悩んであるんですか?」
「.........いいや」
「そうですか?そんな風には見えませんが...」
おれの顔を覗き込んで心配そうにする彼女は、確かにもう子供の顔はしてない。
船に乗り込んだ時の強すぎる眼差しも決意も心の奥に閉じ込めて、仲間を思いやれるだけの大人になっちまったらしい。
「言いたいこと言ってスッキリした方がいいって言ったのは隊長です。何かあったなら解決させた方がいいですよ」
.........あァ、そうか。そんな風に、解決させたのか。
「そうだねい...そう教えたのはおれだったよい」
「はい。何か良く分かりませんが、皆が心配します」
「.........その言葉、こないだまでのベレッタに返すよい」
悶々と悩むではなく、その日が来た時にガツッと言えるだけの余裕を持っちまったらしい。
だったら...胸倉掴まれてブン殴られる前に、おれも、整理しておかなきゃいけねェってことか。この、どうしようもない感情を。
「こないだまで心配させてたのはベレッタだった。吹っ切れたのかい?」
「あー......はい。何とか」
「胸倉、掴まれんのはごめんだから......言うよい」
「.........え?」
怪訝そうな顔すんなよい。別に、おれはそんな顔をさせたくて吹っ切るつもりはねェ。
未だ整理途中、全てを認めるのは簡単なようで難しい。難しいのは...おれが下らないこと考えてる所為だとも分かってる。
「あー......おれも馬鹿じゃないんで気付いた。で、気付かされた」
「.........」
「イイか悪いか分からねェが、おれは...どうもベレッタが気になってる」
「え?」
「認めたいような、認めたくないような、その、な、」
うまく言葉がまとまらねェし出ても来ない。何やってんだおれは...
そんなことを考えてたら、いつの間にか俯いた彼女がボソリと何かを呟いて急に顔を上げた。その言葉は、再び復唱された。それこそ、胸倉を掴まれて。
「ちょっ、」
「私は!気になるどころか好きです!家族としてではありません!本当に!本気で!!」
「まっ、」
「イイとか悪いとかじゃなくて、どっちなんですか!気になってるって何ですか!」
あァ......おれが、全てはおれが中途半端で悪かった。
「急に大人になるから...意識しちまったおれが負けだねい」
悪かった。おれが認める。モラリストもついでに認める。拘っていたのは全て、おれだけだ。
「同じだよい。おれも、」
「それって......」
ジャケットを解放したベレッタが呆然とする中、何処かスッキリとした気持ちで彼女の頭を撫でた。
あの日とは違う、もっと違った感情を持って...おれはただ苦笑しながらその手で彼女の頬を撫でた。初めて、そんな目を理解した。
「後は、察してくれよい」
「さ、さっし、ません!!」
「.........その顔色からすると察してくれてるみたいだよい」
「なっ、」
「ゆっくりでいい......急速に進んでくれるな」
おれが、逆に追い付かなくなるから。
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