プチトマトの気持ち
バラティエの厨房は今日も大騒ぎだ。
出しても出してもまた新しい料理が出来て、引っ込めても引っ込めてもお皿はダイニングに残ってる。くるくる、くるくると忙しく動くのは嫌いじゃないけどまた新しいウエイターとかウエイトレスとかを入れて欲しい。特に私的にはウエイトレスが希望だけど...すでに50人は勧誘に失敗してる。だから新しく来たウエイターには優しくして欲しい。
少なくとも私がこの店で働くことになってから先にいたウエイター、ホスト、バスボーイの先輩方が15人は辞めた、それから10人くらい入って...2日前に全員辞めた。理由、この船に居たら命がいくつあっても足りないから。
オーナーはめちゃくちゃ強いし、シェフたちも強い、海賊との競り合いはしょっちゅうで下手したら海軍までも潰すレストランってどうなんだろう。とはいえ、普通の人だったらこの店は確実に沈んじゃってるだろうけど...
私が此処で働かされてる理由はとても情けないことにシェフたちによって海賊団が壊滅したから。壊滅して、仲間たちは逃げ出して..."店の備品の修繕費"のために働かされてる。生きて働くか、死んで藻屑になるかの選択肢で私は生きることを選んだ。
「ベレッター!5番テーブル持ってけコノヤロー!」
「野郎じゃないけどすぐ持ってきまーす」
「その後は8番にデザート運べよ!」
「了解しました!もう同じことは連呼しないで下さーい」
今、私が辞めず生きていられるのはきっと私が女だからだと思う。
私だけがこのレストランで唯一の女でオーナーの足蹴りの餌食になったことがない。乱闘に巻き込まれたこともない。刃物や銃を突き付けられたこともない。海に突き落とされたこともない。ただ変な客に絡まれたことはある。その時は...地獄を見た、客が。
「5番も"祝福"入りました!」
「めんどくせェな!!」
「面倒喜んで!さっさと速攻でお願いしまーす。8番行きまーす」
正直、最初は此処で働くことは屈辱でしかなかった。下っ端でも海賊は海賊、それなりに虚勢張ってやって来た。だけど、今となっては...こっちの方が性に合ってたのかもしれないと思い始めてるから不思議だ。
「1番と3番も"祝福"入りました!8番は"キッス"でーす」
「またかイカ野郎!鉛ブチ込んで来いベレッタ!」
「お断りしまーす。金あるお客様は神様です。文句言わずに作って下さーい」
で、今はこの店、期間限定でデザート祭りを開催している。
『バレンタイン・カップル限定、バラティエ特製スペシャルチョコデザート"天使の祝福"』と『女性限定、プレゼント用"天使のキッス"』を出して絶賛瀕死奮闘中だ。オーナーまで借り出してラッピング作業をしてる。この企画の考案者は勿論、私だけど...この胡散臭い名前を付けたのはカルネで、イメージ図を作ったのは私、内容を作ったのはパティとサンジだ。
「おおーいプチトマト、68から78までの分出来たぞ」
「お疲れ様でーす。番号札68から78までのお客様、お待たせしましたー」
海上レストランというのは凄い発想だけどやって来るのは大体同じような人ばかり。むさ苦しい、暑苦しい、うっとおしい、面倒臭い...それよりももっとこう、綺麗なものや可愛いものが見たくて企画して本当に良かった。ここ数日は本当に女の人も沢山来てくれてる。それだけでこの店もむさ苦しくなくて華やかに感じる。ただ、チョコ臭には飽きたけど。
「おーい、そろそろラストオーダーの時間じゃねェか?」
「あ、ほんとだ。ラスト行きまーす。最後まで面倒喜んで!」
「面倒喜んで!じゃねェよ。さっさとシメて来い」
「はーい、面倒喜んで!」
くるくる、くるくる回る。
やっぱり新しいウエイターとかウエイトレスとかを入れて欲しい。あ、でもラストオーダー後、1時間も経てば客は自然と消えるから今度はバスボーイとしての仕事が待ってる。ウエイターとかウエイトレスとかじゃなくてもいい、バスボーイでもいいから入れて欲しい。
「......ほらよ、茶だ」
ある程度の仕事を終えて2階の食堂でぐったりしてればパティが茶を置いた。
自分たちは一杯やって寝るくせに私にはその酒の一杯すら寄越さないことに最初こそムカついたけど最近は何か疲れててどうでもいい。
「あー...コーヒーがいい。甘めのやつ」
「贅沢言うな、ヘボウエイトレス」
「ならココア。甘めのやつ」
「黙って飲め!この軟弱ウエイトレスが!」
なんだかなーと思いながら茶を一口飲んでほっこりする。
「おめェの発想は当たりだったな。バラティエ始まって以来のことらしいぜ」
「散々馬鹿にしといてよく言うよ」「そう言うな、皆褒めてんだから」
ほっこりしてる私の向かいではパティがジョッキでビールをぐびぐび飲んで...プハーッとかしてる。
どうでもいいとは思ってたけど、やっぱり少しはムカつくに変更しとく。私だって海賊時代は酒だって浴びるように――...は飲んでないけどそこそこ飲んでた。次の日に二日酔いになって寝込んだりもした。飲んでる時の楽しさはちゃんと知ってる、だからたまには飲みたい。
「ねえ、パティ」
「お?」
「私にもビール寄越せ」
と言っても間髪入れず「ダメだ」と却下された。くそう。
頑張ってるとは思うんだけどなあ、我ながら。少なくとも海賊団に居た時よりも遥かに。
修繕費払いながら貯金してっていうのは私にはあまりないことなんだけど、そこは基本的にこの店の連中には関係ない話でどうでもいいらしい。そりゃ最年少で経験も少ない何も知らないプチトマトだけども労えって話だ。
「おめェみたいな奴は茶かミルクで充分だろ」
「だったら持って来てよコーヒー。甘めのやつ、ミルク入りで」
.........そういえば、修繕費っていくらあってどのくらい返済したか分からないなあ。
「ほらよ、コーヒーだ。甘めのミルク入り」
「あ、サンジ」
「優しいじゃねェか流石だな」
「てめェにはねェぞ、クソ野郎」
サンジにお礼を言ってコーヒーを飲もうと思ったけど、熱そうで少し止まる。猫舌なんだよね私。
フーフーと冷まそうとすれば見てたパティがゲラゲラ笑いだしたから少しムッとする。此処の人たちって猫舌をひたすら馬鹿になるんだけど大変なんだから!熱いもの熱いうちに食べれなくって最後までちまちま食べなきゃいけないんだよ。ムカつく。
「まだまだ子供だなァプチトマト」
「うっさい!このイカ野郎!鉛打ち込むぞ」
「てめェにゃムリだ、トマト娘」
くそう、ムカつく。そうだ、外に出れば何とか飲めるかも。
「パティ嫌い。後でオーナーに泣き付いてやる!」
「おいおいマジかよ!オーナーの足蹴りの餌食になんじゃねェか!」
「知らないよ。バーカ!」
バーカバーカと言いながらカップを持って下へ、そして裏口の方の甲板へ。
二階にもバルコニーあるけど時々オーナーが風に当たってるから邪魔したくないし、表口の甲板の方が広いけど店が開いてると勘違いされても困るし、まあ裏口でいっかーくらいの感覚で立ち寄る。
でも、本当は此処が一番好きで...最初はよく此処で泣いてた。
海賊になった経緯は適当でノリだったと思う。そこでやってたことは何もかも中途半端、便りを送ってたお姉ちゃんは激怒して縁を切る切らないでモメて...その後、此処で団は壊滅、壊滅したからってお姉ちゃんのとこは遠すぎて行けない、この店の連中はチンピラ、雇われたけど私はただ何も出来ないばかりで...情けなくて泣いてた。泣いて、ただ泣いて、お姉ちゃんからの手紙を読んでたっけ。
"そんな弱い妹を持った覚えはない。きちんと働いて償って前を向いて生きていきなさい"
少しずつ、それが出来るようになった。
壁を背もたれにフーフーしながらサンジが淹れてくれたコーヒーに口を付ける。結構甘くて私の好きな味だ。よく分かってらっしゃる。
「美味しい」
滅多に淹れてくれないけどサンジのコーヒーは抜群に美味しい。
同じ豆、同じ機械から出来てるとは思えないけど他に何か足してるにしても美味しい。お姉ちゃんにも送ってあげたいくらい。と、いうよりもこの船動くんだからお姉ちゃんのとこまで出張してくれると嬉しいんだけど。
「.........そろそろ届いたかなあ」
この店で働き出して手紙のやり取りだけ不定期にしてたけどこないだ初めて荷物を送った。
自分がどんなことをしてどんなものを作ってるか、心配ばかり掛けてるから......しれっとくすねた"天使のキッス"も入れて送ったんだ。見つからないようにするのは大変だったけど。これで少しはホッとしてくれてるといいんだけどお姉ちゃん厳しいからなあ。
「そういや、影でコソコソ何か送ってやがったな」
「うお!サンジ!お、お前!」
「降りるぞ、少しスペース空けろ」
「はあ?」
「回ってくんの面倒だろ、ちょっと立ってろよ」
ま、窓から!?面倒でも歩いて来た方がマシだ!!
即座に立ち上がれば窓からスルリと降りて来るサンジ。身軽にも程があると思う。
「で、何を誰にコソコソ送ったんだ?」
「あ、いやあー.........別に」
「お前には嘘は向かねェな。それに皆知ってるぞ」
「な、何を、」
「"天使のキッス"が消えてんだよな、6つも」
バレてた!
「お前だよなァ、トマト」
「ええっと...」
「まァいい、後で差し引く。で、」
「.........で?」
え、解決してないわけ?
しれっとくすねてたはずの"天使のキッス"は全然しれっとくすねられてなくて皆知ってて、6つ分の代金は後ほど差し引かれて、これでハイ終わりじゃないわけ?あ、いや、待て。私、謝罪してなかった。悪いことをしたら"ごめんなさい"だ、えっと、明日、オーナーには謝るとして...
「ご、ごめんなさい...」
「違う」
「ち、違う!?申し訳ありませ、ん?」
「違う。荷物の送り先は?6つも何処へやった」
あ、"天使のキッス"の行き先か。なんだ。
「えっと...3つはお姉ちゃんに送って」
「残りは?」
「友達に、送りました」
「.........友達とかいんのかよ」
「いるよ!失敬な!!」
随分、年は離れてるけどその昔お姉ちゃんと一緒に居た頃、たまたま出会ってお世話になった人がいるんだよ。その人にも贈りたくて送って......って、よく考えたら友達じゃなくて知り合い、になるのかな?私的にはお姉ちゃんと同等くらい大事な人たちなんだけど。
「数は少ないけど大事な人くらいいるよ」
「.........ふん」
プチトマトのくせに、と悪態吐かれても困る。自分はチビナスのくせに。
って、何でこんなに問い詰められなきゃいけないんだろう。確かにくすねた私が悪いけど、見つかってたんなら明日にはきちんと謝罪するし...そこから何処にやってもいいじゃない。どうせ荷物の中にあることにも気付いてたんでしょ?だったらそこまで言及しなくても、
「.........男か?」
「何が」
「友達」
いつ吸い始めたのか分からない煙草をフーッと吐いてサンジは壁にもたれ掛かった。
んー...友達は女性だけど確か一緒に暮らしてる人がいるらしくて、その人は男だったような。結構アバウトにしか聞いてないから、
「.........微妙、かな」
「はァ?」
「友達は女だけどその人の友達までは知らないし」
「.........そうかよ」
気済んだかコノヤロー!人の諸事情とかしゃべらせんな。
と、その時、カップを持ってない手を掴まれてポスッと何かを置かれた。それは...此処で作っている"天使のキッス"に良く似てる、でも別のもの。"天使のキッス"はチョコベースでハート型で装飾が綺麗で可愛いんだけどコレはベースがピンクで...こっちの方が可愛いかも...
「やる」
「あ、有難う...ピンク色可愛い」
「トマト色だろ?おめェ専用だから」
「......食べても、いい?」
お店に無い、私専用のチョコ。何だかとってもくすぐったい。
何かよく分からないけどサンジがもらったチョコをカップを持ったままどうにか開けて、いいのか悪いのか片手で一口齧る。チョコ...だけど苺の味がする。凄く美味しい。苺を混ぜてあるんだ、でもどうやってこの色にしたんだろう。
「凄く美味しい。でもトマト味じゃなかったね」
「.........」
ビターチョコじゃなくてホワイトチョコでも使ったのかな。よく分からないや。
甘いコーヒーと甘いチョコ。疲れ切った体には最高で、お酒なんかで疲れをブッ飛ばすよりも断然良くてほんわかする。改めてお礼を言おうと顔を上げたら、何とも言えない表情のサンジがそこにいた。
「サンジ?」
「.........」
「おーい、生きてる?電池切れ?体力限界越えた?ここんとこずっと働きっぱ――...」
木霊するほど響いたわけじゃなかったけど...耳元でダンッと聞こえてびっくりして堅く目を閉じた。
肩がすくんで俯いて...急にサンジが怒り出したのかと思って「ごめん」とワケも分からず謝罪のために口を開こうとして、出来なかった。代わりに中身のないカップが音を立てて、割れた。
「.........イライラ、する」
「え?」
「あのクソジジイに見透かされてることに、イライラする」
「は?」
「お前の行動に、イライラする」
今度は目は開いた状態、サンジを見据えた状態で、何が起きたのかが、はっきりと分かった。
背には壁、顔の横には腕、足の間には膝、正面から迫るのは顔。引こうにも引けない、逃げようにも逃げられない、動くことの出来るサンジと動くことの出来ない私の距離がまた、さっきと同じ、ゼロになった。
「トマトの分際で...嫉妬とか、させんな」
翌朝、オーナーに「6つも盗んでごめんなさい」と謝ったら「その分働け」とだけ言われて終わった。
開店準備のためにフロアに降りると何故か数人のシェフがボロボロでサンジまで怪我をしてる姿に驚いたけど、大方朝から乱闘騒ぎでも起こしてオーナーの足蹴りでも喰らったんだろうと適当に見流した。
バラティエの厨房は今日も大騒ぎだ。
出しても出してもまた新しい料理が出来て、引っ込めても引っ込めてもお皿はダイニングに残ってる。相変わらず人手が足りずに私はくるくる回る。今日もチョコ臭のする店、だけど...何だか嫌じゃない。
「はァ?てめェ、この張り紙見えてねェのか?コレは"女性限定"なんだよ!」
そんな中、出入り口で海軍とモメるサンジの姿があって慌てて仲裁に入った。
お客様は食事をしてるし、ダイニングに血溜まりとか出来ても掃除するのが面倒だし、このままだとオーナーまで暴れてしまうし。そこまでになると他のシェフたちも暴れ出して収拾がつかなくなる。片付けに半日以上使うのは嫌。
私が近づく前、締め上げられた海兵さんが苦しそうにサンジに渡したものは、メモ紙と写真...?
「い、いや、買いたいと言ってるのはこの方で――...」
「あァ?見る価値のねェもんだったら............」
あ、目がハートになった。
「よし、引き受けた!そこで待ってろ」
「「「はァ!?」」」
.........ああ、やっぱりだ。この人かなり美人でサンジのストライクゾーンだ。
海軍のコート羽織ってるけど...凄い人なのかどうかも分からないくらい若いなあ。もしかしたら同じ年くらいかもしれない。
「この人、近くの方ですか?」
「それが...海軍本部の准将で噂を聞きつけられたようですよ」
「海軍本部!?」
海軍本部があるのはグランドラインの真ん中...なんでこの店の限定品のこと知ってるんだろう。
と、写真と一緒に添えられたシンプルな便箋の手紙が一枚。そこには『シャボンディ諸島で、とある女性から一つ頂きました。とても可愛らしいので是非、5個ほど売って頂きたいです。よろしくお願いします』とあった。
シャボンディ諸島......あ、彼女だ。ちゃんと届いたんだ。でも、まさか...この人とモメたりとかしたわけじゃない、よね。
内心ハラハラしてるけどその島遠いし、何も出来ないし、今は仕事もあるし、と、あわわわ混乱する。いや、ハラハラしたところでどうしようもないけど、海軍に捕まってたりとかしたらどうしよう。あ、でも、捕まりそうにない強いし。
「なァに、心配すんなプチトマト」
「あ、オーナー!」
「あのチビナスは最初からおめェに恋してんだから」
「はいい?何の心配ですかそれ!」
「ベレッタ...」
初めて呼ばれた名前、それに続く言葉をサンジにも返したいけど、いいんだ。あの表情をさせられるのはきっと私だけだから。
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