壁を壊した日
よく眠っていらっしゃった。だらしなく大口を開けて。
だから奪ってやった。とは言っても彼にとってはどうでもいいことかもしれないけど。
それが良いことか悪いことか、なんて私はどうでもいいことだけど、ただ我に返った瞬間シマッタ感は半端ない。
私は、ただの部下なのだ。
しかもあまり仲は良くない、私はただただ一方的なものを抱えているだけの部下だ。
ついで以って言えば...彼には多くの恋人と、焦がれる本命もいる...らしい。少なくとも他の人からコッソリ聞いただけだから真偽のほどは不明。でも...多分嘘ではない。だって彼は私ほど嘘つきでは、ない。
「.........失礼、しました」
預っていた書類を机に置いて、まだ寝ている彼に一礼して部屋を出た。
本当は...叩き起こして必ず署名させろと命じられたけど今、相手は気付いてないにしても合わせる顔がない。普段通りに仕事が出来そうもない。
「.........おんやァ〜」
「あ、お疲れ様です!」
「君がこんなとこにいるのは珍しいねェ〜」
ボルサリーノさんだ。
「珍しくはないですよ。一応、部下ですから。書類を届けたんです」
「あ〜モモンガのでしょ?今日までらしいけど回収したの〜?」
「.........いいえ。よくお休みになってましたから」
自分はさっき怖い顔したモモンガさんに手渡したと彼は言った。
そういえば...サカズキさんもちょっと前に怖い顔したモモンガさんに書類を、と凄まれて提出していたような。だったらクザンさんの分も回収してくれればいいのに...仲、悪かったっけ。まあ、すこぶる良いわけでもなさそうだけども。
「起きなかったの?クザン」
「ええ。お疲れだと思いましたので夕方に回収します」
「.........ふ〜ん」
何だろう。何か考えているみたいだけどおかしなことでも言ったかな。
確かにクザンさんは寝起きは悪くないけど、余程じゃないと反応はしてくれないからそんなもんだと思っている。私だって爆睡したら起きないタイプだし、疲れてたら尚更起きるのが嫌でもがる時だってある。お陰で書類は溜まりっぱしだ。
「あ、足止めしてしまい申し訳ありません。私も仕事がありますので」
「今日も討伐〜?」
「いいえ。報告書作成です。上げないとセンゴク元帥に怒られますから」
報告書とプラスして始末書まで抱えていることは敢えて言わない。
よく分からない経費が勝手に上がってて何故か私が問い詰められて始末書を書かされるハメになった、なんて何か恥ずかしい。
「では、失礼します」
「うん。頑張ってね〜ついでに伝えとくね〜」
「え?」
そこにもうボルサリーノさんは居なかった。
討伐、討伐、討伐、書類、討伐...この生活は嫌ではなかった。
命に従っている間はこのマリフォードから遠のくことが出来るし、色んな事を考える間もなく仕事に没頭出来るから。ただ、合間に挟まった書類仕事だけは此処まで戻って来なればいけないし、渦巻く邪念が押し寄せて来るから好きではない。
さっきみたいに...余計な事をしてしまう。ただ、その顔をマジマジ見たかっただけだと言うのに。
不毛、ただただ不毛だと溜め息を吐く。
それでも手配書を片手に討伐に成功した者たちの報告書を地道に書面にしていく。海賊団の解体もなかなか骨の折れる仕事だけど、これもまた骨が折れる。いつ、何処でどんな風に彼らを捕獲したかなんて正直、適当だったりする。
「.........はあ」
こんなことするくらいならまだ体を動かした方がマシだ。それで怪我を負おうとも大したことじゃない。
此処はとても居心地が悪くて息が詰まってやるせない。個々をみれば人は悪くないのに、この場所が私の息を詰まらせる。
もう何度も辺境地への異動を希望したが、何処で詰まってしまっているのか私には異動命令が出ない。
それどころか全く希望していない者が飛ばされていく。家族を連れて、もしくは置いて。自慢じゃないけど私は身軽でいつでも飛べるのに...
「溜め息、良くないよー」
今度はクザンさんだ。
「.........ようやくお目覚めですか、クザンさん」
「まァね。ボルサリーノも起こしに来たし」
ああ、あの後本当にクザンさんを起こしに行ってくれたんだ。
あの人もそう暇ではないはずなのにわざわざ動いて下さるとは...後でお礼に行かないと。
「で、例の書類は?」
「あなたの机に置いていたはずですが?」
「無かったけど?」
「嘘!そんなことはっ」
ドーンっと怖い顔したモモンガさんが頭を過ぎった。
目の前が真っ暗だ。一介の海兵風情が中将の書類失くしましたすみません、じゃ済まない。ましてや今日中、確実に回収と提出をキツく命じられたのだ。自分で何故やらないんだ?とか思いながらも受け取った以上、本当にすみませんじゃ済まない。
「いやいや、ホント。部屋捜してみるかい?」
「ええ。そうさせて頂きます」
書き掛けの報告書を適当に片してケースに詰めた。ペンも適当に中へ放れば暢気なクザンさんが「そんなに慌てなくても」なんて言った。
その言葉が耳に入ったけど反論する時間が無駄だと思ってそそくさと部屋の出口に向かう。すると、後ろからまた暢気な鼻歌が聞こえて思わず溜め息を吐いた。
書類を届けてからさほど時間が経ったわけでもないクザンさんの部屋。
特に何か変わった様子はなかったけど、強いて言えば寝ていたはずのクザンさんが真後ろにいるってことが変化だ。
「起きてから何か触わりました?」
「んーアイスマスク取って、髪を掻いて、それから...」
「机の上の話です」
「何も触ってない」
別に全ての行動をチェックしたかったわけじゃなく机上の何かに触れたか触れてないかを聞きたかっただけ。
何も触ってないなら間違いなく、積み上げられた書類の一番上に「至急」という文字入りの書類が置いてあるはずだ。モモンガさんがわざわざ赤ペンで書いた書類が。
「.........ある、じゃないですか」
机に近付くと見覚えのある書類がそのままのカタチで残ってた。モモンガさん直筆の「至急」と書かれた書類。
「うん。それはそこにあったわ」
「.........驚かさないで下さい。寿命縮みましたよ」
「それはこっちの台詞。おれの寿命縮ませといて何言ってんの」
書類紛失したくらいで寿命縮むとか有り得ないくせに。
と、悪態吐くのは簡単だけど機嫌を損ねてもらっては困る。きちんと目を通してもらって署名してもらわないといけないから...不本意でも謝っておく。
「.........すみません、でした」
「謝るくらいなら責任取ってよ」
「.........責任を以ってモモンガさんに書類提出しますのでお目通し願います」
「何でモモンガに提出するわけ?役所でしょ役所」
「.........いえ、この書類はモモンガさんに提出するものですが?」
しかも今日中に。だから「至急」と書いてあるのが見えないんだろうか。
「ベレッタ」
「はい」
「とりあえずそれに署名する」
「あ、有難う御座います。でも内容を読んでからにして下さい」
「それは君が後で読んどいて」
書類を受け取ったらその辺のペンでさらりと署名してポイッと投げられた。ついでにペンも放られた。
何が癇に障ったのかは分からないけど不機嫌そうな様子に気付きつつも署名してくれたことにお礼を言って、放られたペンを机上に戻す。こんなペンだって備品で経費だと何度も伝えたような気もするけど今はそれを言うべきでない空気。
「では、内容は後ほどお伝えします」
「じゃあ話を戻そうか」
「.........何の話です?」
「責任の話」
「ですから、これは責任を以ってモモンガさんに提出します」
今日中に、もしも何か言われた場合の全責任は私にあって彼にないと告げる。間違ってもクザンさんの所為にはしない。
そう答えようと口を開き掛けた時、彼の不敵な笑みを見た。
「安眠妨害の責任」
「.........え?」
「おれ、眠りが浅いのよ。だから誰かが来た時点で目は覚めてる」
それがどういう意味か分かるかい?と彼は笑う。
ハッとした。ようやくボルサリーノさんの「起きなかったの?」と不思議そうな顔をした意味が分かった。彼は起きていた。目を覚ましておきながら面倒な仕事をさせられそうだと判断して狸寝入りしていたんだ。だとしたら...
「どう責任取る?」
だとしたら、彼は自分の身に起きたことを知っている。
「高いよ。おれの唇」
ああ、頭が真っ白になってる。
「君って夜這いの趣味とかあったの?」
「.........」
「それはそれでいいけど、素知らぬフリは酷いんじゃない?」
「.........」
「泥棒って言われちゃうよ?」
.........泥棒、か。
それが良いことか悪いことか、なんて私はどうでもいいことだと思ってた。そして、それを気付かれたとしても彼にとってもどうでもいいことだと思ってた。でも、どちらにとっても悪いことだったなんて、今更、やってしまったことは消えたりしない。
「どう責任取る?」
「.........すみませんでした。失礼します」
「へ?ちょっ、ベレッタ?」
だからってどう責任を取れと?死ねと?そんなのはお断りだ。
そんなことを思いながら自分の処遇について考えていたらだんだんだんだん...ムカついて来た。ついでに腕も掴まれたもんだからプツッと何かが切れた。
「ちょっとキスしたくらいでガタガタ言わないで下さい」
掴まれた腕を振り払って、進行方向から彼へと向きを変えて口調キツく言葉が零れた。
「高い?金で解決するなら給料から引いて頂いて結構です」
「え、ちょっ、それ逆ギレ...」
「逆ギレで何が悪いんです?ただ好きだったから魔が差しただけなのに」
「.........え、」
「別に減るものじゃないですよね?というより逆にノーカンで減らしといて下さい」
今度こそ、私は足早に部屋を出た。
部屋を出てしばらくして...急上昇した怒りが急降下して、何故か、涙が流れた。
一介の海兵風情でも、泥棒なんて言葉は痛かった。
title by 悪魔とワルツを
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