ある時、軍上層部から極秘に階級昇進の打診があった。
二階級特進、大佐である人物は少なくとも少将になる筈だった。担当エリアは本部から遠ざかっちゃうけど東の海でその人物の故郷...つまり管理職へと繋がる昇進。人は大体喜んで受けちゃう。
だけど、彼は頑なに断った。
条件だって悪くなかったと思う。自分には何にも関係ない事だったわけだし、痛くも痒くも無い事だったんだけど...そりゃもう頑なに拒否したから上層部も諦めちゃった。
大事な我が子を、幸せにするチャンスだったのに。
「まァ、今となっては話して分かる人じゃないって事だよ」
「......全てを告発します」
「構わないよ?だけど一介の少佐と大佐の言い分が大将よりも上だと誰が信じる?」
此処は、階級が全て。
「......証拠はおれが持ってる。誰にも知らせていない」
「今は疑惑だけで義父は収監されている」
「君が約束してくれれば...証拠は破棄する。疑惑も晴らす方法はいくらだってある」
ぎりぎり、ぎりぎり、歯を食い縛っている姿も素敵だ。
軍で権力を持つって事はそういう事。だから本来は何を擲ってでも手にする。手にしたがるもの。
「......約束とは、」
枯れた声が響く。
「この部屋から出ない事」
「......え?」
「衣食住を約束するよ。それに仕事も。ボロボロになるような仕事はしなくて済む」
「なっ...どういう......」
あの日、君の養父に出した出世の条件は...君だった。
「君の正義の測りは義父の冤罪処刑して保身に進むような正義を望む?おれを告発して絶望に沈む正義を望む?それとも...身を犠牲にした正しい正義を望む?」
証拠は、彼女の目の前で初期化した。
野生に帰した電伝虫はもう何の記録も持たない。放り出しても問題が無いので彼女が窓から逃がした。勿論、黙認した。
彼女の義父は熱い正義を買われてG5へ。
急な配属だったけど...彼はもう本部には居ない。嬉々として向かった。これは本当の事。向こうでの過酷な任務を何処までこなせるかが楽しみだと言えば彼女は俯いた。
極秘書類は...
とある政府の役人の部屋で見つかった。理由は知らない。罪も罰も無い。全ては隠蔽されて終わった。
全ては無かった事に過ぎない。
最初から、全ては起きていない。罪は無い。罰も無い。混乱ですら無かった事になった。
「書類整理は終わった?」
「.........」
「あァ...思ったより優秀で何より。次のを持って来るよ」
彼女は少佐から大佐へと階級を上げた。
だが、そこには殉職によるものと記されている。彼女は...死んだ事になった。葬儀は秘密裏に...何も知らない彼女の義父が執り行った。参列したのはごく僅かな人間。
「お腹すいてない?」
「.........」
「返事はした方がいいベレッタ大佐」
「.........階級など、今更、」
「そうだね。君死んだ事になってるし」
遺体無き葬儀はカタチだけでしか無い。
この軍では良くある事。だけど、その遺体が起き上がり、再び人前に出てくる事は無い。あったとしたら...それは戸籍無き人として別地に送られる。第二の人生、それは...奴隷。
買っておいたサンドウィッチをテーブルに置いて、用意しておいた紙コップに珈琲を注ぐ。
どちらも彼女がよく通っていた売店のもの。今度はおれが常連になって来た。
「そうそう。この間の事件、真犯人見つかったよ」
CPが仕掛けておいた監視電伝虫を極秘に入手したんだと言ったが彼女は何も言わなかった。ただ、真っ白な壁を見つめていたから...その映像を映し出してみた。
「な...っ」
前のものとは明らかに違う映像。その中に映るは......
「ほんとに君の義父だった」
「......嘘よ、」
「此処に隠してあって...すぐに資料は戻された」
「そ...んな......」
「彼も"無くて"困惑してるね......でも罰は受けない。この事件は葬られたんだから」
彼女は、ようやくおれの望み通りに崩壊した。
Auf die Hande kust die Achtung, (手なら尊敬)
Freundschaft auf die offne Stirn, (額なら友情)
Auf die Wange Wohlgefallen, (頬なら厚意)
Sel'ge Liebe auf den Mund; (唇なら愛情)
Aufs geschlosne Aug' die Sehnsucht, (瞼なら憧れ)
In die hohle Hand Verlangen, (掌なら懇願)
Arm und Nacken die Begierde, (腕と首なら欲望)
Ubrall sonst die Raserei. (それ以外は…)
――それ以外は、狂気の沙汰。
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