―― その手足を止めますよ。
低く響いた言葉と共にボールが急に、見えなくなった。
よく手も足も出ないという言葉を聞くが…その状態が今、まさに起きた。分からぬ間に、起きていた。
「先生、デッドアングルって知ってます?」
「……死角」
「そうです。どんな人にも確実に死角はあります」
自分のサービスだっていうのに得点が全て跡部に入っていく。それどころかラリーすら続かない。
途中まで見えていた、手の届きそうな場所にあった、それなのに――…ボールは全て、自分をすり抜けて壁へと流れてく。
「俺、見えるんですよ」
……その言葉の通り、ボールは的確に俺の死角を突いた。
動くこともままならずにその一瞬だけ立ち尽くす。見えている時もあれば見えない時もあるボール…手は届かない。
あっという間にも程があった。足掻けば足掻くほどに隙でも出来ているのか、ボールは俺をすり抜けるだけ。
俺が奪えたのはほんの数ポイントだけ、この勝負は完膚なきまでに叩き折られてしまった。
「現役中学生も悪くないでしょう?」
「ああ…悔しいが完敗だな」
そう話しながらネット際で握手を交わした時、気付いた。
ヤツは汗を掻くこともなく本気を出すわけでもなく、嘲笑うかのようにプレイしていたのだ、と。
「先生」
「……何だ?」
「我が氷帝学園テニス部のしきたり、ご存じですよね?」
不意打ちだった。
「強者は弱者を支配出来る。先生の頃も、そうだったでしょう?」
綺麗な青い目は俺を捕えていた。白い手も俺を捕え、鳥肌が立つほどに頬を撫で、唇までも撫でた。
あまりに不意打ちで目を見開いたままだったと思う。
変わりない身長の、ましてや年の離れた男子生徒が唇に触れるなど有り得ない。
「従ってもらいましょうか、俺に」
「な……んんっ」
有り得ないはずなのに感じた。温かな唇の感触を。
それに気付くまでに数秒、その体を押し返すまでに数秒、逃げ出すまでに数秒…
気付いた時にはヤツのジャージを着たまま、俺は自分の住むマンションまで走り抜けていた。