あれ以来、平古場くんは私のところへ来ることはなくなった。
酷い言葉で傷つけた事実は私の胸の中に刻まれて、何とも言えない表情が消えずに今も残る。
分かってる。悪いのは…私。だけど、謝ることなんかしない。一番痛いところを突かれた私にはそんな心は、ない。
「もう本土さ戻れんことくらい分かってるだろ?」
勿論分かってる。分かってた。だけど、口に出された時に…それが本当のことなんだって思い知らされたのよ。
簡単に、すぐに行けるような地でもなければ今の私ではどうにも出来ない。戻ろうにも戻れない。帰ろうにも何もない。
思い知りたくも無いことを現実に、真っ直ぐに突き付けられて痛みしかなかった。
此処へ来て数ヶ月、一番知らされたくないことを思いっきり目の当たりにさせられたの。酷く、抉られた。
何とも言えない気持ちがふつふつと湧いても体調に変化はなく今日も学校へと向かう。
恐ろしく天気が良くて色鮮やかなものたちがキラキラ光っているのが眩しかった。飽きの来ない色が此処には確かにある。
それでも懐かしいと思うのは色の無い変わり映えの無いあの場所で、大きな溜め息を吐いていた。
「……今日も、いるや」
そんな心境とは全く関係なく今日も一人、何とも言えない波の中にサーファーは居た。
本当に…毎日毎日飽きもせずボードに乗っているのをこの時間に確認はするけども上達の兆しは感じられなかったりする。
難しい、んだとは思うけど、実際にやってみろよと言われたなら首を竦めると思うけど、それでもヘタだなーと感心する。
そうまでしてマスターしたいものなのかな?疑問だ。ぼんやり眺めながら歩いていれば背後に人の気配を感じた。
「おや、君は…志月さん、でしたね」
振り返れば思いっきり逆光で目を細めて見れば「眩しかったですね」と横に並んだ長身を見て…眉を顰める。
この人、前に一度だけ私と言葉を交わしたことのある人で、テニス部の、人。平古場くんの友達だ。
「そんなに警戒しなくてもいいでしょう?下手なことはしませんよ」
「……」
「まあ、いいです」
何がいいのか悪いのか。わざわざ横並びに歩かなくてもいいのに嫌がらせのように彼は隣に居て歩調を合わせて。
狭い場所なんだから…こんなとこ見られたら余計な勘違いされてコソコソひそひそと大変になるじゃない。
そう思って不意に足を止めればそれに気付いたらしい彼は、立ち止まって振り返ってた。
今の自分がどんな顔をしてるかなんて分からないけどきっと目は訴えていたと思う。「一緒に歩く気はない」と。
随分キツい子だと思われても構わない。そう考えて黙り込んでいればフッと彼は視線を逸らして口を開いた。
「あのサーファー、いつ見ても成長しないと思いませんか?」
「……は?」
「彼は俺の知人でね。君、いつも登校時に見ているでしょう?」
見ている、見ていないで聞かれたなら見ていると思う。視界に入るから。ついでに言えばコケてばかりで目立つし。
そうは言わないけど…一応問われたことだから小さく頷けば、彼は特に表情を変えることなくまた視線を海へ移した。
「彼ね、結構往生際が悪いんです。ついでに言えば人の言うことを聞かない。どうしても上達したい理由があるんです」
そんなの…知りたいか知りたくないかで聞かれたら特に知りたいわけがなかった。あくまで人のことだから興味なんてない。
でも、それを言いたげにしている私を分かっていながら彼は簡潔に理由を告げた。「海を越えたいから」と。
そんなの到底出来るわけが無い。そう思えば言葉は無くとも溜め息は出て、彼は続けて「言いたいことは分かります」と言った。
ふーん…不可能だと分かっているんだったら止めてあげるのも親切だろうに…冷たい人だ。
「まあ、本土までは当然行ける距離ではありませんよ。でも…あそこならどうでしょう」
指差された方向、そこには小さな島があった。
沖縄は49の有人島と数多くの無人島からなる県で、昔は琉球王国と呼ばれていたというのは歴史で習った。
私の住む本島は少し歩けば海があって、海の向こうには小さな島があって…少なくとも大陸なんかじゃない此処の地。
そう、何となく眺めて…夜になれば小さな光が零れる島もあったり、そうでない島もあったり…
今、指差されている島がどちらかと聞かれたなら私は首を傾げると思う。
でも泳いで行けない距離では……ううん、きっと思っている以上に遠いところにあるから、やっぱり無理だと思う。
「……無理ね」
「それでも彼はあそこに辿り着きたくていつもパドリングしてるんですよ」
「……」
「わざわざボードで行かなくても方法はあるでしょうに、ね」
「……だったら教えてあげればいい」
アレが進まずとも行く方法を、ソレでは到底辿り着くことなんか不可能だってことを。
その全ての意味を含めて小さく呟けば「おや…」と、何処か人を小馬鹿にしたような笑みが返って来てムッとした。
「それを君が言いますか?」
「……どういう意味?」
「君だって…同じように足掻いてるんでしょう?彼の気持ち、痛いほどに分かるんじゃないですか?」
――そんなことない!とは言えなかった。
「彼もね、戻りたくて懸命なんですよ。自分が育った場所へ帰ろうと」
定期船は数日に1本。天候次第では全く船が出せないこともある。近くにあるのに孤立した島。
数年前に此方に移動した彼は何度となくホームシックになっては呟いてた。どうにか海を渡れないものか、と。
船なんて持たない。イカダでは手は届かない。だったら――…そうこうしているうちに時間は過ぎていた。
「近くても遠くても…俺から見れば同じ境遇に見えますよ」
それだけ、一方的に話をするだけして…歩き始めた彼の背中を私はただ睨んだ。
同じ境遇なんて…例え、そう見えたとしても口にして欲しくない。きっと、同じなんかじゃなくて、それぞれが辛い思いをしてて。
怒鳴ってやっても良かったのかもしれない。だけど、震える手を握ることで怒りを抑えることしか出来ない私が居た。
「あ、そうそう…」
何かを思い出した、と明らかに装いだけで再度振り返った彼はまだ何処か人を見下したように見えた。
それが無性に腹が立って今まで以上に睨みつけてはみたけれども…遠くに居る所為か、彼は特に気にした様子もない。
「平古場くんも、あの島出身なんです。3年前、一人で此方に渡ってきたんですよ」
――だからですかね、君に構うのは。
静かに響いた声。私は一歩も動けなくなっていた。
見つめるだけの背中はどんどん遠退いて、しばらくすれば姿を消して怒りのぶつけどころなんか無くなってしまった。
ボーッと立ち尽くしているように見えていたと思う。行き交う車の運転手はチラリと私を見て過ぎていく。
これだから狭い島は、と罵りたくもなるけれど…それ以上につっかえてならないのは、何だろう。
ふらふらと、方向転換して向かう先は真っ白なビーチだった。
光が反射して眩しくて、初めて見た時もこうして…目を細めて見たことを思い出す。
この砂地が延々と…向こうまで届いていれば私はきっと歩いてでも戻っていただろうって、何度となく思ったんだ。
近くて遠い。遠くて遠くて遠くて――…海は、眩しすぎた。
「……っ」
船なんて持たない。イカダでは手は届かない。だったら――…だったら私は何が出来るというの?
近くて遠い場所にだって行けない。そこにあることも分かっていて届かない。痛いなんてものじゃない。
泣きそうなくらい、分かるから。ただ、膝を抱えて座り込んだ。その悔しさ、同じでなくても分からなくない、と泣いた。
自分は同情なんかされたくないのに同情してた。白の向こう、青に浮かぶその人に――…
-目眩-
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