テニスの王子様 [DREAM] | ナノ
思いかげないハプニング
(短編シリーズ 赤也)

今朝、寝坊して完全に遅刻するような時刻にバスに乗り込んだ。
息を切らして走ってもバスに乗り込む前の時点で遅刻は明確だった。
それでも悪足掻きしたかったのかもしれない。とにかく走った。走って走って走りまくって。
はあはあ息を荒くした私がバスに乗り込むと、通勤途中の社会人の皆様の注目を集めた。
ちょっと恥ずかしいけど、どうすることも出来ずに後ろの隅へ逃げるように。

「あれ、志月じゃん」

まさか...そんな私の名を知る人がいるとは思わなかった。
後部座席、一人で数人分も占領して寝ていた男の子...切原赤也。
去年、今年とクラスメイトになった人で私が何故か苦手とする男の子。

「お、おはよう切原くん」
「はよ。珍しいな、遅刻じゃん」
「う、うん。ちょっと寝坊して...」

悪い人だとか怖い人だとか、そんな印象は全然受けない人ではあるけど、どうしてか、苦手だと思う。
時折、表面化された怖い一面の話を聞くせいかな?
祐希あたりがいつも言ってる。テニスになると鬼みたいだって。だけど、そこがクール!みたいな。
私は目の当たりにしたわけじゃ無いし、何とも言えないところだけど...
自分の中の想像が意味も無く恐怖を呼んでるのかもしれない。鬼、鬼、鬼...みたいな。

「かなりダッシュしてくる子がいるなーって見てたけど、まさか志月とは思わなかった」

屈託のない笑顔。ゴロンとしていた体を起こして、隣へどうぞと言わんばかりに進められる。
当然だけど、断ることは出来ずに頭を下げながら彼のオトナリへ。余裕を持ってスペース空けて。
さすがに持ってたカバンでこの隙間に隔たりを付けるのはマズイかな...

「カバン邪魔じゃね?」
「え、あ...あの、」
「こっち置いてやるよ」

この事態を回避出来ず...彼の手によって私のカバンは私よりも遠くへと追いやられてしまった。
いや、悪気はないんだと思う。むしろ、善意でやってくれたことなんだろうけど...さて、困った。
これじゃ逃げるに逃げられない状況になったような気がする。今はバスの中で逃げることは出来ないけど。
バスが学校前まで来た途端に急いで距離を置こうかと思っていたのにな。

「志月?」
「あ、いや...その、有難う、ゴザイマス」
「いえいえ、どういたしまして。か?」

へへ、と顔を綻ばして見せた笑顔、少し可愛いかもしれない。
さも得意げで、まるで子供のように笑ってみせる。長いことクラスメイトしてたけど見たこと無いかも。
よくよく考えたらこうして二人で居たこともなかったっけ。特に話もしてないし。
彼は常にクラスの中心に居て、私は極めて脇役...クラスに居るだけの取り巻きのようなモノ。
アレ、存在というか...ちょっと違うスタンスに居るのだと思う。と、不意に視線を感じる...?

「.........何、でしょうか?」
「寝癖、ついてるなーって」
「ええっ?何処にっ?」
「ココ。そんなに目立たないけどね」

横髪をふわり、撫でる手つきが優しかった。自分で同じところを触っても何も感じないのに。
で、本当に少しだけハネちゃってることにも気付く。ちゃんとチェックしてなかった...
誰も見やしないとわかってるけど、ホラ、やっぱり気になるところ。気付いて笑う人もいそうだし。
.........こんな時に限って、ポケットの中あるはずのクシを忘れちゃってる。鏡も忘れてる。

「目立たない、かな?」
「うん。大丈夫大丈夫」
「朝、確認したのにな...」
「気にするほどでもねえよ、可愛いし」

.........意外とフェミニスト、だということが判明。
変なの。さっきまで良く知らなかったのに、色んな一面がどんどん出てくる。
こんな笑顔で女の子と接していれば、確かにモテるはずだわ。祐希が気に入っても仕方ないかな。
不思議なカンジ。遅刻は問題だけど、得るものもそこそこあるのね。



次は、立海大付属中学前です。お降りの方は――...



ボタン、押さなきゃ。
ちょっと邪魔かもしれないけど前を失礼して...

「.........ほえ?」
「押しちゃダメっしょ」
「え?だけど、私たちはここで降りないと」

前を失礼した手が、彼の手に邪魔されてる。退ける気配もなく、ただ笑ってる。
目の前には学校。それなのにバスは停まることなく、この場を通過しちゃう。
悪戯?嫌がらせ?直前になって押すつもりなのか...表情からは全く窺えない。

「切原くん...?」
「押して欲しくない」

その言葉を聞いた直後に通過した。私が行くべき学校を。
どんどん遠ざかって、どんどん別の場所へと移動していくのを窓から見つめた。
遅刻、どころの問題じゃなくなっていた。次の停車場所は――...

「デートしよ」
「は?」
「折角だからデートしよ」

折角も何もない。どんどん遠ざかっていく。
それでなくとも先生の説教が待ち構えているのに、早く行かないと行けないのに。
彼は終始笑顔のままで変なこと言ってる。この事態...何なのかさっぱりわからない。

「好き」
「へ?」
「志月が好きだ」
「はい?」

窓枠に頬杖ついて、屈託の無い笑顔を振り撒いて...突拍子も無いお言葉。
笑っているのに、笑っちゃいないような目をしてる。これが、皆さんの言う鬼...ってヤツですか?
どんどん、どんどん遠ざかっていく。どんどん、どんどん鼓動は加速していく。
ボタンを押そうとしたままフリーズしてる私の手を握り締める存在が、目の前にいる。

「好きだから待ってた。いつも、毎朝、同じバスに乗って...」


※2006年もの、赤也


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