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『……ごめんなさい』
確かに昔、そういう約束をしたことがあるから愛結は素直に謝罪の言葉を口にした
結ばなければ――心を殺さなければとても戦えなかった、というのは言い訳だから何も言わない
「ったく…もうお前は自分の意思で戦うことができるだろ。アイツに無理やり付けられたスイッチなんざ使うなって言っただろ」
『あれは…』
あれは、仕方がなかったと思う
教団に来たばかりの頃、どうしても戦うことができずロクにイノセンスを発動させることすらできなかったのを思い出す
幼い、というのが理由になる程甘い世界じゃない
同じ年頃のリナリーは怪我をしつつもちゃんと任務に赴き、役目を果たしていたのだから余計に
使えない、役立たずのエクソシストという烙印を押される一歩手前まできたところで、あの男が愛結の前に再び現れた
差し出したのは一つの質素な髪留めのゴム
「久しぶりだね、高井愛結。君は今のままだと皆の役にたつことができない、落ちこぼれとなる。皆が戦っている間、君はただ指を咥えて見ているだけでいいのかね?
何故戦わない。その目は神から与えられた"我々を守るための武器"だ。そう、武器だ。だが使われなければそれはただの無益な存在だ。
リナリーは頑張っているだろう?君にもできるはずなのに何故やらない。君は私に嫌われてもいいのかね?君をここに連れてきた私に―――そう、嫌だと。なら私の言うことは聞けるね?―――いい子だ」あれはまるで暗示のような…否、暗示だったのだろう
何年も経った今でも、あの時のあの男の表情も風の音も言葉も全て覚えているのだから相当だと分かってくれるだろう
幼かった私は言葉の半分も理解できていなかったが、ここに連れてきた男に"嫌われたくない"一心で頷いていた
「見ての通りこれはゴムだ。何の変哲もないただのゴムだが、これが君を強くしてくれる。これで髪を結べば君はきっと戦えるだろう。
何も怖くない。人の形を模したアクマを殺すことも怖くない。アクマを恐れることもなくなるだろう。このゴムを付ければ、君は戦える。
――そう、それでいい。今の君は最強の戦士だ」『…戦えるキッカケをくれたと思ってます』
「だがアレはやり過ぎだ。自分の体は無視して"倒す"しか考えてないせいでお前いつも怪我してただろ」
確かに気付いたら死にそうになっていた、という経験は少なくはない
髪を結んで行った初めての任務でも一人で何十体のアクマを倒したらしいがその後数週間はまともに動くこともできなかった
クロスに面倒見てもらっていた時、そのあまりに無茶苦茶な戦い方に髪を結ぶことを禁止されたのだ
以降はそれを守って基本的に髪を結ぶことなく過ごしてきたが…それでも状況が厳しかったりした時に結ぶと反動なのか余計に周りが見えなくなり、記憶がトんだりするのも当たり前だった
軽く精神安定剤のような役割も果たしていたゴムはなくなり、何だか腕が軽くなった気さえする
『でもあの人…ルベリエ長官がいなかったら私、今でも戦えないままだったかもしれませんよ?』
「そん時は俺がイチから根性叩き直してやったさ」
当たり前のように言われた言葉に少しだけ驚くも…何だかんだ気にかけてくれてることを知ってるから、笑みを浮かべて小さくお礼の言葉を言う
無理やり作られた動機ではなくきっと自分自身で乗り越えれるようしてくれただろう、あり得なかった過去はきっと、悪いものではなかっただろう
『――私が"アイラ"の意思を継いでいなくてもそうしてくれましたか?』
少しだけ、イジワルな問いかけ
ぴくりと煙草を持つ手が震えたのを見て、分かりやすいなぁと笑みをこぼす
『私が"アイラ"の意思を継いだこと、知っていたのでしょう?だから私に関わってきた。もちろん"アレン"も』
"アイラ"――愛のノアの意思を継いだ紅蓮と愛結と同じように、"14番目"の意思を継ぐ者もいた
彼女の"感情"――アレンに対するそれはとても複雑なものだ
後悔、懺悔、罪悪感、苦痛、そして愛情――様々な感情が複雑に入り混じっている
どうしてクロス元帥がこの秘密を知ったのかは分からないが、それがあったから自分たちに接触してきたのだろう
『"アレン"が全てのはじまり。だからクロス元帥は彼の師匠となって、今こうして私と話している。でも、私はあなたから受けた感情は偽物だとは思っていません。だから、キッカケはどうであれ私はあなたのこと信じてます、"師匠"?』
打算的なキッカケだったかもしれないが、それでも僅かな期間であっても確かにこの人は"師匠"でいてくれた――それで今は十分だった
「……フッ。暫く見ない間に随分いいオンナになったもんだな、お前は」
『でしょう?』
わしゃわしゃと乱暴に髪を撫でられながら、否定することなく胸を張ると少し笑われた
。
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