関係と態度
年下のデブ二人を軽く叱っていると、肩を叩かれたので振り向く。
振り向いた先にいたのは思った通りマスルールで、僕を呼ぶときの肩の叩き方は二年前と全く変わっていない。
「何ですか?マスルールさん」
「朝飯、もう食べたか」
「あ…そういえばまだ頂いていないですね」
朝はあまりお腹が空かないから、よく忘れてしまう。旅に出て、食べないことが増えたし。
「なら、後で一緒に食おう」
「はい。わかりました」
人とご飯を食べるのも、二年ぶり。二年前までは、毎日マスルールと食べていたっけ。
僕が朝食を抜くことを、彼は極端に嫌がるのだ。
「あの、昨日から思ってたんすけど…」
アリババくんが何か言いづらそうにこちらを見ていた。何だろうと思いながら、その言葉の続きを待つ。
「お二人は、ほんと仲良いですよね?」
どんどん声が小さくなっていって、最後の方は殆ど聞こえなかった。内容はなんとか聞き取れたけど、一体何をそんなに言いづらそうにしているのか理解できない。
ついマスルールと顔を見合わせて、互いに首を傾げてしまった。
見ればジャーファルさんまで、(何がそんなにおかしいのやら)まるで聖母のような微笑みを浮かべていらっしゃった。
「ナナシは初めて来たときから、マスルールに懐いていたんですよ」
「えっちょっとジャーファルさんなにさらっと恥ずかしいこと言っちゃってるんですか」
「事実なんですから。別に恥ずかしがることはないでしょう」
いや、恥ずかしいだろう。そう思うのははたしておかしいのだろうか。
確かに当初私はこのジャーファルさんにまで警戒心をもって接していたわけで、確かにマスルールに対しては全く警戒などしていなかったわけで、確かにマスルールのあとを着いて回っていたわけで…いやまあ、ほんとに、否定できないくらいに事実なんですけれど。
だけどその言い方はあまりにも、誤解を招くというわけで。
「そんなこと言ったら、マスルールさんに迷惑でしょう」
「本人はそう思ってないと思いますよ?ねえマスルール」
ジャーファルさんにつられるようにマスルールを見れば、驚くほど簡単に目が合った。
「…ナナシ、」
なぜだかとてつもなく目を逸らしたい。でもやっぱりできなくて、仕方なく見つめ返す。
「なんですか、マスルールさん」
「前は、さんなんて付いてなかった」
「へ?」
全く予想していなかった展開に、一瞬思考が遅れる。
マスルールが何のことを言っているのか、全くわからなかった。
「敬語もお前が出ていってからだ」
「えっとあの、マスルールさん?おっしゃっている意味がよく…」
「今のお前は、どこか他人行儀だろう」
ああ、道理で。どうして彼が、僕が名前を呼ぶ度に、僕と会話する度に不機嫌になっていたのか、納得した。
とはいえ、これは僕が世界で学んできたことであり、恩人である彼には、やはりちゃんとした態度で接したい。そう思ったからこそのことだ。
「えっと、ですね。あの頃の僕は何も知らなくてですね、年上だとか上司だとか先輩だとか、そういう上下関係とかわかってなくて、だからこそあんなに無礼な態度だったわけで…その、これが本来のあるべき姿というか」
どうしてそれがいけないのだろう。年下に年下らしく接されるというのは、良いことではないか。気分が良いものではないのだろうか。
ちなみに僕も本当は、アリババくんにもアラジンくんにも、モルジアナくんのように敬語で話してもらいたいんだよ。モルジアナくん本当に可愛い。
おっと、話が逸れてしまったね。
「俺は、」
マスルールが強く話し出したので、僕は続ける言葉を見失ってしまう。
長年の経験からか、彼の言わんとしていることが何となくわかってしまって、また目を逸らしたくなる。
「お前にそんな態度をとられるのは、嫌だ」
いつかモルジアナくんがしていたように"ムスーン"と効果音をつけて、マスルールは見るからに拗ねた。
いや、もう何というか、本当に"拗ねた"としか言いようがない。アリババくん達も、ジャーファルさんまでもが驚いている。そりゃあそうだ。
そんな「嫌だ」とか言われても…確かにその表情はレアですけれども、滅多に見れない貴重な表情ですけれども、いかに不服なのかは伝わってきますけれども…でもその言い分は、ちょっと。
「あの、マスルールさん?」
「………」
「ま、マスルールさーんっ」
「………」
うわあ厄介だこの人。思っていたよりも厄介だ。きっと呼び捨てにするまで無視する気だ。…それどころかずっとこの顔続ける気だ。
しかもちゃっかり進行方向を遮って仁王立ちしているから、逃げることもできそうにない。目の前には拗ねたマスルール、背後には未だに何も言ってくれないジャーファルさんとアリババくん達。
痛い。視線が痛い。拗ねた表情のまますっごい睨んできてるって。怖い怖い。目力半端じゃない。視線だけで殺されそう。
「マスルールさん…」
「………」
どうやら他に手はないらしい。
変に緊張してしまって、喉が渇く。僕は今、変な声になっていないだろうか。
「…マスルール」
「なんだ、ナナシ」
ぱっ、とすぐにいつものマスルールに戻る。「なんだ」じゃないよ、呼べといったのはそっちでしょうが。
「ごめんね…ちゃんと謝るから、ゆるしてくれる?」
ああ、嫌だなあ。意味もなく顔に熱が集まってくる。慣れないことをするとすぐこれだ。
「ああ」
でも頭を撫でてもらったのがすごく久しぶりで、なんだかすごく嬉しくて。それがちょっと悔しかった。
「………あれであの二人、付き合ってないんすか」
「ええ、双方恋愛に不慣れですから、中々進展しないようで」
「あれが素のナナシさんなのかい?」
「そうですよ。あれが国を出る前のナナシです」
「俺達に上下関係なんてない」
「…うん」
「歳だってほとんど変わらない」
「…うん、ごめんね」
「……やっぱりゆるさん」
「え!?ちょっ痛い!痛い痛い!潰れる!ほんとに潰れる!」
「二度と俺に気を使うな。あれは、割と傷付く」
「…ごめんなさい」