「見て!!!お母さん!!!」

ドタバタと騒がしく駆ける足音が近づいてくる。バン!と大きな音をたてて扉をあけ、息を切らした惺奈が部屋に入ってきた。

「もう、どうしたの。危ないしご近所さんにも迷惑だから、階段は静かに、歩いて降りなさいって、いつも言ってるでしょう?それからおはようは?ドアだって」
「分かった!!おはよう!次から気をつけるから!ねえ!それより見て!」

惺奈は母の言葉を食い気味に捲し立てると、じゃーん!と手を広げ扉の横に立った。

「なんと!!透夏が!!ついに!!人型を!!とれるようになりました!!」

拍手!と一際大きな声をあげるとともに1人とは思えないほど大きな拍手をおくる。ワンテンポ遅れ、母も娘に負けじと拍手をおくった。透夏は突然の大きな音にビクリと震え、ギュッとズボンの裾を掴んだ。目深にフードを被って下を向いていて、その表情はあまりよく見えない。

「まあ、とってもかわいらしいわね!私に子供がもう1人できたみたいでうれしいわ!」
「でしょでしょ!今日の朝起きたらね!この子がいて!最初びっくりしてね、透夏を探したんだけどいなくて……それでやっと透夏が人型になれたんだって!」

心からうれしそうに語る惺奈の姿を見て、母は目尻が自然と下がっていく。瞳がキラキラと輝いて、放っておいたら何時間でも胸の内の喜びを語っていそうだ。母も、何時間でも聞いていたい気持ちであったが、残念ながら今日は平日。惺奈は学校がある。

「ところで、学校の支度は?もうできてるの?」
「あっ……今してくる!」

はっとして惺奈はまた自分の部屋へと駆け出していった。階段は静かにと言ったのに、と母は苦笑する。そして扉の前の透夏の姿を探すと、既に見えない。駆けていく惺奈にばかり気を取られていたが、いつの間にか後を追いかけていったようだった。ポケモンの姿の時もちょこちょこと娘の後ろについていたが、どうやらそれは人型になっても同じらしい。それに気づくと今度は苦笑ではない、柔らかな笑みが溢れる。

透夏は中々人型をとることができなかった。普通は一年もすれば大抵のポケモンは擬人化することが可能になる、らしい。が、もう透夏を引き取ってから2年も経過していた。母も、また惺奈も不安を感じていた。惺奈たちの住む村の周りには野生のポケモンこそたくさんいたが、“家族"として共に家に住み、暮らしているものはいなかった。野生でも人型はとるが、どの個体がいつ生まれたのかのかは分からない。だから他のポケモンがどれくらいの期間を経て擬人化をし始めるのかを、実際に確かめることはできなかった。擬人化に関することは様々な文献から得た知識でしかない。
ともあれ透夏が無事に人型をとることができて、本当によかった…。最近涙腺が緩んでいるのか、たったそれだけのことに涙まで込み上げてくる。たったそれだけ、されども母にとっても惺奈にとっても、それ“以上"の意味があった。

再び階段からドタバタと音が聞こえてくる。

「ほーら!また走ってる!次から気をつけるんじゃなかったの?」
「ごめんなさーい!私準備出来たから行ってくるね!」
「ええっ、朝ごはんは?」
「だって時間ないもん!一食くらい抜いたってへーきへーき!」
「だーめ、朝ごはんは一日の活力よ!抜いたら痛い目見るんだから」
「う〜…はあい…」

惺奈が席につき、キッチンから朝食を運び出すと、階段からト、ト、ト、と控えめな音が聞こえてきた。

「あ、透夏!」

階段を降りてきたのは透夏だった。惺奈とは正反対に、あまり音を立てず静かで、お行儀が良い。先程と同様に扉の前に立ってフードを深く被り、そわそわと足が動いている。

「ねえお母さん!朝ごはん、透夏の分もある!?」
「そうねえ透夏も人間なのだから私達と同じものを食べるわよね…。急なことだったから3人分はないわぁ…」
「そんなあ……」

そう言った惺奈は今にも泣きそうな顔をしている。透夏も母も、学校には行かないのだから、後から食べても良いのだけれど……と、ここで打開策を見つけた。

「じゃあ、私の分を透夏が食べればいいわ。私は後でもう一度作って食べるから」
「やったー!!透夏!ほら、ここ座って!!」

イスをバンバンと叩いて示す。しかし透夏は未だ扉の前でもじもじとして動こうとしない。どうしたの?と惺奈も不思議そうな顔。
ついに痺れを切らして、自分が扉まで行って透夏を引っ張ってきた。

「もう、乱暴にしちゃ駄目よ?きっと透夏はまだ人間の体に慣れていないから、どうしていいか分からないのよ」
「ふ〜ん、そういうものなのかなあ」

透夏をイスに座らせると、惺奈はいただきます!と言ってようやく朝食を食べ始める。すると、その姿をチラリと見やった後、透夏も食べ始めた。

「あ、透夏だめだよ!ご飯を食べる前は必ず『いただきます』食べ終わったら『ごちそうさま』って言わなきゃ!あとフード被ったままだと食べづらいよ?外しちゃおうね」

フワリとフードを後ろにやると、初めて透夏の顔が顕になった。

透き通るような茜色の瞳は、擬人化しても変わらずそこに存在し、一瞬にして目を奪われる。項の少し下できっちり切りそろえられた髪は、前髪の脇だけ長く、美しい樺茶をしている。女の子と言われても何の不思議もない、サラサラの髪だ。突然フードを外されて戸惑いを隠せないその表情を差し引いても、綺麗、という一言に尽きる。

「綺麗ね……」
「でしょでしょ!私も今朝びっくりしちゃった!」

「………」

「あ、ほら透夏、『いただきます』は?」

透夏は口をパクパクしているが、うまく声が出せないのか、何の音も発さない。

「まあ、今日はとりあえず、いいじゃない?早く食べないと、本当に遅刻するわよ」
「も〜お母さんは透夏に甘いよ〜!」
「ふふ、そうかもしれないわね。惺奈がちゃあんと注意してくれるから、私は甘やかす役に徹しようかしら。」
「それじゃあお母さんが透夏のお母さんじゃなくて、私が透夏のお母さんだね!」
「あらあら」

こうして会話をしている間に、母がいいじゃないのと言ったことで透夏が再び食事を始めていた。食べるときもくちゃくちゃと不快な音を立てず、静かにしている。食器でむやみな音を立てたりもしない。慣れていないと言ったけれど、意外とそんなことはないのかもしれないな、と母は思った。

「ごちそーさまでした!」

「………」

食べ終わった時も、やはり透夏は無言だった。惺奈は何か言いたげな様子だったが、時間は大丈夫?と母が急かすと、むむむむっと納得していないようだったものの、体よりもまだ少し大きく見える鞄を背負い、玄関へと向かった。

「いってきまーす!お母さんちゃんと透夏のこと見ててね!」
「はいはい、分かってます」
「透夏も、いい子にしてるんだよ?」
「………」
「……うー…いってきます」
「いってらっしゃい、惺奈」

惺奈を送り出した母は、ようやく一息つくことができる。朝早く起きるのは少し、少しだけ、疲れることだった。ああ、休む前に今日は自分の分の朝食を作らなければ。

「透夏くん、惺奈のお部屋に戻る?それとも、お料理するの、見てる?」

母は腰をかがめて目を合わせて聞いた。相変わらず、喋ろうとはするものの、その声を聞くことはできなかった。

「怖がらなくていいのよ。あの子、早くあなたとおしゃべりがしたくて、ちょっと焦ってるだけなの。今日無理して声を出さなくたって、コミュニケーションはとれるんだから」

そう言って微笑むと、少し肩の力が抜けたようだ。擬人化した姿を初めて見た時から感じていた戸惑いは、まだ残っているけれど。

「じゃあ、首を縦に振ったらイエス、横に振ったらノーね。お部屋に戻る?」

透夏は首をフルフルと横に振った。

「なら、お料理見てる?」

今度は控えめに、頷いた。

「決まりね!さあ、キッチンはこっちよ。おいで。」

後ろを気にしながら移動していると、透夏はきょろきょろと周りを見回しながらも、ちゃんと後ろをついてきている。

張り切って作りましょう!と疲れを吹き飛ばすように気合を入れて、母はキッチンに立った。


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