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愛してると

「愛してるって言ってみて」

僕の隣に腰掛けて、しばらく黙っていた彼が発した言葉は、衝撃的なものだった。どうしてそんなことを言うのか。僕に何を求めているのだろう。なんと言えばその言葉を言わずに済むのか。ぐるぐると考えていても一向に答えは得られそうになかった。
何の声も出すことの出来ない僕の目を、薄く笑みを貼り付けた彼がじっと見つめている。息苦しい、今すぐ逃げ出してしまいたい。そんな思考が僕の心を塗りつぶしていく。
何か言わねば。それでも僕は必死に考えて、結局満足のいく答えを出すことは出来なかった。

「……い、えるわけ、ない」

震えを抑えるために手をギュッと握りながら絞り出すように出した声はしかし、少し震えてしまった。いつもの無表情を装えていたかどうかも怪しい。射抜くような瞳に耐えられず、目を逸らし俯いた。僕はなんて弱いのだろう。
アデルや他のみんなと一緒に旅をして、少しは強くなった気になっていたけれど、強くなれたのはバトルに関してだけで、心は何も変わっていないのだと、思い知らされるようだった。
−−そう、僕の心は、あの頃と何も変わっていない。それがこんなにも辛いなんて。
最初は弔いのような気持ちだった。アデルの屋敷にいなかった時点で、もうきっと彼は生きていないだろうと思っていたから。死ぬまで永遠に彼を想うことを、どうか許して欲しいと、毎日それだけを願って生きてきた。そんなこと、許されることではないと分かっていた。彼は僕が殺したも同然だった。僕が何をしてでも耐えなければいけなかった苦しみを、僕の心が弱かったせいで彼に押し付けてしまった。
それでも。
それでも僕は、どうしようもなく彼を愛していた。想いを捨てきれなかった。失ってからより一層、強くなるばかりだった。研究という仮面をかぶった陵辱に耐えられず、死にたいと思う気持ちよりも、強い想いだった。僕が殺した彼が、僕を生かしていた。

「どうして言えない?」

彼の平常よりも低い声にはっとする。怒っている。僕が、怒らせた。
どくん、どくんと胸が騒がしい。彼に正直に”愛してる”と言えたら、どんなに良かっただろう。いつだって僕の心は彼に愛を叫んいるのに。
泣きそうになるのをなんとか堪えて、首を横に降る。今の僕にはそれが精一杯だった。

「どうしてって聞いてるのに、それも言えないんだ?……やっぱり、俺の他に操立ててる子でもいるんじゃないの?」

きちんと声が出せないせいで、誤解されてしまう。嫌だ。違う。そんなんじゃない。僕は、僕は……!

「ち、が……」

声に出して否定した瞬間、堪えていたものが決壊した。いけない、と思いながらも、自分でコントロールできるようなものでないことはよく分かっていた。
横からはぁ、と大きなため息が聞こえて、ビクリと肩が震える。そして続いて聞こえてきた言葉から、誤解はさらに進んでしまったことを知った。

「泣くほど言いたくないんだ。……そう。なら、もういいよ」

目の前が真っ暗になる。視界はグラグラと揺れ、歯がカチカチと鳴った。今にも吐いてしまいそうな程、嘔吐感がこみ上げてきた。そんな僕に構うことなく、彼はこう続けた。

「悪いけど、今日は別の部屋で寝てくれる?適当に。……ああ、でも、明葉クンはいないし、他はみんな女の子だよね、ホンモノの」

言葉がグサグサと刺さる。実態はないはずのそれらは、まるでナイフのように突き刺さり、桜弥の体中を抉った。
僕のことは、もういらないのだろうか。でも、今日は、ということは、明日は?或いは、明後日は?……分からない。何に対して”もういい”なのか、その真意を質すこともできない。

「……ごめ、その、私、もう行く、から」

一人称を間違えなかっただけでも褒めて欲しい。涙を隠すことも体の震えを止めることもできないままだったけれど、なんとかそれだけを言って、フラついた足取りで僕は部屋を出た。


引き止める声は、なかった。


行く宛もなく、それでも建物からは出ずにさ迷っていると、物置のような、使われていない部屋を見つけ、施設の人に許可を得ずにいることに罪悪感を感じながらも、中へ入り夜を明かすことにした。
1人になると、涙こそ止まったものの、震えは止まらず、ズルズルと壁を背に床に座り込む。はぁ、はぁ、と走ったわけでもないのに吐く息は荒い。ホコリっぽい空気に噎せそうになるけれど、なかなか治まってくれない吐き気をやり過ごすため、無理やり飲み込んだ。
ひんやりとした心地良い部屋の空気とは反対に、頭の中は彼の言葉が繰り返し鳴り響き、ぐわんぐわんと痛んで熱かった。底冷えするような”もういい”という言葉に、心も体も蝕まれていくようだ。
僕は、どうしたらよかったのか。
言いたくない自分の気持ちなんて無視して、空っぽの”愛してる”を言えばよかったのだろうか。彼はそれで満足してくれたのだろうか。
……分からない。僕に理解出来ることは、彼が分からないということだけだった。なんという皮肉だろう。こんなに辛いのに、どうしたって愛しいことが、不思議でならなかった。
誰もいないからと、一滴の涙と共に零した言葉は、闇に吸い込まれて消えた。


***



パタン、と扉の閉まる音を聞いて、深い溜息を零した。ほんの出来心で訊ねたことだったが、結果的に彼を泣かせてしまった。言い訳をすれば、彼がそんなにその言葉を大事にしているとは思わなかったのだ。
……泣くほど嫌、か。
ただぼうっと、彼の出て行ったドアを見ることしか出ない。ソファに手をつくと、ついさっきまで彼の座っていたそこは、まだ温もりを感じることができて、一層心を沈ませた。
心からその言葉を言ってもらえるはずなどないと、分かっていた。他に好きな人がいることも。時々見る、上の空になっては無表情を僅かに曇らせ、何かを考えている姿。みんなといる時に見ることもあるにはあるが、俺と2人の時の方が、格段に多かった。つまり、そういうことなのだろう。
彼に想い人がいることを分かっていながら、彼をこんな悪趣味な縛り方で俺に縛りつけている。一言で言ってしまえば、最低だろう。
もう充分じゃないか?
そう思う自分も、存在していた。確かに俺は彼のせいで大切なものを失ったけれど、彼も、そうなのではないかと疑う気持ちがあった。あんな手荒な真似をする連中が、俺達の居場所を言った程度のことで手を引くとは考え難い。命はとられなかったようだが、彼も何かしらの仕打ちは受けているのだろうと。そんな考えから目を逸らしてきたのは、紛れもない自分自身だった。だって、仕方が無いだろう。彼を恨まずして、この憤りを誰にぶつければよかったのか。どうしたら、楽になれるというのだろう。
俺は、きっと、悪くない。
自らの間違いには蓋をして、もう考えたくないと、別のことに思考を集中させる。
彼の……、想いを寄せる相手。一体誰なのか、全く想像ができない。今共に旅している誰かか、はたまた屋敷に残っているらしい誰かか。
そもそも、彼のそういった対象がどちらの性別なのかも知らない。普通は女の子だと考えるのが妥当だろうが、あの格好に一人称だ。どちらなのか、俺には検討もつかない。
−−イライラする。
誰かも分からない彼の想い人を想像すると、喉元に噛み付いて喰いちぎってしまいたい衝動に駆られる。思考を逃がす先を間違えたと気づいたが、ふつふつと湧き上がる苛立ちを止める術はない。
無意識に頭を掻き毟り、抜けてしまった毛を見てほんの少しだけ冷静さを取り戻すが、それも焼け石に水でしかない。
言えるわけないと、はっきりと拒絶されたことが堪えている。大抵のことは従う彼からの言葉は、思った以上に深く突き刺さっていたのだ。
本当は、気づいていた。”愛してる”と言いたいのは自分の方だと。それを告げることも出来ないまま彼に拒絶され、何もかも失った気になっている。
初めから分かっていたことじゃないか。自分を見てもらえないことなんて。俺がああいう方法をとった時点で、愛し合う未来など崩れ去っていた。或いは、彼がいなくなったその日に。
だんだん目を逸らしきれないほどに大きくなる彼への想いを、……失ったはずの想いを。胸に抱きながら、独り言ちた。


「「こんな恋でも、捨てられない」」


奇しくも重なった2人の声に、気づくことのできる者は、誰一人としていなかった。






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