『今日』を『京』で『狂』と



山科駅で電車を降りて徒歩5分。

新築物件のキャッチフレーズにもなりそうな距離を歩いて辿り着いたのは、もう随分と使われていない、古びた旅館。
そこが、先生の家だ。
重い鞄を肩にかけ直し、今にも倒れてきそうな戸を軽く叩く。先生、と読んでみると少しして戸が開かれた。

「ああ、君でしたか」

鍵はかけてなかったのか、それなら勝手に入っておけばよかった。

「はい、お久しぶりです、先生」

と言っても、僕が前に来たのは一カ月前程度。
それでも社交辞令というやつで、僕が軽く頭を下げると先生はいつものように家へ入るように促した。
驚くことに、先生の家は意外と片付いていた。
前に僕がここを訪れたのは一カ月前だが、たかが一カ月、されど一カ月。
つまり、それだけあれば完璧に掃除をした家を再びゴミ屋敷にするのは先生にとってはいとも容易い。
むしろ時間が有り余るくらいだろう。

「雫さんが数日前に訪ねてきてくれましてね。その時についでにと掃除をしていってくれたんです」

ああ、なるほど。そういえば僕にも、京都に用事があるからと言っていたような気がする。あれは確か二週間前くらいだったか。


時雨雫――――僕の中学時代からの友人で、先生の妹だ。(決して僕の恋人なんぞではない。これは必ず間違えないでもらいたい。)
ちなみに妹と言っても彼女と先生は本当の兄妹ではなく、両親の再婚によって出来た義兄妹らしい。
これは先生と僕が初めて出会った時、本人から聞いた話だ。


僕は一カ月に一度、京都にある先生の家に掃除をしに来ている。
だけどそれはバイトとかそういう金銭的な理由ではないし、ましてや属にいう精神異常者である先生に対する同情や哀れみなんかでもない。
ただこれは、数年前に暗黙の了解で決められた、義務のようなものだ。
何故僕が先生の家を掃除するのか、その理由は話すべきではないと思っている。
過去は振り返るべきではない。それが僕の持論だ。

「掃除したのは全部ですか?」

「ええ大体は……あ、寝室は掃除してなかったような」
 
よりによって寝室か。
雫め、一番大変なところを僕に残していったな。
心の中で毒づきながら、僕は持参したゴミ袋を持って寝室へと向かった。
確か寝室は廊下の一番突き当たり、だったはずだ。








□■□■□







案の定、寝室は一面ゴミや埃で溢れていた。
先生の家は基本的に足の踏み場もないくらい汚いが、寝室は特に汚い。それは腐海と例えても言い過ぎではないくらい、だ。
全く、僕だったらこんなところで寝るなんて考えられないのに。

典型的な日本家屋に似つかわしくない簡易ベッドの上には、ボロボロに切り裂かれたぬいぐるみがいくつも転がっている。
その中には恐らく、というか絶対その行為に用いられたであろう、大きな工具用の鋏も混じっていた。
僕はそれに何も言わずそれらをゴミ袋に突っ込んでいく。

大まかなゴミ(ほとんどはぬいぐるみだ)をゴミ袋に詰め終えた後、部屋の隅に待機させておいた掃除機で床に溜まった埃を取り除く。
といっても実際に掃除機が吸い込むのは埃よりも綿の方が多かった。
すると、ふと、ゴミ袋の中に移ったぬいぐるみの山の中に銀色が見えた。
また刃物かとも思ったが、それにしては小さい。
ゴミ袋を漁ると、そこにあったのは鈍く輝く銀時計だった。古いものなのか、所々に赤錆が付いている。
捨ててしまおうかとも思ったが、この部屋にあるということは先生の私物に違いない。
仕方なく、僕はそれを拾い上げ、先生の元へ向かうことにした。
この時間なら、居間か、あるいは書斎か?
そう思って廊下に出ると、どこからか物音が聞こえた。
僕は「ああ、そうか」と呟いてある部屋の前で足を止める。書庫、だ。

「先生?」

戸を開くと、入り口のすぐ近くに先生が座り込んでいた。
先生の手にはまだ真新しい一冊の本。

「どうか、しましたか?」

先生が本に目を向けたまま問う。

「寝室にこれが落ちてたんですが」

僕が銀時計を取り出すと、先生は読みかけの本を閉じてそれを受け取った。

「ああ、これは彼女の形見です。失くしたと思っていたのですが……寝室にあったんですね」

彼女、というのは三年前に亡くなった先生の奥さんのことだ。
妻を思い出しているのか、懐かしそうに銀時計の縁を指でなぞる先生から目をそらし、僕は書庫の床に目を向ける。
床には何冊もの分厚い本が積み重なっている。
全部、表紙も帯も付いた新品だ。

「新しい本、買ったんですね」

「ええ、気に入った本がいくつか入っていましてね」

「へえ」

軽く相槌を打って、僕は本棚から適当に一冊本を取り出す。表紙に書いてあるタイトルは《殺人鬼》。
他の本の背表紙も眺めてみるが、うん、本当に趣味が悪い。
多分、床の本も全部同じように悪趣味な類のものばかりだろう。

「ところで、掃除は終わったんですか?」

「ああ、一通りは。あとはゴミ出しだけです」

「そうですか、じゃあゴミ出しも終わったら居間に来てください。折角ですから、お茶くらい出しますよ」

はい、と僕が返事をすると先生はいつものように、穏やかに微笑んだ。







□■□■□








あの後ゴミ出しを終え、茶と菓子をご馳走になった僕は、ゴミ袋やら使い捨ての掃除道具が無くなって幾らか軽くなった鞄と共に帰路についていた。
折角京都に来たんだから一泊しようかとも考えたが、生憎明日は正真正銘のバイトが入っている。
時計を見ると時刻は十七時三十二分。僕が乗る電車が来るまで、まだ三十分あった。
何もせずに待つにしては長いし、何処かぶらつくにしても少し短い。

じゃあ――――少し、昔話をしようか。





冒頭で過去は振り返るべきではないと言っていたが、あれは時間に余裕がない時だ。
わざわざ意識的に自分の嫌な過去を思い出す必要はない。
だけど、本当に何もすることがない時は別だ。
それに、昔といってもそんなに昔のことでもない。
たった四年前、僕がまだ高校二年生の時の話だ。











単刀直入に言おう、僕は人を殺した。











殺したのは僕の通っていた学校の英語教諭。
四年前の夏、僕は彼女を校舎裏に呼び出し、家庭科室から持ち出した包丁で彼女を刺殺した。
別に彼女に個人的な恨みがあったわけじゃない。僕は英語は得意な方だったし、彼女の授業も割と好きだった。

それならば何故、僕は彼女を殺したのか?
人が死ぬ瞬間を見たかった?人は刺しただけで死ぬのか確かめたかった?そんな理由じゃない。
『人が目の前で死ぬのを見て、その人を殺した奴がどんな気分になるのか知りたかった』。
ただ、それだけだ。

勿論その後、警察の捜索が始まった。
包丁は全く同じものを買って家庭科室に戻した司教木の方は指紋を完全に拭き取って近くの空き地に埋めた。
アリバイも完璧に用意した。
それなのに僕は、そのうちすぐに捕まるんじゃないかと怖くなって、毎日に怯え、隠れるように生きていた。




そんな時、先生は僕の前に現れた。




雫の義兄だということは、すぐにわかった。
家に遊びに行ったときに何度か顔を合わせたことがある。
だけど、その頃の僕と先生の接点といえば、それくらいだ。

――――助けてあげましょうか?

先生はただ一言、そう言った。
今考えたら何故先生は僕のやったことを知っているのか不思議だけれど、その時の僕はただ必死に、差し伸べられた救いの手に縋り付くしか術が無かった。
そしてその次の日、先生は自分の妻を僕がやったように刺し殺し、警察に出頭した。
そこで先生はもう一人殺したと証言し、二件の殺人事件の容疑者として、一度捕まった。
幸いなことに、僕が殺した女教師と先生の奥さんには微細ながらも共通点があった。

そうして、先生は、僕の罪を代わりに被ってくれた。
一度拘置所に入れられた先生は、自室で発見された刃物で切り裂かれたぬいぐるみと、僕が埋めたはずの凶器を警察に発見され、これらの事件は精神異常者の起こした事件として無事に処理された。
本来精神異常者が罪を犯した場合は警察管轄の精神病棟に入れられるが、先生は初日に持ち込んでいたカッターで室内のベッドやカーテンをことごとく切り裂いて、結果として警察の監視下である今の家に住んでいる。
何故先生に割り当てられた家が、東京ではなく京都なのか。
それは先生が作ったこの事件の原因が東京にあるからだ。



先程僕は、女教師と奥さんに共通点があったと言った。
小さいながらも大切な、貴重な共通点。それは、僕の友人であり、先生の義妹である、雫だ。
殺された二人はどちらも、のことをよく思っていなかった。
雫は殺された女教師担当の英語の成績だけがずば抜けて悪かったから女教師には嫌われていたし、先生の奥さんからは先生と血の繋がらない妹という微妙な立場から、少し疎まれていた。

そう、だから二人は殺されたのだ。

僕も先生も、どうせなら人のためになる殺人をしようと考えた。
だけど人のためになる殺人なんて、そんなのあるはずがない。でも、自分の大切な人が少しでも幸せになるようにしたかった。
僕と先生の場合、その大切な人が偶然一致していただけだ。
これは当たり前だが、この事実を雫は知らないし、知るべきではないだろう。

先生が精神異常者を装って未だに人形を切りつけるのは、すべて演技だ。
事件から四年経った今も、何時何処で誰が見ているかわからない。
だから先生は演技を続けるし、僕はそんな先生の世話をする健気な青年を演じる。今までも、これからも、ずっとだ。
だけど僕は先生のおかげで今を生きているのだから、全く後悔はしていない。



狂っているのは僕か、それとも先生か。はたまたどちらもか。
それは、誰にもわからない。わからなくていい。わかる必要は無い。
まるで自分に言い聞かせるかのように、僕は繰り返す。
その時、丁度ホームに電車が到着した。
僕は人の少ない後方車両に乗りこみ、窓の外を見た。
ホームの隙間から、夕暮れに染まった京都の空が見える。













ああ、今日も空が綺麗だ。











*****


2011年度校内小説・詩歌コンクール応募作品。
削りに削ったらよく意味がわからんくなった。




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