夜明けと彼女の必要性



あれから、既に三日が経っていた。

誰もいない山道に、腰に差した太刀のカチャカチャという音が静かに響く。
下人が黙ったまま夜空を見上げると、そこには美しくかつ不気味に輝く大きな月が一つあった。
何故下人がこんな何も無いところにいるのか。それは本来言うまでもない事なのだが、念のため説明しておこう。


下人は老婆から着物を剥ぎ取り、羅生門から逃げ出した。それが、三日前だ。
その後下人は悪人になろうと決意し、いくつかの空き家に忍び込んだが、その行動は全て失敗に終わっていた。
それからというもの、京都の街中で稀に見かける検非違使の役人の目が怖くなり、その緊迫した日常に耐えられなくなり、下人は京の都を出ることを決意したのだった。
役人を恐れ、一番大きな街道は使わずに脇にある獣道を通る。
普段人が使わないせいか、道という道はなく草木が生い茂って、視界も悪かった。
もうこれだけ休まずに歩いているのだから、京からはとっくに出ているだろう。
しかし、下人は一抹の不安を拭いきれず、再び歩を進めた。



するとその時、前方の草むらから物音が聞こえた。
徹夜続きのせいか、もしくはあんなことがあったからか。
どちらの理由かはわからないがいつもより神経が研ぎ澄まされている下人は、腰の太刀に手をかけた。
草むらから聞こえてくる音は不規則で、少なくとも役人ではないことが分かった。
それでは、野生の狼か野犬だろうか。
しかし今日があれだけ荒廃しているのに、その周囲の土地の生物は無事なのか。そこまでは理解できなかった。
下人が太刀を構えたまま思案を巡らせていると、突然その草むらから何者かが飛び出してきた。





 ギィッッッッン……





「っ!」



静かな山道に、金属同士がぶつかる音が響く。
下人は自分に向けられた日本刀を、自らの太刀で防いでいた。
もう一瞬反応が遅れていたら、腕の一本くらいは持って行かれていただろう。そのくらい、相手は速かった。
相手は少し汚れた白い布を身にまとっていた。
顔も同じ布ですっぽりと覆われていて、確認することができない。
これが昼間だとしたら少しは見えたかもしれないが、辺りは真っ暗闇。
向こうは月の光で下人の姿を把握しているらしいが、下人からは逆光になっていてそういうわけにもいかなかった。
相手が下人から一旦距離を取り、再び刀を打ち込んでくる。
その構え方は全く型にはまっておらず、まるで獣のようだった。
何度か攻撃を受け止めた後、下人は既に自分の息が上がっていることに気付いた。
今まで何人もの君主に仕えてきたのだから、剣の腕には自信があったつもりだ。
しかし、やはり徹夜続きだからか、少なからず動きが鈍っている。
襲い掛かられてからこれだけ動けたのは、アドレナリンのおかげだろう。
足のほうはまだ何とか動くが、もう腕が限界を超えていた。今にも太刀を落としてしまいそうだ。
先程から、相手の打ち込みを避けるだけで、真正面から受け止めきれてない。
すると向こうもそれを察していたのか、下人の一瞬の隙をついて、懐へ飛び込んできた。
しまった、と思った時にはもう遅い。相手の日本刀の刃は、下人の左腕へと食い込んでいた。
鋭い痛みに下人が眉間に皺を寄せる。しかしそれと同時に、下人の頭の中を一つの疑問がよぎった。




出血が、少ない。




相手の動く速度は、普通の人間に比べると尋常ではない。しかし、その速度で切られても、腕が切り落とされることはなかったのだ。
相手が手加減したのかとも考えたが、それはあり得ない。
となると答えはただ一つ。相手の力は、速度と正反対に異常に弱いのだ。
そうとなれば話は速い。幸いにも、相手は下人の懐にいる。
下人は、残りの少ない力を振り絞って、太刀の鞘で相手の腹を勢いよく殴った。
鳩尾に入ったのか、先程までとは違う、鈍い音が響く。
すると相手は手から日本刀を取り落とし、ズル、とその場に倒れた。完全に気を失っているのか、ぴくりとも動かない。
少ししゃがんで相手の首に手を当てる。
しかし脈は正常だ、死んではいない。
生きている、という事実に、下人は安堵のため息をついた。

「……こんなに小さかったのか」

改めて相手の姿を確認すると、その体躯は下人よりも遥かに小さかった。これなら、力が弱かったのも頷ける。
気がかりなのは、顔を隠すように覆う白い麻布だ。
下人は少しためらった後、その顔の布をはぎとった。






■□■□■






そいつが目を覚ましたのは、一刻後のことだった。
起き上がるや否や、辺りを見回して自分の日本刀を探しているあたり、警戒心が人一倍強いようだ。

「探しているのは、これか?」

下人が脇に置いていた日本刀を見せると、そいつは目を獣のように光らせて飛びかかってこようとした。
しかし、先程まで自らの顔を覆っていた布がないことに気づいて、慌てて身にまとっている布でどうにか顔を隠そうとするのに必死で、もう日本刀のことなどはどうでもいいようだった。

「顔なら、隠そうとしても無駄だ。もう全部確認した。」

下人の言葉に彼女は固まる。
そう、一刻前、下人を突然襲ったのは――――まだ年端もいかないような、女児だったのだ。
女児の顔、正確には左の眉あたりから同じく左の頬にかけて、刺青がつけられていた。
あの刺青は下人も見たことがある。確か遠く北のほうの罪人の子供に付けられる印だ。
その印をつけられた子供は、どこに行っても迫害され、家畜同等の扱いをされるという。
彼女はそれを見られたくないだけに、顔を隠していたのだろう。

「お前、北の方の生まれか」

「……」

念のためにと下人が彼女に問う。
しかし女児はうつむいたままで答えようとはしなかった。おそらく、自分が罪人の子供であることを知られるのが怖いのだろう。
だが、だからといって下人も突然襲い掛かられた身。
このまま何も聞かずに放っておくわけにもいかなかった。

「お前のその刺青、罪人の子に付けられるものだろう?」

「……」

「親は、罪人だったのか?」

「……」

下人の率直な質問に、女児が少し顔を上げる。
すると彼女は口を閉じたまま、首をゆっくりと縦に振った。
そしてその後も下人が女児にいくつか質問をしたが、女児は首を上下に振るだけで、かたくなに口を開こうとはしなかった。
女児は、親がどちらとも罪人で、赤子の頃に捕まり、印を付けられたようだ。
両親が共に死罪となり、一人残された彼女は行く先々で罪人の子として迫害を受けてきた。
その証拠に、よく見てみれば彼女の腕や足には大きな痣や打ち身、生傷が絶えない見えるところでこれなのだ。服で隠れて見えないところには、もっと多くの傷があるのだろう。
そんな家畜同様、いや、家畜以下とも取れる生活に、耐えられなくなったのだろう。
物心ついた彼女は、死んだ親の形見の日本刀と身一つでここまで逃げてきたのだと言う。

「……そう、か」

女児の話を一通り聞いた下人は、それだけ呟いて、立ち上がった。それに、女児がびくり、と震える。
遠く離れた土地でも、罪人の子。ましてや人を襲った身だ。
この場で切り捨てられるとでも思ったのだろう。

「……案ずるな、殺しはしない。ただ、もう攻撃してくるなよ」

そう言われた彼女は、少なからず驚いていただろう。
しかし下人にとってはそんなことはどうでもいい。自分の邪魔をされなければ、いいのだ。
下人が来た道とは逆の方向に歩き出す。
一刻も早く、もっと京から離れなければ――――すると、突然袴の裾が引っ張られた。
見るとそこには日本刀を反対の手で握りしめたまま、じっと下人を見上げる女児の姿。
生きることに必死なのだろう、彼女の瞳には、幼さに交じって、いろいろな感情が混じっているような気がした。




「付いてきたければ、勝手に付いてくればいい」



何故、そう言ったのかは、わからない。
三日前、あの羅生門で死にかけの老婆を突き倒したように、しようと思えばできただろう。
死に掛けの老婆と行きずりの女児、大して変わらない。
しかし、どうしても出来なかった。
理由は下人にもわからない。本人がわからないのだから、他の誰も、その答えはわからないのであろう。
そう、そして彼らの旅の結末も。

だが、それこそ下人にはどうでもよかった。
ただ、今は後ろから聞こえてくる小さなか弱い足音へ耳を傾けながら、下人は歩き出した。















空が白んできた。もうそろそろ、夜が明ける。















*****


現国提出課題。
芥川龍之介作『羅生門』の続編創作物。





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