+++なければなし

「ちょぉぉ〜〜と、たんま!待て!」
ここの部屋の主である、武藤家の長男である
徹が焦り交じりに言った。
明朗快活な彼にしては、珍しい叫び声に近い。
部屋の主であるのだから、徹が良しとすれば
大声をあげる事に問題はない。
だがしかし、その大声を受けた相手は
それこそ、不機嫌極まりない顔をした。
「なんで?」
線が細い体。
中性的なものと、少年独特のラインを残した相手は
いくら整った顔立ちでも、男であるのには変わりない。
もはや、ドスでも聞かせているのではないか。
と思わせる声で、睨み付けられれば
自分が悪い事でもしたのかと思ってしまう。
ふるふると、滞りそうになる思考をフル回転させ
徹は両手を伸ばした。
「夏野、よ〜〜く見ろ。おまえの前にいるのは?」
「徹ちゃん……どこか、頭でも打った?」
頭でも打って、お馬鹿さんにでもなったのか。
そう言外に含んだ言葉は、冗談ではなく本気で。
これが、正雄であったならば、口論が始まっていただろう。
口論と言っても、正雄の一方的な言葉の嵐であろうが。
生憎、徹は他人の負の感情に鈍いのか、
年上である落ち着きとでも言おうか、
本気で罵っている訳ではないと解っているのか、
否、それ所ではないのか。
大して怒る事はなく、じぃっと子供を窘めるように
その相手、結城夏野を見た。
「なぁ、夏野。おまえは、男の俺から見ても
美人さんだと、思うよ」
「そうか? おまえも」
「あ〜〜〜!!! たんま! いやいや、
ほら、俺、男だ! 男の子です! 夏野くん!」
ベッドの片隅、窓辺に背をやるように座る
徹の前に夏野がいる。
伸ばされた徹の両手は夏野の肩を掴み、
その腕を夏野の手が握り、距離を縮めようとしていた。
華奢に見える相手であるが、相応の力はあるらしく
こうやって、今の体制を維持するのが、やっとであった。
年上である徹ならば、簡単に突き飛ばす事は本当は可能である。
だが、本能的なものなのか。
手加減をしてしまっている事と、夏野が体重もかけている事も
起因して、今の均衡が保たれていた。
今、ここで、腕の力を抜けば――
「だから? 言ったのは、徹ちゃんだろ?」
些細な、何気ない話だ。
弟を揶揄うような、そんな調子で聞いたのだ。
――なぁ、夏野。キスしたいって子いる?
その一言で、その一言でだ。
こんな状態になっていた。
「夏野、その、言いにくいのだが、そういう」
じろりと睨まれた。
それこそ、殺気立っている。
普段ならば、軽く流せるものが、とても怖い。
向こうも、本気であるからだ。
「えっと…だな。やっぱり、さ。
キスとかはさ、好きな人とするものだと思うんよ」
何を言っているのだろう。自分は。
実際感じていた事だったのに、口に出して言うとなると
また別ものなのだろう。
徹は今すぐ、ゲームに没頭するか、
村を全力疾走で一周したい気分になった。
「徹ちゃんは、優しすぎて
どうしようもない、お人好しの馬鹿だよな。
俺は、好きだけど」
会話の延長線上にさらりと、夏野は言った。
それは、軽いものとして、ではなく。
当然の話で、それは既に前提として
行動をしている証拠であった。
「徹ちゃんは、俺が嫌い?」
「嫌いなわけ、ないだろ」
即答している自分に、徹は少し驚く。
「だったら、問題ないだろ」
「いや、ある。ものすごく、ある」
同姓で、キスなんて。
問題がありすぎだ。
「徹ちゃんは、なし、なのか?」
冷ややかな眼差しは、透っている。
夏野という少年。
年上である徹も驚くほどに、潔よい。
あれば、ある。
なければ、ないのだ。
年上として、弟のように可愛がっている夏野に
ここはちゃんと、言うべき言葉がある。
「………う、」
呻き声は、徹のものだ。
上目づかいで、少しだけ潤んでいるような眼差しで
夏野が徹を見つめた。
素なのか、それとも計算か。
それは解らないが、徹にとっては効果は覿面であった。
「なし、じゃ……ないが、」
答えた瞬間、ふわりと微かに夏野が笑った。
あのいつでも、クールな夏野がだ。
年相応の、爽やかで柔らかい微笑みを。
脈動が急に早まり、両の手の力は抜けていた。


「うぶっ!?!」


たぶん、いや、間違いなく。
歯がガチンとぶつかった。
痛みに呻くよりも、相手も痛いだろうに
唇は簡単に触れて、深いものになった。
「…っっ……んっ〜〜、んっ、」
癖のある髪を、もがく徹をあやすように
夏野が撫でる。
脈動が聞こえる。
早い。
熱い、熱い、熱い。
何が、体が。
閉じそうになる瞳を徹は辛うじて開いて、
その霞む視界いっぱいに夏野が映る。
柔らかな頬のライン。
さらっと絹髪が鳴る。
「……はぁ」
吐息は、どちらの、ものか。
体温が低いと思っていた夏野の体は熱かった。
あ、睫毛、長いんだな……
そんな事を片隅に。
鼓動の音が耳奥で響き、煩いはずであるのに
心地がよかった。
それは、そうだ。
俺だけ、じゃない。
思ったのは、きっと徹も、夏野もだろう。
逢う視線の、目元が赤い。
息が苦しくなりはじめる前に、薄く開いた唇から
舌が入り込んできた。
震え上がる体に
首に回される腕は、奪うというよりは、甘えるような。
そう思えて、徹は力を抜いた。
手をそろりと、その細い腰に回す。
行き場をなくしていた手が、
居場所をみつけたかのようだった。
「……っ…な、つの」
唇が数ミリだけ、離された。
煌く、その深い色の瞳に、徹自身が映っている。
「名前…っ……」
呼ぶなと、言おうとしたのだろうか。
再び、唇があわさる。
体の力が抜けて、次には背中に布団の感触を感じた。
擦り寄ってくる体は、柔らかい女性のものではない。
けれど、それに微塵も嫌悪を抱いていない
自身に徹は気づいていなかった。


ドタドタドタドタ



「夏っちゃ〜ん! 兄貴〜〜!!」
ここは、そう。
ど田舎だ。
鍵をしめる習慣はなく、
そもそも徹の部屋の扉に鍵はない。
「勉強教えて、って、あれ?? どうしたの??」
部屋に入ってきたのは、徹の妹、葵だ。
「あ〜〜、えと、何でもないぞ〜」
いつもの笑顔を浮かべる兄、徹。
しかしだ。
どこか息が上がっており、笑顔も若干、不自然だった。
ベッドに腰掛けている兄と、突っ伏している兄の友人、夏野。
笑顔を浮かべている兄とは対照的に、夏野の方からは
不機嫌なオーラーが出ていた。
あくまで、その不機嫌の矛先は、葵ではなく
全面的に徹へと向けられているが。
「ナツ、なんか怒ってるみたいだけど。
兄貴、また何かしたの?」
「へ!? 何もしていないぞ!
なぁ〜、夏野!」
「…………」
むくりと起き上がり、徹を夏野は睨みつけた。
「ああ……まだ、何もしていないな」
小首を傾げる、葵だったが
いつも見ている風景が、夏野を怒らせる兄の姿
――とは言っても、
じゃれあっているようにしか見えない―
だったので、あまり問題としなかった。
「何かしようとしたの?」
「あ〜〜!! 新作のゲームをな!!」
話題を転換させようとしている徹を
睨みつける夏野だったが
思えば、珍しいではないか。と気づいた。
次には、クツリと笑う。
美人であるが故、似合う笑い方であり、威圧があった。
「次は、逃がさないから、な」

どうにも、取れる、言葉を囁かれた。
ドクンと跳ねた心臓は
何の感情からか。

なければ、無し。
あれば、在るのだ。




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