芳香
-
がやがやと城の中がにわかに騒がしくなる時それは大抵団長一行の帰還を告げていて今回も例に漏れずのようだ。
その喧騒を少し遠くに聞きながらルオ・タウは着々と準備を進め手を動かしている。
事前に厨房から拝借してきた器に仕上がったばかりの珈琲をそそぐと長の好みに合わせて砂糖とミルクを多量に注ぎ込んだ。
ランブル族の商人から仕入れた他世界の菓子も少しばかり用意して目を通してもらわなければならない紙や地図やを整え、それらを全てやり終えた所に疲れきったリウ・シエンが部屋へ入ってきた。
この場合リウ・シエンがタイミングよく帰ってきた訳ではなくルオ・タウがタイミングを合わせて準備をしていたりする。
「お疲れ様でした」
「ホントだよもー、キツすぎ」
モアナの引き受けている依頼の中のひとつとやらを請け負ったもののどうやら骨の折れるものだったようだ。
そんなリウ・シエンに近づきその肩にルオ・タウが右腕を回すも反論や拒絶はない。
「何か甘いもん食いたい…」
「準備は出来ている」
会話をしながら自然な流れでルオ・タウは少し体をかがめて左腕ですくい上げるような仕草をする。その仕草にリウ・シエンの両足がさも当たり前のようにすくい上げられた。
端から見なくてもルオ・タウの両腕に抱えられているリウ・シエンはもう疲労困ぱいだといいたげにだらだらするばかり。
そうこうする内ルオ・タウは椅子に到着してごく自然な所作でそのまま腰を下ろした。リウ・シエンは腕の中に収めたままだ。
「あ、これ初めてのやつだな」
うれしそうに言いながらリウ・シエンは手を伸ばして菓子と珈琲のカップで両手を塞ぎ味を堪能し始めた。
「珍しく手には入ったものだと言うのでそれにしたんだが」
「うわ、うまっ!これめちゃくちゃうめー!」
「それは良かった」
会話だけ聞いていれば何の違和感もないが姿を見れば違和感しかない。
しかし当人達にはなんの違和感もない様子でリウ・シエンはお菓子と甘い珈琲を堪能しているし、ルオ・タウは左腕を足の下から抜きその手で彼に目を通して貰う紙を見やすい位置に動かしている。
その時ふとルオ・タウは嗅ぎなれない香りに気付いて少し首を傾ぐとリウ・シエンの首筋に顔を埋めるようにして寄せた。
「え、うわ、なに!」
突然の事に流石に驚きを隠せないリウ・シエンが僅かに声を高めると顔の位置は変えないままちらりと視線だけを彼に向けてルオ・タウが小さく口を開く。
「長、何か不思議な香りがするのだが」
そう言うルオ・タウの息が首筋に触れてくすぐったいったらないし視線だけをこちらに向けてくる表情には少々背筋がざわつく気がしたものの、問いかけには思いあたる答えがあったのでリウ・シエンは身をよじってごそごそとポケットを探った。
「多分これのせいじゃないかな?」
「これは…」
「ミックスハーブ、いつでも使えるようにって渡されて持ちっぱなしだったんだ」
そういえば医務室の取り扱いの品の中にそんなものがあったとルオ・タウは思いたった。その香りで癒しの効果をもたらし魔力の回復を促すのだと聞いたような気がする。
「なるほど、それで香りが移ってしまったということか」
「そーそーって、わ、こら、嗅ぐなよ!書類が見れないから!」
「それはすまない」
納得してもまだ顔を上げないルオ・タウにリウ・シエンが少しばかり語気を強めるとようやく顔を離してくれた。
かと思えば用意してあった紙束を手に取り長の腿の上へと移動させてしまう。
「これはどーゆー意味で受け取ったらいーわけ?」
「早急に書類を片付けてしまうのが得策かと思ったのだが」
「うわ、不純だ!ここに邪な補佐がいる!」
「手早くやるべきことを終えて一番助かるのはあなただと思うのだが?」
この言葉にはリウ・シエンの切り返しが一瞬詰まった。
確かに早く終われば助かるのは自分だしそれに越したことはないが、その後に待っているであろうのっぴきならない事態を加味すると結局プラスマイナスゼロではなかろうか。
そんな考えがよぎりはしたが結局そのままよぎった勢いで消えていった。
「…はいはい、がんばりますよ。がんばります」
「よろしい」
そう言いながらも僅かに髪に寄せられている気がする口元だとかしっかりと背に回されたままの右腕だとか今の所は空いている左手をどうするつもりなのだろうかとかそもそも立場が逆転してはいないかとか、馴染んでしまった自分も悪いがやっぱりそろそろ長としてしっかりと主張すべきは主張しようと書類に目を通しながらリウ・シエンは考えて。
やるべきことを終えたあと彼は「不意打ち禁止」とだけ主張した。