あきれて物も言えない
 夏休みも中盤に差し掛かったある日。

「やあ、ヨベルじゃないか」

 沈めるように座席に収まった部活帰りの疲れた身に上から掛けられた声は聞き覚えが有りすぎて、ヨベルは一瞬顔を上げるのを躊躇ったが相手の足が視界に入っている以上スルーするにも無理が有りすぎて渋々顔を上向かせた。
 ガタゴトと特有の揺れを続ける電車の中でわざわざ自分の前に立ちつり革を掴んだ腕に凭れるようにしながら見下ろしてくるイクスの姿に、ヨベルは心底うんざりした表情を浮かべた。

「奇遇だな、って言えば満足か?」

 自分が毎日この時間のこの車両に乗って帰宅していることを知りながらさも偶然出会したかのような口振りに自然返す言葉はきつくなる。
 それでもイクスはにこにこと笑っているから始末が悪い。

「そうだね、君が会話をしてくれるなら十分かな」

 いつになったらこの女の子を口説くような言い回しを止めるんだろと内心ぼんやりと思いながらも口から出たのは相槌だけだった。
 とても残念な事に見た目だけは完璧なものを持って生まれてしまったイクスは更に残念なことに喋らなければ女性受けが良い。
 今だって近くに居る女子高生の黄色い声に反応して笑顔を向けながら手を振って更に黄色い声を高くさせている。

「あんたって本当に相変わらずだな」
「ありがとう」
「誉めてない」

 イクスと居る事で自分まで悪目立ちしているんじゃないかと不安になり始めているヨベル自身も女子高生たちにとっては美少年に分類されているのだと、知らないのは本人ばかりだ。

「どうせ今日もナンパして歩いてたんだろ?」
「ナンパとは聞こえが宜しくないね。僕は真剣にお嬢さん方に僕の愛を伝えているだけだよ?」

 既に自分の口からお嬢さん方と複数形で言っている時点で終わっている気もするヨベルだが教えてはやらない。

「ねーちゃんが合宿から帰ってきた後血祭りに上げられても知らないからな」
「血祭りって…モーリンはそんな事はしないさ」
「はいはい」

 またぞんざいな相槌を打ってヨベルが立ち上がりイクスが体をずらして道を空けてやると丁度良いタイミングで電車が駅のホームに滑り込む。
 開いた扉からヨベルが電車を降りると当然のようにイクスも付いてきた。

「ヨベル、今夜の食事は何だい?」
「は!?何でオレがあんたの分まで夕飯用意しなきゃなんないんだよ!」

 姉のモーリンが部活の合宿で家を空ける間自分の好きなものを夕飯に食べられるとこっそり意気込んでいたヨベルはげんなりだ。

「何でって…モーリンが合宿に行ってる間はヨベルに夕飯を食べさせて貰えって言ってくれていたよ?」
「は!?そんなのオレは…」

 知らない、と言いかけてヨベルは言葉を飲み込む。
 そう言えば今朝合宿に出掛ける前にモーリンから、自分の代わりにしっかりイクスを見張っておいてと言われた事を思い出したのだ。

「…あー…もーっ…!」
「ヨベルの作る料理は美味しいってモーリンがいつも自慢しているからね、僕も楽しみなんだ」

 思いもかけない言葉に階段を降り始めていたヨベルの足が止まる。
 モーリンがヨベルの食事を美味しいと言ってくれる事は確かにあったが、まさかそれをイクスに話す程とは思っていなかった為少しばかり気恥ずかしい。
 それを受けたイクスが自分の作る食事を楽しみにしている事も。
 少し赤らんだ自覚のある顔を見られまいとするヨベルの足は、先程までよりも大分早いスピードで再び進み始めた。

「あ…あんたに、メニューの選択権はないからな…!」
「もちろん、ヨベルのご飯が食べられるなら構わないよ」

 声色だけでも笑顔なのがわかるイクスの言葉に思わず頭を抱えたくなる。すれ違った女性達がその笑顔を目にしたようで、わずかばかり顔を赤らめているのが横目に見えた。
 これ以上イクスを公衆の面前に晒しておくのが何だか嫌になってきて、ヨベルは改札をくぐると半身でイクスを振り返る。

「荷物も、あんたが持てよな」
「任せておくれよ」

 返事を聞く前にすたすたと歩き始めたヨベルの後をイクスは笑顔のままでついて行く。
 駅を出て人混みを進む二人の姿はすぐに紛れて見えなくなった。


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