言わぬが花と我知り得たり (シャバック(自覚あり)→←(自覚なし)ヒナ)
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さわさわと木々の葉が湖から流れてくる風に揺らされて囁く。海とはちがう匂いの風に目を細めてからシャバックはその視線を城の有る方へと動かした。
海賊なんて職業柄人の気配には敏感だ。
「おかえり、ヒナ」
「あら、シャバック。ただいま戻りましたわ」
ふわりと微笑みを浮かべたヒナはそのまま歩み寄って来ていつもの木陰、シャバックから少し距離を取った場所で足を止めた。
別にここで待ち合わせをしている訳ではないし何か用事がある訳でもない。
ただ暇を見つけてはここに来て何気なく一緒に居てたわいもない会話をする。何でもないようなそんな時間がしかしシャバックにとってはとても大切なものだった。
学院に居た頃を思い出すような何気ない時間の積み重ね。卒業を迎えた時にはきっともう二度とヒナとこんな時間を共有することはないだろうと思っていた。
だからこそこの何気ない時間がシャバックにとって大切なのだ。
ちらと視線を向ければ自分の肩よりも低い位置にヒナの顔が見える。
ヒナは小さい。
そんな事を今シャバックが口に出せばヒナは烈火のごとく怒り出すのだろうが、彼にしてみれば小さいというのは何も身長に限ったことではない。
ヒナは小さく儚く見える。触れたら壊れてしまいそうな儚さ。しかしそれに相反する強さを芯に持ちそれがいつでも彼女の瞳を輝かせている。
彼女のもつそんなギャップがどうしようもなくシャバックを惹きつけて止まなかった。
ふいにヒナと目が合った。至って普通な風を装い首を傾いで見せると彼女は一歩シャバックへと近付いた。
「シャバック、少し屈んでいただけませんこと?」
「別に構わないけど…何かあるのか?」
ヒナの意図が解せないものの言われた通りに軽く屈んでみれば普段よりも距離が近付いた気がして妙に鼓動が跳ねた。
それをおくびにも出さずにシャバックが反応を待っているとヒナの手がするすると伸びてきた。
(手も小さいんだよな…)
白く小さくふわりとした手で彼女は武器を握り戦線に立つ。その指先がさらりとシャバックの頬を撫でた。瞬間何が起きたか分からず思わず目を見開く。
しかしヒナの手はそのまま何事もなかったかのようにシャバックの頬を通り過ぎふわふわとしたアプリコットの髪へと触れた。
「………………」
「俺の髪がどうかしたのか?」
「………ずるいですわ」
「え?」
「ふわふわしていて柔らかくて、ずるいですわ。シャバックの髪」
一瞬何かの冗談かとも思ったがヒナの様子は至極真面目でシャバックのサイドの髪を指先で触っている。
「女の子ってのは普通、ヒナみたいな真っ直ぐな髪になりたがるもんじゃないの?」
尋ねながら何気ない仕草でシャバックはヒナの髪に触れてみた。
癖のない真っ直ぐな髪は細く柔らかくさらさらと指の間を流れ落ちていく。それをまた掬った辺りでヒナがふっと意味ありげに笑った。
「よろしくて?シャバック。女性はいつだって、無い物ねだりなものなのですわよ」
反則だと思う。いつもより近い距離で互いが互いの髪に触れながら居るこんな状況でいつもよりずっと大人びて見える笑みを浮かべるなんて。
普段ならするりとシャバックの口をつくだろう容易な言葉が全くといっていいほど出てこない。
多分今きっと自分はとても意外な表情をしているんだろうと、ヒナが浮かべたどこか勝ち誇ったような表情を見てシャバックは知った。
いつも子供扱いばかりされていると怒るヒナだから、こんな形でもシャバックに言い勝ったことが嬉しく思えてしまうのだろう。
シャバックとしては常日頃からヒナを子供扱いしている訳ではなくむしろ尊敬の念すらある位だ。
ヒナは聡明でそして気高い。そんな彼女が怒りとともに見せる表情は自然と年相応に見える。
まだ年若い彼女だからこそ時に見られるそんな表情すらも微笑ましくて。
そういった顔を忘れないでいて欲しいと思う。
それら全てを含めた『ヒナ』という存在が、シャバックには大切なのだ。
本当は今こうして触れている髪をもっと近くでなんて思ってしまったりもするのだがきっとヒナはそれを告げた所でからかわれているとしか思わないのだろう。
指先のすぐ傍にほんの数ミリを隔てた向こうの柔らかそうな頬すら触れられない。
この隔てを取り去れるかもしれない言葉をシャバックは知っているがそれを今紡いだ所でヒナの心までは染み込めないだろうし、言うつもりもさらさらない。
今はまだ早いとわかっているのだ。
「ヒナさーん」
普段よりも近くで互いに触れていた時間はシャバックの背後からかけられた声によって至極呆気なく終わりを告げ、ヒナの指先は何の名残もなくするりと離れていった。
シャバックも同じように身と手を引き少しばかりの名残惜しさを残してさらさらとした髪を手放した。
ヒナを呼びに来たのはエリンで何やら少しばかりヒナに言伝ただけで直ぐに来た道を戻って行ってしまう。何か有ったのだろうかとやり取りを見守っていたシャバックをヒナは振り返った。
「シャバック、食堂で皆さんが珍しいお菓子を頂いているそうなのですけれど」
「へえ、そりゃいいな。俺も行くよ」
ヒナの語調に伺う色を読み取って応え隣へと駆け寄るとそれを待っていたようにヒナが歩きだす。
今はこれで十分だとシャバックは言葉無く笑みを浮かべた。