だいじょうぶ
 もはや住み慣れたといってもいい城を皆に送り出されて旅立ってから半月以上が過ぎてようやくヒナの足は故郷の砂浜を踏んだ。
 懐かしい感触を靴の裏に感じながら歩いていてもヒナの頭の中にはたったひとつの言葉がずっと渦まいていた。
 何度も言おうとしてそのたびに飲み込んだのは返される言葉が容易に想像できるからで。それでも万に一つの可能性に賭けてみたくて。でもやっぱり奪うような結果は望んでいなくて。
 ぐるぐる渦をまいて口に出来ない言葉を持て余しながらさくさくと砂を踏む。

「なあヒナ」

 呼ばれて振り向くと後をついて歩いていたシャバックがいつものままのどこか飄々とした顔で彼女を見ていた。彼の足も止まっている。

「言いたいことは言っとかないと体に悪いぞ」
「…そんなに、顔に出ていましたかしら」
「だいぶんな」

 そうは言ってもおそらく気づいているのは彼だけだろうというのはヒナにだってわかる。
 自分を繕うのは得意な方だと思っていたけれど聡い彼と出会ってからはそれもかたなしだったからだ。
 こんな風に彼が聞いてくるということはそうとう渦まいて出口がなくなりかけていることに気付かれてしまったからだろうと思うと無性に恥ずかしい。
 こうなったら覚悟を決めよう。そう自分に言い聞かせてしまえば驚くほどあっさりと決心がついてしまって思い切りもよくなるのはヒナらしさだ。

「シャバック、あなた首長府へいらっしゃる気はありませんこと?」
「それはつまり引き抜きってことだよな」
「ええ。あなた程の頭脳と手腕があれば誰だって快く迎え入れることは保障いたしますわ」
「光栄なことだってのはわかるけどな、俺は遠慮しとくよ」

 ああやっぱり。わかっていた答えでも想像するのと実際に耳にするのとでは大分違う。思っていたよりもずっと胸が痛む気がしてヒナは思わず笑ってしまった。

「あなたならそう言うと思っていましたわ」

 笑ってしまったままの表情で言ってからくるりと背を向けて再び歩き出した。さくさくと砂を踏む音でシャバックが後をついて来ていることはわかった。

 胸が痛い。
 やっぱりお別れなのだ。自分を送り届けたらシャバックは船に戻りそして出港すればもうきっと余程でなければあうこともないのだろう。
 学院を卒業してからだって一度も、今回のことでヒナが書状を送るまで再会などしなかったのだから。また元通りになるのだ。
 住み慣れたと感じてしまうくらいに長く居たあの城での時間などまるでなかったみたいに元通りになるのだ。
 それを思うと胸が痛い。
 このまま時が止まってしまえばいいのにと思っても時間は無情で、気付けば帰るべき屋敷は目前だった。

「ここまででかまいませんわ、シャバック」
「そうか?」
「ええ。あなた今のその服装では海賊と一目瞭然ですのよ?捕まってしまいますわ」
「ははは、たしかにな」

 こんな所で彼が誘拐犯だなどと勘違いされてしまっては船で待つ兄姉に申し訳が立たないし何よりそんな形で二度とシャバックに会えなくなるのもごめんだ。
 もしかしたらもう会えないかもしれない。それならせめて笑っているシャバックの顔を覚えていたい。

「ヒナ」
「なんですの?」
「困ったことがあったらいつでも呼べよ」
「…え?」

 予想もなにもしていなかった言葉にきょとんとしてしまっているヒナにシャバックがまた笑った。

「俺たちにできることなら手伝うからさ。兄貴も姉貴もヒナを気に入ってるから大喜びで飛んでくるぜ」
「あら、喜ぶのはあのふたりだけですの?」
「ヌムヌは面倒くさがるだろうからな」

  分かっていてわざとはぐらかすのはからかっている証拠だと分かっているから、ヒナは少しばかり不機嫌を表に出す。

「まったく、本当に薄情な人ですわね」

 そんなことをいう自分は拗ねているのだと言外に言っているのだと気づいていないのはヒナ自身だけだ。
 思わずまた笑ってしまいそうになりながらもこれ以上機嫌を損ねてはまずいとなんとか飲み込んだシャバックは何かを腰に装着したバッグから取り出してそれをヒナに差し出した。

「なんですの?これ」
「俺からの、餞別?」

 差し出された物を受けてってみるとそれは綺麗な細かい装飾の施されたヒナの手でも扱える大きさのナイフだった。
  しかし受け取ったヒナはどうしてこれを渡されたのかがよくわからず手の中のナイフを見つめたまま首をかしげた。

「シャバック、これは…?」
「ヒナに何かあったとき、すぐに助けに来てやれないかもしれない。だからそれはできるだけそんなことにならないようにってお守りだよ。あと、それでももしも何かあった時はヒナを守れるように」
「守れるように…」
「そう。俺の代わりにな」

 今何か普段と変わらない口調でさらりとすごいことを言われたような気がするけれど珍しくヒナの脳はそれを瞬間的には理解してくれなくて。慌てて顔を上げたらシャバックはもう今来た道を遡り始めていて。

「シャバック!」
「またな、ヒナ」

 ひらりと手を振るだけで振り返りもせずにシャバックは行ってしまった。けれどヒナの手の中にあるナイフの重みがなんだかとても温かい気持ちにさせてくれる気がして先程までの胸の痛みなど飛んでいってしまっている事にも気づかないで。
 軽い足取りでヒナは屋敷の門をくぐっていった。


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