花氷の咲く頃
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湖畔に佇む城は今日もうだる暑さに悩まされていた。
そんな中平然と過ごしているのはジャナム出身の面々位のもので、しかしそんな彼らからしてもここ最近の暑さはなかなか手ごわいもののようだ。
耐えかねたのかなんとか涼を得る方法を考えてほしいなどという依頼までモアナの元に届くようになりこれはいよいよ退っ引きならない状況になったと誰もが思い始めた頃。
城の中に革命が起きた。
「な…なんだこれ!」
大騒ぎを聞きつけてエントランスに降りてきたシグがえれべーたの扉が開いた瞬間に発した言葉がこれだった。
彼の目の前にはリジッドフォークの身の丈を超える大きさの氷柱が佇んでいる。
「どうなってんだ、これ!?」
既にわらわらと氷柱の周りに集まり始めている仲間たちに混ざりながら柱を見上げて誰にともなく質問の言葉が口をつく。
するとそれに気付いたマリカがやはり少しばかり興奮した様子で顔を向けた。
「すごいわよね、こんな氷初めてみたわ!」
「これってもしかしなくても、やっぱり作った…んだよな?」
「そうなんじゃない?天然物じゃ、チオルイ山からここに持ってくるまでに溶けちゃうわよ」
「だよなあ…」
会話を交わしながらも二人の視線は氷柱に注がれたままだ。
大きな氷はこの気温でもなかなか溶ける気配も見せずひんやりとした冷気で辺りの気温をじわじわと下げてくれている。
触れたらきっと気持ち良いのだろうとその表面に手を伸ばしたシグに横から慌てた様子でナズが飛びついた。
「にいちゃん!触っちゃダメだ!」
「ナズ?なんでダメなんだ?」
「表面が乾いた氷に乾いた手で触ったら、ぴたーって、くっついちゃうんだぞ」
「え、マジか!みんな、気をつけろ!触るなよー!」
わいわいガヤガヤと氷に群がってはしゃぐ面々を定位置から楽しそうに眺めていたモアナの視界に、その中を真っ直ぐ横切っていく長身の姿が映った。
「あ、ちょっとちょっと!ルオ・タウさん!」
「なんだろうか?」
慌てて呼び留めればぴたりと足を止めてスタスタと歩み寄ってくる。
元々背が小さい為大分見上げる形になりながらモアナはぴっと人差し指を立ててにんまりと笑った。
「例のヤツも、仕上がってるらしいわよ」
リウは自室のベッドの上で暑さに負けた体を投げ出していた。
仕事が一段落ついたのを区切りにして取った休憩からなかなか復帰出来ずにいる。
生温い室内の空気にぐったりしながらも体は休息を求め気だるい睡眠に沈んで。
そんな彼の頬に不意に冷たい何かが触れた。
柔らかく頬を包み込みひんやりとした冷たさを伝えてくれるそれが心地よくリウは無意識にそれを頬をすり寄せてから、ゆっくりと目を開けた。
まだ半分眠っているのかその瞳はぼんやりとしてゆらゆらと揺れている。
「……ルオ・タウ…?」
「すまない、起こしてしまったか」
僅かに眉根を寄せたルオ・タウにリウは小さく首を横に振った。
「それより…ルオ・タウの手すげー冷たい…どうしたんだ?」
「ああ…これに触れたせいだろう」
示すものがリウの視界に入るように身をずらした為にルオ・タウの手が頬から離れて少し残念そうな顔をしながらも目の前に現れた氷柱に思わず眼が輝いた。
「な…何この氷!」
驚きで目が覚めたのかリウは体を起こして身を乗り出す。
ベッドの近くに置かれた氷柱はエントランスに有った物に比べると大分小さく例えるならマナリルの背丈位の大きさだ。
その表面は水をかけてあるらしく滑らかで透き通り中に封じられているものが綺麗に見て取れた。
ふわりと開いて咲いた一輪の切り花。
まるで今朝開花したかのような美しさと瑞々しさを纏ったままそこに佇んでいる。
その様はとても涼やかだった。
「すげー…」
「城内の暑さを軽減する事を目的に作られた物だ。書から研究された知識と氷塊を生み出す星の印を応用し、バルザム殿の開発した機械で作られた。通常の氷に比べ遥かに溶けるのが遅い。エントランスには配置済みだが、他所には順次設置されるはずだ」
「へえー…」
ルオ・タウの説明に感心しながらリウは声を漏らし、誘われるように氷柱に手を伸ばした。
指先が冷たく固い感触に触れて更にその麻痺しそうな冷たさを堪能すべく手のひらまでを触れさせる。
「この花は…?」
「先日の水中花と同じようなものらしい。視覚からも涼を得る、花氷と言うそうだ」
「花氷…」
鮮やかな色を湛える花に氷越しに触れながらリウは目を細めた。
確かに見目からも涼しげな雰囲気を楽しめて良いかもしれない。
「リウ・シエン」
「ん?何?」
突然名を呼びながら花氷に触れていた手を掴まれきょとんと首を傾げたリウに構わずルオ・タウは掴んだそれをそっと離させる。
「余り長く触れると末端が冷えすぎる」
「えー、でも結構気持ち良いんだけどな…ほら」
言って、解放された手を先程自分がされたのと同じようにルオ・タウの頬に伸ばした。
ひやりした冷たさが触れやがて互いの体温と混じり合って気持よさを感じる温度になって。
「…確かに、心地いい…」
薄く目を細めて呟いたルオ・タウが先程リウのしたように小さく頬をすり寄せるような仕草を見せたかと思えばそのまま添えた手のひらに口づけられてしまって。
リウは一瞬で頬を色づかせ慌ててその手を引いた。
「なにしてんのルオ・タウ!」
そのままルオ・タウから手を隠すように己の背後に回して尻の下に敷くようにしてベッドに座るリウの様子はどこか微笑ましく。
目元を僅かばかり綻ばせたリウしか知らない表情でルオ・タウはベッドの上の用無しになっていた肌掛けを手に取るとそれをそっとリウの足に掛けた。
「もう少し休んでいるといい。暫くすれば室内の温度も過ごし易い程度には下がるだろう」
「…ん」
何だかはぐらかされた上に、正直まだ仕事に戻るには厳しいと思っていたのを見抜かれたようでリウは少し拗ねたような表情も見せたがそれは束の間で。
お言葉に甘えるべくいそいそと再び身体を横たえて肌掛けを腹まで持ち上げると何かを思い出した様子で視線をルオ・タウに向けた。
「そういえばさ。エントランスとか他の部屋にもこれ、置いてあるんだろ?中に入ってる花って、それぞれ違ったりするのか?」
リウにとってそれは素朴な疑問だった。もしも場所ごとに違うのであれば、そこをよく利用する人達に所縁のある花を使ったら面白いかと思ったのだ。
しかしルオ・タウから返されたのは予想外の答えで。
「いや…他の氷柱には花は入っていない」
「へ?そうなのか?なんで?」
不思議そうにきょとんとした表情を浮かべるリウの傍にしゃがみ視線を合わせたルオ・タウは手を伸ばしてそっとリウの髪を撫でる。
「この花氷は、私が頼んで特別に造ってもらった物だ。故に、他には存在しない」
ああ、ほら、まただ。リウは頭を抱えたくなった。この男は一体どれだけ自分を甘やかせば気がすむのかと。
髪を撫でる手にすら甘やかされている気がしてそれはそれは恥ずかしい。
こういうときはさっさと眠りに入ってしまうに限る。
「じゃあ、オレ…ちょっと寝る…」
「了解した」
そうは言ってもルオ・タウの手が離れることはなく自分が眠ってしまうまでこうしている気なのだろうことはもう分かっていたからリウは何も言わずに目を閉じて。
ただゆっくりと髪を梳くように撫でる手は目覚めた時のような冷えた気持ち良さはなかったがその感触はどうにも心地よくて。
リウはそのままゆったりと眠りの淵に落ちていった。