暁の掌(あかときのたなごころ)
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夜半まだ夜は明けきらず城の中はしんと耳鳴りがしそうな位に静まり返っている。
ゆっくりと音もなく開いた扉の向こうの室内も例に違わず静寂に包まれ寝台の上から聴こえる微かな寝息すらまるで幻のように感じられた。
そっと扉を閉めて慎重な足取りで近付いた寝台を覗き込むとそこには眠る少年の姿がある。
普段はバンダナで持ち上げられている薄緑の髪が枕の上に散らばっていて、伸ばした手でそれをそっと梳いた。
見た目の印象よりも柔らかな髪に触れながら穏やかで無防備とすら言える寝顔を見つめその頬に誘われるようにそっと唇を落とす。
こんな事が許される立場ではない。
誰かに見咎められれば言い逃れもできない。
それでも毎夜こうして寝顔を見たいと願う気持ちは抑えられず見れば触れたい気持ちが抑えられなくなった。
空いた手で今し方唇で触れた頬にそっと触れる。柔らかな感触を伴う体温がじわりと指先に沁みた。
それだけで満たされてしまうようなこんな気持ちなど未経験で、もっともっとと貪欲に触れたくなる気持ちが湧き上がる気配に思わず奥歯を噛み締めた。
これ以上居てはまずいと頭の中で誰かが言うのが聞こえた気がして名残を惜しむように、眠りに伏せた目に掛かる前髪を避けてやるように梳いてから息を呑む。
確かに伏せられていた筈の目が開かれ真っ直ぐに男を見上げていた。
「何してんの?」
その声には今まで眠っていたとは思えない明瞭さがある。
「何してたの?毎晩毎晩」
再び問われた。しかし驚きの余りにとっさに言葉が出てこない。気付かれていたとは夢にも思っていなかったのだ。
問い掛けに対する返事がないことに痺れを切らしたのかゆっくりと肌掛けを剥ぎ細い身体が起き上がる。
その肌に走る紫色の線刻が闇夜の中でぼんやりと浮かび上がって見えた。
そして距離の更に近付いた薄緑の目が射るように空色を見つめる。
「毎晩毎晩あんな風に触られて、気付かないとでも思ってた?」
「…あんな風に、とは…?」
驚きからなのか緊張故なのかようやく発された声は僅かばかり掠れている。
空色を真っ直ぐに見つめる薄緑色が僅かに細められた。
「あんたがどんな気持ちでオレに触れてるのか…だだ漏れなんだよ、ここから」
言いながら先程まで彼に触れていた手を取られそっと掌同士を合わされた。
「触る強さとか…触り方とか…そういうのからさ、なんとなくわかっちゃう位だだ漏れなんだよ、あんた」
合わされていた掌が離れて先程触れた頬に再び導かれ、躊躇いがちに撫でると薄緑の目はくすぐったそうに細められて。
「……今なら聞くけど?あんたが毎晩毎晩こんなことしてた理由」
今まで挑戦的とも思える視線を向けてきたくせにここへ来てやおら気恥ずかしそうに逸らされてしまったそれが素直になりきれない彼を表しているように思えて、知らず空色の目元の力が弛んだ。
彼がこうして切り出したという事はきっと今が最良の機会であり、今回を逃せばいくら此方から口を開こうとも聞き入れては貰えなくなるのだろう。
漠然とだが確固たる自信を伴うそんな予感が胸を支配して、ならばそれを逃す理由はないと言いたげに眼前の細い身体を鍛えられた腕が抱き寄せる。
「……私は、あなたを…愛しく思う」
紡ぎ出された告言は低く涼やかな音色で注いだ耳元を赤く染めた。