熱籠り
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「へ?未処理の書類が出てきた?!」
驚きに若干上擦り気味な声を上げたリウ・シエンにルオ・タウは頷いてから手にしていた書類を差し出した。それを慌てて受け取る。
「あちらに積んである本の下敷きになっていた」
わざわざ発見場所を伝えてくれる言葉も今はリウ・シエンの耳を右から左に抜けていく。
もしもこれが重要書類であったりしたらそれこそ一大事になりかねないのだ。
リウ・シエンが少し強張った表情で書類に目を通していき、ややあって一気に全身から力が抜けた。
「よかった〜…これだったのかー…」
「重要な物ではなかったのか?」
「や、重要は重要なんだけど…急ぎじゃないから助かった」
大分使い慣れてきた椅子に全身をぐったりと預けたリウ・シエンから差し戻された書類を受け取りルオ・タウも目を通す。
「…地下室の確認…?」
「そ。前に一度この城が大きくなった時に出来てたらしくてさ。一応現場確認しといて欲しいってシグにも言われてたんだけど、色々忙しくて忘れてた」
思い出した事を付け加え苦笑を交えながら伝えると納得したのかルオ・タウは書類を作業机の上に置いた。
「これの処理はどうする」
「そーだなー、丁度仕事も一段落ついたし今から行ってみっかな」
言うが早いか早速椅子から立ち上がるリウ・シエンが出やすいようにとルオ・タウは体をずらし歩き始めた背を追って広間を後にした。
エレベーターから降り立った地階の狭い廊下は誰が用意したのか最低限の魔道の灯りに照らされていた。
その廊下が伸びた先で闇がぽっかりと口をあけている。
「うわ、結構暗いな…」
廊下から差し込む光のおかげで真っ暗という訳ではないが奥に行けば行く程に暗闇は濃くなっている。灯りになる物を持って来なかった事をリウ・シエンは少し後悔した。
「長、足元に気をつけた方がいい」
指摘され見てみれば廊下とは違い全く整備などがされていない床は石が剥き出しで少し足場が悪い。
木の根の侵入も見受けられる為更に危険は増しているようだ。
気をつけるに越したことはないとひとつ頷いて室内に歩みを進める。
ひんやりとした空気の満ちる室内は床も壁もむき出しで状態もあまりよくないように見えた。
「思ったより広いんだな。これならちゃんと整備すれば色々使い道ありそう」
壁に軽く手を触れさせながら進むリウ・シエンの目は忙しなく室内を見回し様子を探っている。
そんな彼の背後を付かず離れず歩きながらルオ・タウが不意に口を開いた。
「だが、それならば使用する用途が決まるまでは、此処への立ち入りは封じた方が良いように思う」
「へ?なんで?」
きょとんとした様子で振り返ったリウ・シエンが軽く首を傾ける様子が入り込んだ淡い光に薄く照らされているのをルオ・タウが見つめる。
「此処は地下に在るが故に人の足が遠い。その上この暗さでは、誰かが潜み過ごしていても気付かれない可能性が高い」
「あ、確かにそーだな!協会の奴らが忍び込んだりしたらまずいよな」
納得したのか再び視線を前へと戻し室内を進み始めたリウ・シエンに反してルオ・タウはと言えばその表情は少しばかり苦々しい。
「いや…確かにそれも一理有るのだが、私が言いたいのはそういう事ではない」
「へ?」
では何だと問い掛けるべく再び振り返ろうとしたリウ・シエンの足が床に伸びた木の根を踏み外す。
凸凹とした段差はバランスを崩させるには十分だった。
「うわ…っ!」
「長!」
きちんと整備されていない場所で転ぶのは頗る痛い。その衝撃を覚悟してきつく目を閉じたリウ・シエンだったが、いつまで待ってもその瞬間は訪れなかった。
「気をつけた方がいいと言った筈だが」
「…スミマセン」
背後から抱きしめるような形でルオ・タウの腕がしっかりとリウ・シエンの体を支えている。
取り敢えず助けてくれたことに対して礼を言うべきかと振り向くようにして顔を巡らせて、リウ・シエンは小さく肩を揺らす。
思っていたよりも近い位置にルオ・タウの顔があったからだ。
「あの、ルオ」
紡いだ名前を最後まで呼ぶ事はなく。いや、呼ぶ事が出来なかったと言う方が正しい。
なぜならルオ・タウの唇がリウ・シエンのそれを柔らかく塞いでいたから。
「…ふ…っ」
突然のことに驚き解放を願うようにリウ・シエンがくぐもった声をもらしたがそうすることで出来てしまった唇の隙間を見逃してくれるような相手ではなく、そこをこじ開けるように容易く熱い舌先が入り込んできた。
まるで勝手知ったる場所のように動き回るそれは的確にリウ・シエンの弱い場所を撫でてくる。
その度に小さく震える肩を抑える事が出来ず、段々と頭の芯がぼんやりとしてくるのを感じながらもどこか冷静な一部分が振り向くような形のままの体勢の辛さを訴えていて。
「…ぅー…っ」
それを伝えたくて何とか漏らした声を聞きようやく気付いてくれたのかルオ・タウの腕が弛んだ。
触れ合っていた唇の境に僅かに隙間が出来てようやく解放されるのかと思ったのも束の間、リウ・シエンは体を反転させられ目の前の長身と向き合う形になりそのまま手近な壁に背を凭れさせられた。
逃げ道を断つように顔の両脇を腕によって塞がれてしまえばどうすることもできない。
反射的に伏せてしまった瞼と同時に再び触れてきたルオ・タウの唇を拒む手段は最早浮かばず、先程の触れ合いで既にぼやけ始めていた頭はそもそもの拒む理由自体を見いだせなくなってしまっていて。
一度だけ仕返しのように小さく噛みつくみたいな仕草をしてみれば今度は唇を甘く吸われた。
ぶるりと戦慄くようにリウ・シエンの背が甘く震え縋るように伸ばした片手がルオ・タウが腰に下げている剣の柄に触れてカチャリと音をたてる。
その手を広い背中へと導かれて更に距離が縮まった。
「…んっ…」
不意のタイミングで漏れる鼻掛かった自分の声が恥ずかしくて堪らないとリウ・シエンはいつも思う。
しかしそう思ってはいても到底こらえられるものではなくて、それが悔しい。
ただでさえ何もない空間でもらした声さえ反響してしまうのに触れ合う動きに合わせるように聞こえる小さな水音まで同じく反響しているような気がしてきてリウ・シエンの頭は更に逆上せる一方だ。
どれ位の間そうしていたのか。ひんやりとしていたはずの室内の空気すら熱を持ち始めたような錯覚を起こしだした頃ようやく触れ合いから解放された。
閉じていた瞼をゆっくりと押し上げたリウ・シエンの目に廊下からの僅かな灯りに照らされた2人を繋ぐ銀糸が映り慌てて口元を手の甲でごしごしと拭う。
そんな彼との距離を離さないままルオ・タウは普段と変わらない口調で口を開いた。
「私が言いたかったのはこういう意味だ」
「そんなの…わざわざ態度で示すことないでしょっ!スケベ!変態!色情魔!」
散々な罵倒の言葉を投げつけながらもリウ・シエンの体は壁に背を預けたままずるずると床に向かって降下していく。
どうやら腰が立たなくなってしまったようだ。
「色情魔は言葉が過ぎるのではないだろうか」
「他は認めんのかよ!」
座り込んでしまったリウ・シエンと目の高さを合わせるようにしゃがんだルオ・タウの冷静な言葉にツッコミを入れずにはいられないらしい。
しかし強い語調とは裏腹に腰が立たずへたり込んでいるのだから情けなくて泣けてくる。
「あーもーサイアク…」
「よくなかったか」
「アンタのそういうとこもサイアク!」
「…そうか。以後気をつける」
気をつけるとは言うが実際問題どこまで分かっているのか怪しいものだとじとりとした視線を向けたリウ・シエンだったがやがて諦めたように小さく吐息を漏らした。
その後地下室が封鎖されたかは定かではない。