ピーンポーン。
「三ツ谷くんだ・・・・ッ!!!」
膝の上で寝ているルナちゃんの頭を起こさないように細心の注意を払ってどかして、意気揚々とインターホンの前に駆け寄る。約束の時間だったので、まあ三ツ谷くんでほぼ間違い無いだろうと確信した私はろくに顔も確認せずに「おかえり!」と浮ついた声でスピーカーに声を掛けた。
「ただいまー」
しかしモニター越しに現れた三ツ谷くんは送り出した時とは全く変わり果てた姿でそこに立っていた。本人はまるで何事もなかったかのようにヒラヒラと手を振って笑ってるけど、相反して三ツ谷くんの額をなかなかお目にかかれない量の血液がつぅっと枝分かれして顔に伝っている。そのアンバランスさと痛々しさに言葉を失った。しかもそれに加えて左側の頬は見るからに腫れて、スリ傷だらけ、赤黒い血と泥が三ツ谷くんの白い肌にびったりと付着している。素人でも分かる拳で殴られただけとは到底思えない怪我にサァッと全身から血の気が引いていくのを感じた。
こんなの私が知っている喧嘩と違う。
「なぁ、あの人数相手に相当頑張って終わらせてきたんだけど、どう?九時に間に合った??」
「・・・・ま、まあ・・・・・間に合ってはいるけど・・・・・」
「よかった、相当気合い入れて片してきたもんなー。」
それなのに慣れたように頭の傷を指の腹で大雑把に止血しながら人間を片すなんて言い方する三ツ谷くんには、もう口をあんぐり開けるしかない。大人っぽいなと思っていた三ツ谷くんの価値観が実は一般的なものからズレてることが明らかになった上に、対面してないので三ツ谷くんとの間にものすごい温度差が生まれている。
実際、中学生の喧嘩だからって私は何処かで舐めてたのかもしれない。
実際はそんな生ぬるいものではなく暴走族の抗争なのに・・・・・。
彼の後ろを不審そうな眼差しで素通りする住民をみて、この子と長く付き合っていく気があるなら私も覚悟を決めなきゃいけないんだなということがよく分かった。
「いや、達成感感じてるところ、非常に残念だけど、こればっかりはお説教コースね。」
「え、なんで??むしろ褒めてもらうつもりだったんだけど」
「いやいや、褒めるとかないよ普通に。まあとにかく通報される前に早く上がってきなさい。」
いくら何でもこんな洋ホラーさながらの流血を見て褒めるわけあるか!!全力でツッコみたい衝動は後ろですやすやと眠るルナマナちゃんに免じてぐっと堪えた。あんまり三ツ谷くん相手にうるさいことは言いたくないけど、流石にこれくらいは言わせてほしい。
「名前ちゃん、まくらぁ」
いそいそと滅多に使わない救急箱を探すべく戸棚の奥から漁っていると瞼をゴシゴシとこすりながらルナちゃんがむくりと起き上がって腕を広げて膝枕をねだりだす。あら、可愛い。天使だな。だらしなく顔を緩めながら「ごめんね、枕がいなくなって」と救急箱を携えて定位置に戻り、はいっと膝を差し出せば、「ふふふ、あったかーい」と素直に甘えてくるルナちゃんの愛らしいこと。膝の上にぐりぐりと顔を埋めるルナちゃんの頭をよしよしと撫でれば、まだ意識の半分は夢の中にいたのかそれから間も無くしてルナちゃんはすぅすぅと寝息をたてだした。ちなみにマナちゃんはそのすぐ横で大の字で豪快に寝てるから大物感があってそれはそれでかわいい。流石三兄弟の末っ子ちゃんだ。
こんな和やかな光景の中にこれからスプラッターな三ツ谷くんがくるんだなと思うと・・・・・・なんだかなぁ。
膝にルナちゃんを乗せれば、案の定身動きが取れなくなったのでメールで「鍵空けたから勝手に入ってね」と三ツ谷くんに連絡を入れておけば、三ツ谷くんはその数秒後ノックと共に「お邪魔しまーす」と礼儀正しく靴を揃えて入ってきた。
「ん?二人とも寝てんの??人ん家で図太いなー」
きょとんと目を丸めて覗き込む三ツ谷くんは2人の寝顔を覗き込みながらさぞ当たり前のように私の横に腰を下ろそうとしたので、
「くつろぐ前に先にシャワーあびておいで。タオルとかシャンプーとかは何でも勝手に使っていいからさ。」
慌ててストップをかけた。あざとく言えば何やっても許されるって思われるのはお互いのためにあまり良くないよなという考えの下、自分なりに毅然とした口調を心がけてみたのだが、今まで怒号と罵声の中にいた三ツ谷くんにそんな生温いやり方が通じるはずもない。
「あれ?お説教コースじゃねぇの?甘いなー名前さん」
むしろ全く気にした様子もなくくつくつと喉を鳴らして笑われてしまう始末だ。
「手当が先でしょ、普通」
「ゴメンって。」
揶揄うような態度が悔しくて思わず拗ねた口調になる。そんなことにすら喧嘩上がりでやたらテンションの高い三ツ谷くんはクスクスと上機嫌に笑っていたが、ようやく落ち着いてきたのか「確かに名前さん家のカーペット汚したら申し訳ねェしなー」なんてズレた配慮をしながらようやく傷口を洗いに風呂場へと向かった。そんな言い方するとまるで私が三ツ谷くんを汚いもの扱いしてるみたいじゃん・・・・・・。流石に語弊がありすぎるので「そんなんじゃなくてバイ菌が入るとよくないっていう意味だよー!!」その背中に向けて訂正すれば、ピタリと立ち止まった三ツ谷くんは脱衣所に入る手前で振り返って悪戯に笑みを深めた。
「分かってるって、揶揄っただけ。あとルナマナ起きちゃうし、・・・・・・なっ?」
それからこちらに向かってしーっと唇に人差し指を添える。急に大人っぽくされれば、まるでどちらが子供か分からない。
ザァアアとシャワーが床を打ちつける音を聞きながら、私は何となくそわそわしながら気を紛らわすつもりでルナちゃんの頭を撫でていた。
「・・・・ナァ、座ってもいい?」
それから暫くしてシャワーを浴びてすっかり小綺麗になった三ツ谷くんが部屋へと戻ってきた。汚れはほとんど返り血が主だったのか先ほどより幾分か痛々しさが半減していたのでホッと胸を撫で下ろす。
肝っ玉が小さいと思われるかもしれないが、生まれてこの方、映画やドラマ以外で実際あんな生々しい怪我をみたことがなかったのだ。
知らない人ならまだしも、知っている、しかもちょっと特別かもなって思っている子の怪我なんて、尚更気分の良いものではないし、こんなことが頻繁にあるなら三ツ谷くんのお母さんもなかなか堪らないだろうなと勝手にその心境をお察ししてやるせない気持ちになった。心臓が止まりかけるという言葉を身をもって経験したのもこれが初めてだった。
心臓に悪いので、今後、抗争後に直でうちにくるのは勘弁してほしい。
お風呂から上がってきたら彼にはハッキリそう断ろうと決意を固めていたはずなのに、わざわざ隣に座ってもいいかなんて潮らしく許可を取ってくる三ツ谷くんにお説教する気持ちも呆気なく萎む。
・・・・・ズルいなぁ。完敗だ。
わざとらしくため息をついて「どーぞ。」と大の字で寝るマナちゃんの逆側のカーペットをぽんぽんとたたくと、三ツ谷くんは「よかった」と役者さながらに反省モードからコロリと表情を一変させて指定した場所に腰を落とした。
「手当てしたいからルナちゃん預かってもらっていい?」
膝にルナちゃんを乗せたまま手当てするなんてそんな器用なことが出来るはずもなく困り果てた末に頼めば、三ツ谷くんはそりゃそうだよなと頷いて膝の上のルナちゃんを覗き込む。
「しっかしよく寝てるなー。コイツらが9時に寝るとかあんまねぇんだけど。この時間に寝れるなら家でもそんくらい大人しくして欲しいわ。」
「うん、でも喧嘩で暴れ回ってこんな怪我して帰ってきたお兄ちゃんより二人ともずっといい子にしてたよ」
突然優しいお兄ちゃんの顔をする三ツ谷くんにチクチクと皮肉とからかい混じりに報告すれば、三ツ谷くんは「なんか棘あんなー」とやっぱりケラケラ声をあげて笑う。
それから、
「2人とも安心してるんだよ、名前さんが優しいから。」
と私の目をみてゆるりと目を細めて微睡んだ。
淡い青紫の瞳が小さく私を写してゆらりと揺れる。どことなく三ツ谷くんから流れてくる雰囲気に纏わりつくような甘さが混じって、カチカチと響く時計の秒針がゆっくりと耳朶に響いた。
三ツ谷くんが私の膝の上のルナちゃんの頭をゆるりと撫でるのを見て、そういえば私はこのステキな男の子に好かれてたんだなとよりにもよって何故か今そんなことを思い出した。触れあってるわけでもないのにお風呂上がりで上気した三ツ谷くんの温度を左腕に感じる。ダメだダメだ、カッコよくて、素敵でも、相手は中学生。親御さんには信頼してもらって任されてるんだから変な気を起こしちゃダメでしょ、フツーに。
三ツ谷くんはそうやって言い聞かせる私を見抜いたかのように拍車をかけてくる。
「・・・・いいな、ルナ」
膝の上で穏やかに眠るルナちゃんをみた三ツ谷くんは小っ恥ずかしくなるような独り言を漏らした。どう言う意味?って混乱する頭で考えて、つまり言葉のままの意味だろうけど、流石に三ツ谷くんにするのとルナちゃんにするのとでは、私の中でもきっと意味が変わってくる。心臓が破れそうだ・・・・。顔が熱い。逃げようにも逃げ場がなくて、どうかこっちを見ないでほしいと祈るが、まあそんな祈り虚しく三ツ谷くんは此方を見上げる。
「・・・・・、顔、真っ赤。」
わざわざ指摘してくるなんてとても意地悪だなと思った。