隠れ穴に来てから一週間も経つと、私の気力も段々と回復していた。毎日、慣れない左手で宿題をコツコツ進めたり、双子と鼻血ヌルヌルヌガーの量の調整に苦戦したりしているうちに落ち着いたように思う。おかげで貧血気味だけれども。こちらの生活はプリベット通りとは違いすぎて、何もかもが新鮮で一日がとても長く感じていたのも要因かもしれない。まあ、他にも色々家族とのいざこざを忘れさせてくれることはあったけれど、とにかく、ウィーズリー家はいい意味で変わっていて、私とハリーを驚かせた。
 例えば、台所の暖炉の上にある鏡を最初に覗き込んだとき、だらしないぞ、シャツをズボンの中に入れろよ!お前はいつまでメソメソと目を腫れさせてるんだ!顔を洗ってこい!と突然大声がしたこととか。もちろん鏡からなのだから本当に驚いた。慌てて周りを見回して他の誰かが言ったのか確認したことは、今となってはいい思い出である。それからロンの部屋の上に済んでいるらしい屋根裏お化けは、家の中が静か過ぎると思えば、喚くし、パイプを落とすし、フレッドとジョージの部屋から小さな爆発音が上がっても、みんな当たり前という顔をしていた。だけれど、ハリーがロンの家での生活でハリーが一番不思議に思ったことは、お喋り鏡でも、うるさいお化けでもなく、みんながハリーを好いているらしいということらしい。ハリーは少し自分を過小評価する傾向があるから仕方ないとは思ったけれど、私はこれが一番驚いた。だって、家族の一番の親友が魔法族の暗黒時代を壊したのだ。そんな人物が心優しく、謙虚ならば、嫌われる要素なんかないに等しい。もし嫌悪する人がいるとしたら、妬み嫉みを持つ人間くらいだろう。いくらなんでもハリーは自分を卑下し過ぎだと思う。まあ、斯く言う私も彼らに好かれているらしいと言うことに少しばかり驚いて戸惑ったのだけれど。特にウィーズリーのおじさまなんかは、夕食の席で私達を両隣に座らせたがり、マグルの生活について次から次と質問攻めにしてくる。携帯電話を見せたときは、それはもう輝かんばかりの笑顔で、なんだかいたずらを考えているときのフレッドとジョージを思い出した。


 朝、もぞもぞとウィーズリー兄弟の末っ子、ジニーのベッドから抜け出し、着替えてから彼女を起こす。初対面の頃は、私は人見知りをしてしまって顔を赤くしたまま俯くだけだったけれど、ハリーの話を熱心に聞きたがった彼女と打ち解けるのにはそう時間はかからなかった。格好いいだの素敵だのと頻りに言っていたので、やっぱり憧れか一目惚れのようだ。そうなのかと聞けば、ぶんぶんと真っ赤な顔を横に振っていたので確実にそうとも言いきれないけれど。とりあえずありがとう、ハリー。おかげで話題には困らなかったよ、ハリー。

 ウィーズリーのおばさまの朝食作りのお手伝いをして(左手一本だったし、彼女が私をもてなしたがったので少しだけだが)、彼女に頼まれてみんなを起こしにかかった。とりあえずそれぞれの部屋のドアをノックして顔を突き出し、声を張って、おはよう!朝だよ!と声をかける。一番上の部屋でロンとハリーが立ち上がるのを見届けてから、どうせ二度寝に走っているであろう双子の部屋の再び向かった。昨夜は二時過ぎまで何かを制作してたっぽいから少し酷だと思ったけれど、理由が理由なので容赦なく青い布団を二つとも剥いだ。下の赤毛は寒さに気付いて起き上がり、上のベッドに頭をぶつけて目を覚ましている。上のは少し神経が鈍いのか、余程睡眠に飢えているのか、そのまま少しいびきをかいて寝ていた。ジョージよりもフレッドの方がだいぶ図太いのだ。


「おはよう、デイジー。フレッドは?」

「まだ寝てる。兄弟で一番手が掛かるったらないよ。」


 フレッドがムニャムニャ言いながら足元の布団を自分の掛けなおしていた。おっしゃる通りで。とジョージは苦笑いする。ご飯冷めちゃうよ!とフレッドの布団をもう一度剥がして、頬をぺちぺちと叩いた。ゆるりと彼の瞳が開いて、遠い目で私を眺める。次の瞬間、私はベッドに引き込まれた。ぎゅうぎゅうと両腕で締め付けられて、どうにも身動きができない。ジョージに助けを求めようとベッドの外へ手を伸ばそうとしたら、思い切り顔を反対側に向けられた。目だけでフレッドを見れば、ものすごく幸せそうな顔をしているので、好きな人だとか物とかを抱き締めてる夢でも見ているのだろう。新しい箒を貰った夢かもしれないけれど、何にしろ勘弁してくれ。せめて私を下敷きにすんなよ。そう思いながら、痛い!痛いったら!と言って左手で壁をバンバン叩く。


「お、おいフレッド!何を…!」


 するとベッドメイキングしていたらしいジョージ(なんだかんだ彼は忠実な人なのだ)が気付いたようで、下から顔を出して口元をキュッと強張らせた。このバカ!何してるんだ!とか、いい加減にしろよ!だとか言いながら、フーフーと真っ赤になってフレッドを引き起こす。私がベッドから這い出すとジョージは手を離したので、フレッドは木の枠に頭を打ち付けて、それからようやく目をパチパチして開いた。


「……息切れてるけど、どうかした?」


 頭を擦りながら、ニヤニヤと嫌な笑みを湛えている彼に、確信犯かよ。と私達は顔を合わせて溜息を吐く。それから、下に行くよ。ご飯できてるって何回言わせれば気が済むの。と大欠伸をしている二人の背中を押して台所まで下りて行った。二人ともまだ完全には目が覚めていないようで、フラフラとした足取りだ。
 台所へ入ると、ウィーズリーのおじさまが先に来ていたハリーとロンに向かっていた目をこちらに移した。おまえ達にも来てるぞ。と、緑色のインクで宛名の書かれた黄色味がかった羊皮紙の封筒を三通差し出す。ありがとうございます。と一言言って受け取り、開くと思った通りホグワーツからのものだった。去年と同じように九月一日にキングズ・クロス駅の九と四分の三番線からホグワーツ特急に乗るようにと書いてある。新学期用の新しい教科書のリストも入っていた。二年生用のリストはミランダ・ゴズホーク著の二学年用基本呪文集以外の七冊全てギルデロイ・ロックハートのものだった。それに加えて私は三、四年の呪文集と変身術応用が載っていた。さてはて、どうしたものか。教科書も安くはないからなあ。家出した手前、教科書のお金は出してくださいなんて言えないし、言いたくない。銀行にコツコツ貯金してたから(家に現金を置いておくとダドリーに盗まれるのだ)そちらを引き出せば、まあ事足りるだろう。そこまで考えてから、はあ、と溜息を吐く。ハリーの隣に座り込み、自分のリストを読み終えたフレッドがハリーのを覗き込んだ。


「君のもロックハートの本のオンパレードだ!闇の魔術に対する防衛術の新しい先生はロックハートのファンだぜ。きっと魔女だ。」


 ちらりとフレッドがおばさまに目を向け、慌ててトーストにママレードを塗りはじめる。どうやら目が合ったらしい。怒られるのが嫌なら、冗談はしばらく我慢すればいいのに。と思った。この一式は安くないぞ。ジョージが両親の顔を窺ってから口を開く。ロックハートの本はなにしろ高いんだ…。という呟きに、まあ、なんとかなるわ。たぶん、ジニーのものはお古ですませられると思うし…。とおばさまは少し心配そうな顔をした。
 そこでハリーはやっと気付いたみたいで、君も今年ホグワーツ入学なの?とジニーに尋ねる。彼女は頷きながら、真っ赤な髪の根元のところまで顔を真っ赤にした。
 本当に、ハリーのどこがいいんだろう?とぼんやりジニーを眺めていると、双子とは違ってちゃんと着替え、手作りらしいタンクトップに監督生バッジをつけたパーシーが台所にやってきた。皆がそちらを向いたと同時に傍でカチャンと音がしたので目を向けると真っ赤になったジニーが、あせあせと肘についたバターを拭っている。ハリーが困った顔をしていたので、また焦って失敗をしてしまったようだった。台布巾を手渡すとパーシーがさわやかに挨拶するのが聞こえた。


「皆さん、おはよう。いい天気ですね。」


 ニッコリ笑って、一つだけ空いていた椅子に座って、途端にはじけるように立ち上がった。椅子からボロボロの羽の塊を抱き上げる。


「エロール!」


 ロンがヨレヨレのふくろうをパーシーから引き取って、やっと来た。と言いながら翼の下から手紙を取り出した。


「エロールじいさん、ハーマイオニーからの返事を持ってきたよ。君達をダーズリーのところから助け出すつもりだって、手紙を出したんだ。」


 ロンが勝手口の内側にある止まり木まで、エロールを運んで行って、止まらせようとしたけれど、エロールはポトリと落ちる。


「悲劇的だよな。」


 そう呟きながら、ロンはエロールを食器の水切り棚の上に載せた。それから封筒を破って開け、手紙を読み上げる。


「ロン、ハリー…デイジー、そこにいる?お元気ですか。すべてうまくいって、二人が無事だったことを願っています。それに、ロン、あなたが彼らを救い出すとき、違法なことをしなかったことを願っています。そんなことをしたら、二人も困ったことになりますからね、わたしはほんとうに心配していたのよ。二人が無事なら、お願いだからすぐに知らせてね。だけど、別なふくろうを使った方がいいかもしれません。もう一回配達させたら、あなたのふくろうは、もうおしまいになってしまうかもしれないもの。わたしはもちろん、勉強で忙しくしています……マジかよ、おい。休み中だぜ!?
…わたしたち、水曜日に新しい教科書を買いにロンドンに行きます。ダイアゴン横丁でお会いしませんか?近況をなるべく早く知らせてね。ではまた。ハーマイオニー。」

「…ちょうどいいわ。」


 わたし達も出かけて、あなた達の分を揃えましょう。とおばさまがテーブルを片付けながら言った。


「今日はみんなどういうご予定?」


 ハリー、ロン、フレッド、ジョージは、丘の上にあるウィーズリー家の小さな牧場に出かける予定だそうだ。あまり高く飛ばなければクィディッチの練習ができるからだと言う。


「ただいま。」


 私が五メートルは下らない大きな扉から顔を出してはにかむと、おばさんは目尻の皺を深くして笑った。私を迎え入れ、モリーから聞いたわ。長旅ご苦労様。と荷物を奪う。彼女、トゥイおばさんが魔女だと言うのを知ったのはついこの間(昔から彼女身の回りの不思議現象は知ってはいたが)で、更に彼女がモリーおばさまと深い親交があったのを知ったのは昨日だった。イギリスも案外狭いらしい。
 で、だ。私が何故、ここにいるのかと言えば、一度お医者さまにかからなければいけなかったからである。腕の経過を診てもらいたいのだ。ボルトとプレートが邪魔して腕が九十度しか曲がらないから、リハビリしようにも痛くて途中で固まってしまうし、うまくいかないのは少し腹立たしくなる。本当はプリベット通りの掛り付けの病院がいいのだけれど、ばったり家族に会うのは避けたかった。でも、いつかは腕のボルトを抜く手術をするから、そのことについても話し合わなきゃならない。だから、ファブスターおじさんに付き添いを頼んで一緒に向こうの病院に行ってもらうことにしていたのだ。


「今日はデイジーが来るから、あの人も大喜びよ。あとで麻雀とか将棋とか…彼のお話相手でもしてくれる?まあ、軍の訓練がどうのって話しかないだろうけれど。」

「うん、大丈夫だよ。軍隊の話なんか、他の人からは滅多に聞けないもん。」

「あら、気を使わなくていいのよ。ああ、そうだ。彼、あなたに新しい防具とサーベルを選んでたのだけど、どうする?その腕じゃあ、少し難しいでしょう?」

「えっ、ほんと?…じゃあ、左手で練習しようかなあ。」

「それと、今回も家畜のお世話を頼みたいんだけど、その腕でできそう?フェンシングの前にお願いしたいんだけど…。」

「いいよ、別に。片腕だけでも引き馬くらいはできるし、そもそも、みんな賢いから呼びかければ動いてくれるでしょ。一時間もしないうちにおじさんの相手ができるよ。」


 でも今は、フェンシングでも将棋でもなくて、チェスがしたいかなあ。そう呟くと、あら、どうして?とおばさんが首を傾げた。


「モリーおばさまのとこのロンっているでしょ?下から二番目の。最近負け越してて、すっごい悔しいんだ。」



 水曜の朝、私はいつも通りに起きて、左手だけで顔を洗った。一昨日、病院で腕のレントゲンを撮ってもらったのだけど、やはりボルトやプレートが肘の動きを邪魔していると診断された。ただ、腕が骨折したままボルトを抜くのをあまりお勧めしないとお医者さまに言われ、手術の日程がクリスマス前まで延ばされてしまった。本当は十月頃にはできるらしいのだけれど、ホグワーツにいる間はどうにも難しいので、クリスマス休暇を利用することにしたのだ。


「いただきます。」


 あまりうまく回らない頭のまま朝食を取る。頬を膨らませて紅茶を飲んでいるとおばさんが苦笑し、おじさんが勝ち誇ったかのようにニヤニヤと笑った。


「おおっと、デイジー、その頬の傷はどうした?」

「……何を白々しい。チェスはつまらないから自分が勝ったらフェンシングに変更とか言っちゃってさ、最終的にどこの軍事訓練かもわからないことさせてるくせに。節々が痛いよ。全部本気とかどうなの。手解きとかないの。」

「訓練は常に実戦だと思え。私はガキ相手でも一切手は抜かん、驕りは徒になるからな。」

「いやいや、訓練じゃなくて実践そのものだったじゃん。目を潰されるかと思ったんだけど。」


 利き手使えない子供に容赦ないのはおかしいよ。と下唇を突き出せば、よかったじゃないか、左腕が鍛えられるぞ。器用になれば万々歳じゃないか。とおじさんはベーコンを口に入れる。音楽をやるなら指が動かにゃ話にならん。しなやかにな。


「コンクールはやめても、楽器はやめてないんだろう?」

「……まあ、うん、そう。」

「私はね、デイジー、お前が褒められたくてこっそり嬉しそうに練習してる姿が何よりも好きなんだよ。」


 おじさんがそう言うので、私は、言うと思った。と自嘲気味に少し笑った。ナフキンで口を拭いてから水を口に含んで、ゆっくり嚥下する。


「だから、私は、全部をやめれなかったんだよ。」


 おじさんは、私が気になることをなんでも知っていたし、教えてくれた。アルファベットの書き方から、丸腰のケンカの逃げ切り方まで、全部だ。ピアノもバイオリンも、教えてくれたのはおじさんだったし、フェンシングだとかクレー射撃だとか馬術みたいな中世の軍隊で使われてそうなもの、色々な戦略を考えられるボードゲームを教えてくれたのもおじさんだ。これで六十五歳なのだから舌を巻く。元気なおじいちゃんである。
 おじさんは子供がいない。実際には、いた、のだけど、軍人だった彼の息子は、先の紛争でなくなったらしい。当時十七歳だったそうで、おじさんは、たぶん、少しくらいは、私と彼を重ねてる。だから、懇切丁寧に教えてくれたんだろう。


「そういうので褒めてくれるの、おじさんとおばさんだけだもん。私、褒められるの、すき。だから、褒められるためのものも、すき。」


 そうして、へらへらと笑って、それまでやめてしまったら、わたしには、なにもなくなっちゃうな。なんて、考えながら、紅茶を飲み干す。ごちそうさまを告げてから食器を片付けて、洗面台の鏡を眺めた。血色があまりよくない。昨日、朝日が昇る前から落ちる直前まで、おじさんの私有地内にある山でサバイバル演習のようなものをやらされたからだろう。ペイント弾を装填された銃と刃の長さが三十センチ近くあるサバイバルナイフを左手だけで操るのは、しんどいなんてものじゃなかった。服は赤のインクでドロドロになるし、慣れていないから手首に変な力が入ってギシギシするし、山を走り回されたから筋肉痛が酷くて仕方がない。唯一の救いと言えば、今日、ダイアゴン横丁へは地下鉄を使わず、おじさんとおばさんとともに車で向かうということくらいだろう。



『デイジー!』


 この間の逃亡に使用したプラチナブロンドのウィッグと真紅のカラーコンタクトは、今日着たかったパステルピンクとホワイトのボーダーのカーディガンとレース生地のタンクトップ、それとセットで買った同じくレース素材のショート丈のボトムズにはピッタリだった。靴は勿論、この間履いてきたのしかないから、オーバーニーの黒いブーツだ。少しでも身長を鯖読みたいので、私の持っている靴は凡そヒールのあるものである。ヒールがないのなんて、それこそスニーカーかビーチサンダルくらいだ。ホグワーツで履いているローファーだって、普通のペッタンコよりかは高さがある。
 まあ、とにかく、隠れる対象のないちょっとしたお忍び気分で、おじさんと魔法で鍛えられた細身の刀身と美しい鍔を持つ剣、レイピアを窓の外から眺め、テンションが上がって店の中ですぐさま構え、お店の人に許可をもらってから、軽く振り回した。ゴブリンが打ったとかいう業物なので、細身なのが特徴の剣だけれども、高い強度を誇り、敵を袈裟斬り出来るという。マグル製だと普通は曲がるのに、だ。しかも、普通は見た目よりも重く、私くらい筋力がないと持ち上げるのも一苦労であるというのに、これは、むしろ、吸い付くような重みがちょうどいいといった感じだ。何を素材にしているのか、全く想像できない。とりあえず、まあ、フルーレはフルーレでシンプルでかっこいいけど、レイピアの装飾はうっとりするくらい繊細で綺麗なのだから憧れはある。これで一回フェンシングしてみたいなあ、と思う程度にはほしかった。が、しかし、馬鹿にならない値段だ。何ガリオンするんだ、コレ。どうせ買うならマンゴーシュという補助用の短剣もほしいところだけれど、そうなると四百六十ガリオンは下らないので、早々に諦めた。
 おばさんがドラゴンの糞を見定めてるから行こ。とおじさんの腕を引く。するとおじさんは、これを、ほしいのだが。と一言。いやいやいや、なんでポンと買えるの。そして、楽しみだなあ。強くなれよ。と私に二振りの剣の入ったケースを押し付けた。いやいやいや、え、いや嬉しいけど、え?もしかしてプレゼントだろうか。と思い至り、お礼を言おうと口を開くと更に、マンゴーシュは護身用にきっちり常に携帯するんだぞ。この所、物騒だからな。と自分の腰を叩くので、戦場じゃないわ!と流石に声を上げ、遅れて小さな声でお礼を伝える。おじさんが無言で私の頭を弾むように撫でたとき、私の名前が大きな声で複数人に呼ばれた。


「ロン!フレッド!ジョージ!ジニー!久しぶり!」


 大きなケースを持ったまま手を振ると、通行人にケースの角が当たりそうになって、すぐにやめる。それぞれとハグを交わし、おじさまとおばさまは?パーシーもハリーもいないけど、どうしたの?と問いかけると、隣のおじさんが大きな声を張り上げた。


「アーサー!久しぶりじゃないか!え?まだ私達の技術に舌を巻いとるのかね?」

「全くだよ、アレックス。マグルの考えることは本当に素晴らしい。今年は子供達を送るのに君から譲ってもらったフォードで行く予定なんだが、楽しみで仕方がないよ、車での旅というものは。」

「旅と言うほどの遠出でもないだろう。」


 ハッハッハ、と笑いながら二人が抱擁を交わす向こう側で女性二人も抱き合っていた。なんでも、おばさんはウィーズリー夫妻のホグワーツ在籍中に教鞭を取っていたそうだ。すごい人というものは、案外近くにいるらしい。パーシーはどこだろうと周りを見渡すと、みんなに少し後れをとっていたらしく、ちょっとだけ息を乱してこちらにやってきたところだった。


「で、ハリーは?」


 今度遮られずにちゃんと聞くと、煙突飛行ネットワークで迷子になってしまったの!とおばさまは真っ青な顔を両手で覆った。なあに?それ。と首を傾げると、煙突飛行粉(フルーパウダー)を使って暖炉から目的地の暖炉まで移動するんだ。とジョージが答えてくれる。煙突飛行ネットワークは…そうだな、汽車の線路みたいなものさ。


「一緒についてればよかった!ハリーのおじさまとおばさまになんて言ったらいいか…。あまり遠い暖炉に行ってなければいいのだけれど。」


 ウィーズリーのおばさまの呟きに、少し落ち着きしなさいな。とおばさんが苦笑した。


「探しているのは、グリンゴッツの前でハグリッドとチャーミングな女の子とお話ししてる子でしょう?」


 一番に走り出したのはロンだった。続いて、ウィーズリーの残りのみんながが人混みの中を走っていく。基礎体力的な問題でおじさまは喘いでいたし、おばさまとジニーは、もうずいぶんと引き離されていた。私もはぐれてはいけないと、おじさんおばさんとともに、するすると人の間をかいくぐっていく。どうやらその方が人の流れの抵抗を受けにくく、結果、夫人よりも先に辿り着くことになった。向こうに着くと、ジョージは私の足元を見て一瞬固まり、レイピアとマンゴーシュの入った荘厳で重厚感のあるケースはさっと彼に奪われてしまう。目をパチパチして彼を見上げると、彼は素知らぬ顔だった。そんなことは当たり前だと言わんばかりだ。
 ハリーはというと、煙突飛行で誤って夜の闇横丁に出たらしく、フレッドとジョージは、すっげぇ!と同時に感心していた。ロンが、僕達、そこに行くのを許してもらったことないよ。と羨ましげに言うと、そりゃあ、その方がずーっとええ。とハグリッドが呻くように言っていた。


「久しぶりだな、ハリー。元気でやってたか?」

「まあ、一応…。でも、おじさんもおばさんも元気そうで何よりです。」


 デイジーが色々お世話おかけしました。とハリーが深々お辞儀をすると、よくできた子じゃないか。なあ?ダドリーなんかよりずーっと立派だ。体格はあれにはだいぶ劣るけどなあ。とハリーの頭を強く撫でつけながら、おじさんはハグリッドと再開を喜ぶおばさんに話していた。
 すると、少し離れたところで、やっと、あぁ、ハリー。という安心と疲労の混ざった声が聞こえる。おぉ、ハリー。ウィーズリーのおばさんは飛び跳ねるように来たようで、片手にぶら下げたハンドバックが左右に大きく揺れ、もう片方の腕にはジニーが、やっとの思いでぶら下がっていた。
 とんでもないところに行ったんじゃないかと思うと……。とおばさまは息を切らしながら、ハンドバックから大きなはたきを取り出してハリーに付いた細かい煤を払う。ハリーの壊れた眼鏡は、おじさまの手によって新品同様になった。


「さあ、もう行かにゃならん。」


 ハグリッドがそう言うと、ウィーズリーのおばさまはその手を両手で握りしめ(と言っても、ハグリッドの手が大きすぎるので人差し指と中指を握るので精一杯なのだが)、『夜の闇横丁!』ハグリッド、あなたがハリーを見つけてくださらなかったら!と心からのお礼をする。ロンやフレッド、ジョージは行きたがっているようだけれど、彼女の口振りから、どうやら本当に治安のよろしくなさそうなようである。ハグリッドは、みんな、ホグワーツで、またな!と言うと大股で去っていった。彼は、人波の中で、一際高く、頭と肩が聳えていた。


「『ボージン・アンド・バークス』の店で誰にあったと思う?」


グリンゴッツの階段を上っていると、ハリーが不意に私達に向かって問いかけた。ふるふると首を横に振ると、マルフォイと父親なんだ。とハリーはすぐに答えを口にする。ウィーズリーのおじさまは不審に思ったのだろう。ルシウス・マルフォイは、何か買ったのかね?と後ろから厳しい声で尋ねてきた。


「いいえ、売ってました。」

「それじゃ、心配になったわけだ。」


 私には、話の筋が見えなかったけれど、トゥイおばさんが、抜き打ち調査でもしてるの?と尋ねると、ええ、その通りです、先生。と至極嬉しそうに答えていたから、何か怪しげな物品のことなのだろう。そりゃ、もう、頻繁に粗を探していますよ。おじさまは真顔で満足げに、あぁ、ルシウス・マルフォイの尻尾をつかみたいものだ……。と口にする。そんなおじさまをウィーズリーのおばさまは厳しく窘めた。目の前で小鬼がお辞儀をし、腕で扉の方を指すと、扉は重たそうにゆっくりと開いていく。


「あの家族はやっかいよ。無理してやけどしないように。」


 おばさまのその言葉に、何かね、わたしがルシウス・マルフォイにかなわないとでも?とおじさまはムッとしたけれども、ハーマイオニーの両親を目にすると、すぐさまそちらに意識が行ってしまっていた。なんと、マグルのお二人がここに!とおじさまは嬉しそうに呼びかける。壮大な大理石のホールの端から端まで伸びるカウンターのそばに、二人は不安そうに佇んでいて、ハーマイオニーが紹介してくれるのを待っているようだった。そんな彼らにおじさまは、一緒に一杯いかがですか!そこに持っていらっしゃるのはなんですか?あぁ、マグルのお金を換えていらっしゃるのですか。と興奮気味に畳みかける。挙げ句の果てにハーマイオニーのお父さまの手にした十ポンド紙幣を指差し、モリー、見てごらん!と叫ぶので、とうとうファブスター大佐に取り押さえられてしまった。
 私は、ダイアゴン横丁に来てすぐに三千ポンドほど換金したので(それもこれも、あの美しいレイピアのためである)、まだ教科書を買うくらいのお金は裕にある。ジョージからケースを受け取り、ありがとうを言ってから、ロンやハリーにその旨を伝え、先に本を見ていたい。と言うと、快くオーケーが返ってきた。ロンがハーマイオニーに、じゃあ君は、あとで、ここで会おう。と言って、ウィーズリー一家とハリーと共に小鬼に連れられて、地下の金庫に向かう。じゃあ、私も先行くから、うちのおじさんとおばさんをよろしくね。とグレンジャー夫妻と話している二人に目をやりながらハーマイオニーに言うと、彼女は眉を顰めた。


「あの、悪いんだけど、私、あなたに会ったことあったかしら?」

「はっ?なんで?うそ!忘れたの?私を?」


 去年あれだけ一緒にいたじゃんか!デイジーだよ?デイジー・ダーズリー!忘れたなんて言わせないぞ。そこまで言うと、ハーマイオニーは目を見開き、嘘でしょう!?と私の顔を覗き込んだ。だって、目の色まで違うわ! そう言う彼女に、カラーコンタクトっていうのを着けてるだけだよ。と言って納得させた。私だとわからなかったなんて……通りで私に話しかけなかったわけだ。本当に、すごいわね。全然わからなかったわ。別人じゃない。と未だに私を観察するハーマイオニーに、わかったから、それはわかったから。私、じゃあ行くからね。と言って引き離し、グリンゴッツを出た。
 ダイアゴン横丁は相変わらずごった返していて、どうも前に進む気が失せる。しばらくおじさんのところで過ごしていたせいか、何かを呼んだり、早く何かをしてほしいときに舌呼するくせが再び身についていた。十歳の頃に舌打ちのように聞こえるからとママに叱られてから気をつけるようにしたんだけどなあ。大きなケースを片手にチッチッチッチッと舌を鳴らすと、遠くの方でボッと炎が強風に煽られた音がした。赤と金糸がやってくる。


「カプリコ、暫くぶりだね。本当に悪いんだけど、このケースをウィーズリー家に先に運んでおいてもらえる?まだ腕が使えないんだ。」


 ゆっくり瞳を閉じる彼に、教科書とか魔法薬に使う材料とかまだ買ってないから、また来てもらっていい?と更に頼みごとをすると、彼は快く、コーと鳴いてケースの取っ手に足をかける。そして、周りがカプリコの存在にやっと騒ぎ出す頃、彼は力強く上昇し、バチンと消えた。
 パンツのポケットに左手を突っ込んで、石畳をコツコツと軽くステップを踏みながら歩いていく。雑貨屋で普通の黒いインクと可愛い色をしたルビーレッドのインク、そして何となく気に入った金色のインク、板書をするときに使い分ける水色、橙、黄色のインク、それから羊皮紙に、新しい羽ペンを何本か買ったし、一目惚れしたお菓子の形をした付箋も購入てしまった。鞄に仕舞うときはページの隙間に隠れる優れものだ。
 十分くらいして目的の場所に着くと、すでに七人は人がいた。去年来たときは、本当に閑散としていたのになあ。と店内を見回すと、入り口の上の窓に店員が慌ただしく横断幕を掲げているのが見える。


サイン会
ギルデロイ・ロックハート
自伝「私はマジックだ」
本日午後12:30 〜4:30




 上階の窓に掛かった大きな横断幕には、確かにそう書かれていた。なんだか見たことのある名前だなあと記憶を遡る。あ、そうだ。ウィーズリーのおばさまがファンなんだっけ。店の奥にある支払いカウンターのすぐそばにスペースが空けられていて、その周辺には彼の著作がすべて並べられていた。どうせ貰えるならサイン入りがいいな、なんて、みんなが持ってないものを持ちたいと思うのは人間の性だと思う。
 とりあえず、二年生必携のものと個別に指定された教科書を手にサインを書くであろうレジの横の台の前へと並んだ。二学年用基本呪文集に泣き妖怪バンシーとのナウな休日、グールお化けとのクールな散策、鬼婆とのオツな休暇、トロールとのとろい旅、バンパイアとバッチリ船旅、狼男との大いなる山歩き、雪男とゆっくり一年、加えて三学年用と四学年用の基本 呪文集と変身術応用の教科書は一つ一つがそれなりに厚いし量が多いしで中々に重い。まだサイン会には一時間と少し時間があって、一番乗りだったので台に乗せた。どうやら誰か一人並ぶのを待っていたようで、私の後ろには次々と人が並んで列が生まれていく。ほとんどが中年齢層の魔女だっ た。
 それにしても、これらの本は少し児童書向けのタイトルだなあ。背表紙を向けて撫でるしかも、どうもこの本達の表紙は目立ちたがりでウィンクが少し鬱陶しい。まだまだ時間はあったので、そばの棚にあった最も強力な薬という本を開き、閉じた。とても見れたものではない。小さくて、でも酷い災害がそこに詰まっているように感じた。

 私がここに着いてから十分は経っただろうか。たぶん、退屈だったからもっと短い間だったかもしれないが、彼はやってきた。 横断幕に書かれていた時刻よりもだいぶ早い。ブルーの瞳とよく似た勿忘草色のローブに、キラキラ輝くハニーブロンドの髪には同じ色の三角帽子が小粋な角度をつけて乗せられている。白く輝く歯を私に見せつけ、可愛らしいお嬢さんが私に会うために、こんな早くから待ってくれてるのが見えて、つい、ね。とウィンクした。この十分間、表紙によって馬鹿みたいに浴びせかけられたウィンクである。正直、もういらん。思わず、少しうんざりした顔になって、慌てて彼の顔色を伺った。


「いやはや、私くらいのスターになると、こんなサービスはなかなかしないんですがね。あなたのような可愛らしいファンのためなら、いくらでもサインしてあげますよ。」

「………はぁ。」

「なんたって、私は、“大”スターですからね。」


 そう彼は更に私にウィンクを送る。私の顔が少しでも喜んでいるように見えたのだろうか。眼科での診察を強くお勧めしたいところである。
 まあ、とにかく、貰えるものは貰っておこう。と思い、本をテーブルに置く。彼がやたら大きな孔雀の羽ペンをインクに浸そうとしたとき、不意に素晴らしい考えを思い付いて彼に待ったをかけた。素早く、今までの全作品と、今回発売される、 『私はマジックだ』を二冊ずつ手に取り戻る。今日買ったインクを全て取り出し、蓋を開けた。


 「私が大スターなのだとしたら、君は大ファンだね、可愛らしいお嬢さん。友達に布教してくれるのかな?それともプレゼント?特別に名前を入れてあげましょう。どのお友達の名前をどの色で書けばいいのかな?」

「全部バレンタインで。」

「全部君の名前でいいの?」

「えっ、あ、…あー、えっと、読書用、鑑賞用、保存用です。」


 適当にはぐらかし、愛しのバレンタインへ。でお願いします。と言うのは、かなり勇気がいったし、恥ずかしかった。けれど、淡々と、今回一番目にサインしてもらった証拠に番号書いて貰えますか?とまで続けてしまえば、もうどうでもよくなった。むしろ、どうにでもなれというような気持ちだ。ところが、彼は、気味の悪いファンがいるとは思っていないようで、どうも“こんなにも自分を好きなファンがいる自分”に終始意識が向いているようだった。じゃなかったらノリノリで、わざわざ、私の愛しのバレンタインへ。とか、あなたのバレンタインより、愛を込めて。だなんて、サインに加えない。
 まあ、いい人ではあるんだろう。たぶん。言うこと為すことが基本的に自意識過剰気味だし気障だけれど。
 後ろに並んでいる人が、急かすようにつついてきたので、ありがとう。とちょっと焦りながら熱っぽくお礼を言って、はにかんだ。任務完了と言わんばかりに笑みが零れ、それを抑えながらインクを片付ける。 だって、バレたりなんかしたら彼に失礼だ。いくらファンじゃなくたって、あからさまにそんな態度を表に出したら私だって傷付く。まあ尤も、彼の瞳には、“サインをもらえたことに喜びを隠せない女の子”として映ったかもしれないけれど。
 じゃあね、お嬢さん。と彼が綺麗な笑顔でルビー 色のインクを渡してくれた。ありがとう。ばいばい。と手を振って後ろを振り向いたとき、私の後ろにはもう長蛇の列が出来ていて、うわ、と声が出た。ギルデロイ・ロックハートが、お気をつけて、お嬢さん。とくすくす笑う。確かに彼は大スターらしい。


「デイジー!」


 列はもう既に人混みと化していた。カメラマンと思しき小さな男が大きなカメラで写真を撮るために大勢の人が押し退けられる。目が眩むようなフラッシュを焚く度にカメラから紫色の煙がポッポッと上がっていた。人混みを掻き分けてやっとの思いで出入口の二メートル手前まできたところで名前を呼ばれ、ビクリと右に振り向く。ロンを始めとするウィーズリー一家とハーマイオニーとその両親、ファブスター夫婦にハリーがぐちゃぐちゃになりかけた列に並んでいた。


「君、先に並んでたんなら言ってよ、そしたらさっさと割り込んだのに…。何番目だったの?」

「一番。」

「嘘だろ?」


 そんなにロックハートの本なんか買っちゃって、今更ファンだなんてカミングアウトするつもり?とロンが目を丸くするもんだから、まさか。と肩をすくめて改めて彼らと列に並ぶ。すると、そこ、どいて。とカメラマンがアングルをよくするために後退りし、ロンに向かって低く唸るように言った。


「日刊予言者新聞の写真だから。」


 どうやらロンは足を踏まれたらしく、それがどうしたってんだ。と足をさすりながら不平を口にする。すると、ずっと前にいたロックハートが顔を上げ、ロンを見た。たぶん、声が聞こえたからだろう。彼はロンのあとに私を見て、少し驚きながらもこちらに手を振り、ハリーに目を向けた。大きな瞳が、パチリと瞬く。


「もしや、ハリー・ポッターでは?」


 ロックハートが勢いよく立ち上がってそう叫ぶと、モーセの出エジプトのごとく人垣が割れ道が現れた。ロックハートは列に飛び込み、ハリーの腕を掴むと正面に引き出した。二人が握手するとカメラマンはシャッターをきり、周りから自然と拍手が生まれたので私もつられて拍手してしまった。ロックハートが白い歯を剥き出して笑っている。もしかしたら、ハリーが有名人っぽいことをしているのを見るのは今日が初めてかもしれない。 二人の手が離れると、今度は、ロックハートはハリーの肩に腕を回してがっちりと自分の傍に締め付けた。そして、みなさん。と張り上げた声で店内にいる人間の注目を自分に集める。


「なんと記念すべき瞬間でしょう!私がここしばらく伏せていたことを発表するのに、これほどふさわしい瞬間はまたとありますまい!ハリー君が、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店に本日足を踏み入れたとき、この若者は私の自伝を買うことだけを欲していたわけであります。それを今、喜んで彼にプレゼントいたします。」


 無料で。と彼が口にした瞬間、拍手が沸き立った。何故周りが興奮するのか些か疑問だったけれど、あの量の本をすべてタダでもらえるのはうらやましい限りだ。そろそろ彼の話も終わるだろうと本を抱え直した。が、そう人生はうまく行くものではないらしい。この彼が思いつかなかったことではありますが、とロックハートの演説が続く。要約すると、日刊予言者新聞に映る自分すごい。彼の有名なハリー・ポッターを自分と自分の本のためにここまで来させた自分すごい。ハリー・ポッターに無料で前作プレゼントする自分太っ腹。ってとこだろう。その態度をせめて外にさえ出さなければ、もう少し知的に見えたのに。


「この九月から、私はホグワーツ魔法魔術学校にて、『闇の魔術に対する防衛術』担当教授職をお引き受けすることになりました!」


 まさに、ウソだろ?って感じだ。通りで教科書リストに彼の本ばかりが並んでいたのか。フレッドの予想は外れたみたいだ。自分の本を一、二冊授業に使うならならまだしも、七冊も用意するなんてどうかしてる。そもそも、一つの科目に七冊も必要っていうのが不思議だ。 店内にいる人やお店から溢れている人まで、みんなが拍手をしている中、ハリーはロックハートの全著書をプレゼントされていた。よろよろと、本の重みで覚束ない足取りをしながらも部屋の隅っこに逃げるのが見える。ハリー!こっち!と呼びかけても人の声とシャッターの音でかき消されてしまうらしいので、私、ハリー呼んでくるね。とみんなに伝えて本を抱えながら人を掻き分けた。ロックハートを一目見ようと人が前に前に押してくるので彼らの間を縫うのはきついし、人よりも背が足りない私は下を向いて息を吸う空間を作らなきゃ呼吸もできない。


「あっ、ハリー!やっと見つけた!ジニーもここ にいたの?」


 顔、真っ赤だけど大丈夫?と声をかけようとして、第三者の存在に気付いた。ああ、マルフォイ久しぶり。年下を虐めるなんて幼稚だからやめたら?とジニーに何か言ったであろう彼の行為を窘める。すると彼はやっと私だと気付いたようで、君か。と眉を上げた。やあ、ダーズリー。君もあの、品のない有名人の魔法使いのファンなのかい?ドラコ・マルフォイが訝しい顔をしてから私をせせら笑う。いや、全然。今年の教科書リスト見なかったの?と言えば、すぐに咳払いして普段の表情を取り繕っていたが。


「そう言えば、二週間ほど前に父上と母上ととある音楽会のコンクールを見に行ったんだ。」

「それは贅沢だね。」

「そしたら演目の中に誰がいたと思う?」


 さも面白げに聞いてくるので、テキトーに、さあ?知らない。有名人なんでしょうね。と答えれば、ああそうさ。と彼は私を鼻で嗤った。


「デイジー・ダーズリーだよ。僕と同い年で、毎年色んなコンクールを総ナメしかけてるらしい。 銀賞だから、“しかけてる”だけだけどね。それで、僕の父上が言ったんだ。ハリー・ポッターの親戚に同じ名前の奴がいるって僕が話してたから、コンクールに出てるのはもしかしたら君じゃないかって。まあ結局、そいつは棄権しちゃって顔を拝むことは出来なかったけど。」

「それで何が言いたいの?」


 無駄話しにきたわけじゃないんだけど。と続けると、僕もさ。とマルフォイは不愉快に眉をあげて返してくる。たぶん、そいつは逃げたんだよ。とマルフォイが言った。


「棄権とか言って、どうせ大した理由じゃないと 思うね。毎年一番にはなれないから、自分に才能がないってやっとわかったんだ。あ、君がそうって言ってるわけじゃない。君が演奏してたら、僕、きっと恥も外聞も関係なくブーイングしちゃうだろうからね。」

「それで、何が言いたいの?」


 冷ややかにもう一度尋ねると、今度は、いいや、別に、それだけさ。と彼は不満げに答える。なんだ、やっぱり大した話じゃなかったんだ。と彼に向けて溜め息を吐いてやった。すると、人混みの間からもぞもぞと赤い頭が出てくるのが見えて、 お疲れ。と声をかける。私の後を追ってきたらしいロンとハーマイオニーはロックハートの本を一 山ずつしっかり抱えていた。


「なんだ、デイジーが珍しく不機嫌そうに話してたから誰だろうと思ったんだけど……君か。」


ロンは靴の底にベットリとくっついた不快なものを見るような顔でマルフォイを見、ハリーがここにいるので驚いたってわけか、え?などと食ってかかる。そんな挑発で言葉に詰まるマルフォイではなく、ウィーズリー、君がこの店にいるのを見てもっと驚いたよ。と言い返した。


「そんなに買い込んで、君の両親はこれから一カ月は飲まず食わずだろうね。」


 最早、よくもまあそんなに皮肉が思いつくものだと感心する域である。ロンがジニーと同じくらい真っ赤になって、彼女の鍋の中に本を放ったところで、ハリーとハーマイオニー、私はロンの上着の襟首をしっかり掴まえ、ロンがマルフォイに飛びかかろうとするのを阻止した。


「ロン!何してるんだ?」


 ここはひどいもんだ。早く外に出よう。ウィーズリーおじさまがフレッドとジョージと共に人混みから抜け出しながら呼び掛ける。するとさらに他の人の声が加わり、おじさまの名を呼んだ。ドラコ・マルフォイのいう“父上”だろう。息子の肩に手を置き、彼とそっくりな薄ら笑いを浮かべて立っている。ルシウス。とおじさまは首だけの会釈をした。


「お役所は忙しいらしいですな。あれだけ何回も抜き打ち検査を……。」


 残業代は当然払ってもらっているのでしょうな?とマルフォイ氏はジニーの大鍋に無遠慮に手を突っ込み、ハリーのと思われるものとロンの豪華なロックハートの本の中から、使い古しの擦り切れた変身術入門の本を引っ張り出す。どうもそうではないらしい。と口端を歪め、役所が満足に給料も払わないのでは、わざわざ魔法使いの面汚しになる甲斐がないですねぇ?と鼻で嗤った。おじさまの顔がロンやジニーよりも深い赤色になっていくので、いやそれは仕事内容がどうのって問題じゃなくて、魔法省の惰性を正すべき、と私が反論しようとしたところでジョージに口を押さえられる。パパに任せとけって。今睨まれたら大変だぞ。あいつ、ホグワーツの理事なんだから。と耳元で囁かれ、ゾワリとした。コクコクと頷けば、そっと解放してくれる。 マルフォイ、とおじさまが一度空気を吐き出してから口を開いた。


「魔法使いの面汚しがどういう意味かについて、 私達は意見が違うようだが。」

「左様ですな。」


 マルフォイ氏の薄灰色の目が、心配そうになりゆきを見ているグレンジャー夫妻と明らかに眉間に皺を寄せているファブスターおじさまの方に移る。あ、と私の口元が引きつった。あれは、やばい。小さい頃から私は特別に軍隊演習を何度か見せてもらったことがあるのだが、演習を舐めてかかった兵士の動きを見ているときの顔が正にあの顔だった。
 私、もう知ーらない。と、そっと隣にいたジョージの後ろに身を引く。そんな私の心境などいざ知らず、マルフォイ氏は薄く歪めた口で、こんな連中と付き合ってるようでは……君の家族はもう落ちるところまで落ちたと思っていたんですがねぇ。と紡ぎ、次の瞬間、その背中を本棚に打ち付けていた。ウィーズリー のおじさまが我慢ならなくなって飛びかかったようで、ジニーの大鍋は床に鈍い音を立てて落ち、本棚に並べられていた分厚い呪文集数十冊が私達の頭上から降りかかってくる。
 やっつけろ、パパ!とフレッドが叫び、アーサー、ダメ、やめて!とおばさまが悲鳴を上げた。取っ組み合いに巻き込まれまいとする人達が彼等から距離を取り、はずみでまた本棚にぶつかっている。店員さんが悲痛な叫びを上げて仲裁を図ろうとするが、もはや声が届いてるのかさえ不安である。


「いい加減にしろ、貴様等!」

「やめんかい、おっさんたち、やめんかい。」


 一際大きな声が響き、ハグリッドが本の山を掻き分けてこちらへやってくると二人を引き離した。後ろから続いて大佐が肩で風を切り、冷たい炎を宿したような目を二人に向ける。ウィーズリーおじさまは唇を切っていたし、マルフォイパパの目はウィーズリーおじさまの手に握られている毒きのこ百科で打たれた痣が出来ていた。
 大佐は、二人を交互に見やってマルフォイ氏に視線を留めると、私には貴様程の資金はないが、あらゆる権力を持ち出してそれを打ち砕くことくらいはできる。マグルの科学をあまり甘く見るなよ。と鼻を鳴らし、ウィーズリーおじさまには、アーサー、 子供の前でなんて様だ!やるなら勝て!じゃなけりゃケンカなんてもんはやるな!碌なもんじゃない。……いいか、拳っていうのはな、こう使うんだ!と思い切り拳骨を食らわしていた。思わず、アイタッ!と身に染みて覚えている痛みを想像して目を瞑ってしまう。彼は根っからの軍人で、勝者至上主義者なのだ。


「ほら、チビ。君の本だ。君の父親にしてみればこれが精一杯だろう。」


 マルフォイ氏は未だに手にしていた変身術入門の本をジニーに突き返した。ギラリとした妖しい瞳で周りを一瞥すると、ハグリッドの手を振りほどく。息子に目で合図して、彼は早々に店から出て行った。あの人達は、一体何のためにこちらにつっかかってくるんだろう。
 アーサー、あいつのことはほっとかんかい。とハグリッドが、ウィーズリーおじさまを吊るし上げそうになりながら窘める。おそらく、もみくちゃになったローブを整えようとしたのだろう。


「骨の髄まで腐っとる。家族全員がそうだ。みんな知っちょる。マルフォイ家のやつらの言うこたぁ、聞く価値がねえ。そろって根性曲がりだ。そうなんだ。」


 苦々しげに吐き出すと、さあ、みんな…さっさと出んかい。と私たちの背中を押す。勢いあまって本の山に頭を突っ込みそうになったが、一歩手前でなんとか踏みとどまった。
 外に出て、急いで書店から離れる。ハーマイオニーの両親は恐ろしさに震え、モリーおばさまは怒りに震えていた。


「子供たちになんてよいお手本を見せてくれたものですこと……公衆の面前で取っ組み合いなんて……ギルデロイ・ロックハートが一体どう思ったか……。」


 おばさまの言葉に、あいつ、喜んでたぜ。とフレッドが戯けたように口を挟む。どういうことだと首を傾げると、店を出るときあいつが言ってたこと、聞かなかったの?とニヤリと笑った。


「あの『日刊予言者新聞』のやつに、喧嘩をきじにしてくれないかって頼んでたよ。」

「なんでまた。」

「なんでも、宣伝になるからって言ってたな。」

「ある意味、スターの鏡なわけだ。」


 先程の喧嘩をなんでもないことに思っているのは双子と私くらいらしい。一行がしょんぼり漏れ鍋の暖炉に向かう中、ケラケラとロックハートの教科書を音読しながら歩いて行った。


「それにしても、デイジー、その本どうするつもり?三冊ずつ持ってるけど、いつのまにファンになったんだ?」

「まさか。」

「馬鹿にならない値段だろうに。」

「だからだよ。転売するの、ロックハートのサイン本。」


 ここまで来れなかった人にはさ、いい値段で売れると思わない?と口元を手で押さえると、お前って本当に抜け目ないな。と肩を組まれる。


「でも、どうするんだ?煙突飛行粉は飛ぶやつ全部煤けちまう。」

「大丈夫。カプリコがいるもん。」




久し振り過ぎて書き方変わりました。
20140903
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