バーノンおじさんの凄まじい顔を最後に、音を立てず部屋に辿り着いて、スッと中に入る。ゆっくり丁寧にドアを閉めてベッドに倒れこもうとしたけれど、ベッドには先客がいて、それは阻まれた。危うく叫び声をあげそうになったが、やっとのことで飲み込む。ベッドの上にはコウモリような長い耳と、テニスボール大の緑の目を持つ小さな生物がいた。昼間、庭の生垣から僕を見ていたのはこれだ。と、はっと気付く。


「メイソンさん、奥様、コートをお預かりいたしましょうか?」


玄関ホールの方からダドリーの声が聞こえてきた。あら、ありがとう小さな紳士さん。とメイソン夫人らしき女の人の声も聞こえた。あっ、そこの段差に気を付けてくださいね。私、先日不注意でそこの段差に躓いてしまったんですの。と言っているのは、きっとデイジーだ。

生物はベッドからスルリと滑り降りて、カーペットに細長い鼻の先がくっつくぐらい低くお辞儀をした。その生物は、古い枕カバーのようなものを服にしているらしく、枕カバーの裂け目から手と足を出していた。


「あー……こんばんは。」


少し不安になりながらも挨拶すると、ハリー・ポッター!と生物が甲高い声を出したから、下まで聞こえたんじゃないかと身が硬くなる。ドビーめはずっとあなた様にお目にかかりたかった…。とても光栄です……。と生物が言うので、ぎこちなくありがとうを言って、壁伝いに机の方ににじり寄り、くずれるように椅子に腰掛けた。椅子のそばの大きな鳥籠ではヘドウィグが眠っており、さらに大きな鳥籠ではカプリコが見透かしたようにこちらを見ながら餌を啄んでいる。


「…君は、だれ?」

「ドビーめにございます。」


君はなーに?と聞きたかったけれど、それじゃあまりにも失礼だと思ってそう聞くと、彼はドビーだと名乗った。


「ドビーと呼び捨ててください。“屋敷しもべ妖精”のドビーです。」

「、あー…そうなの。あの、気を悪くしないで欲しいんだけど、でも…、」


まごつきながら言っていると、ペチュニアおばさんの甲高い作り笑いが居間から聞こえてきて、静かに素早く口を動かした。僕の部屋に今、屋敷しもべ妖精がいると、とっても都合が悪いんだ。


「知り合いになれて嬉しくないってわけじゃないんだよ。」


しもべ妖精がうなだれたので慌てて言う。それから、だけど、あの、何か用事があってここに来たの?と問えば、はい、そうでございますとも。とドビーは熱っぽく言った。


「ドビーめは申し上げたいことがあって参りました……。複雑でございまして、…ドビーめはいったい何から話してよいやら……。」


大きな目玉をキョロキョロと地面に這わすドビーに、座ってね。とベッドを指差して丁寧にそう言うと、しもべ妖精はわっと泣き出した。はらはらするようなうるさい泣き方で、いつおじさんやおばさんが来るか気が気じゃない。


「す、座ってなんて!これまで一度も…一度だって……!」

「ごめんね、」


階下の声が一瞬たじろいだような気がして、これ以上ドビーの気を逆撫でしないよう、気に障るようなことを言うつもりはなかったんだけど。とささやくと、妖精は喉を詰まらせた。


「ドビーめはこれまで、たったの一度も、魔法使いから座ってなんて言われたことがございません。…まるで対等みたいに……。」


ドビーの涙声を、デイジーの、申し訳ありません。私のペットが興奮しているようでして……。といういつもよりもずっと突っ張った声がごまかしてくれている。
僕は彼に、シーッ!と言いながら、宥めるようにベッド向かうよう促して、その上に座らせた。ベッドでしゃくりあげている姿は、なんだか……失礼かもしれないけど、とても醜い大きな人形みたいだった。しばらくするとドビーはやっと収まってきて、大きなギョロ目を尊敬で潤ませ、僕を見つめる。


「君は礼儀正しい魔法使いに、あんまり会わなかったんだね。」


僕はただ、ドビーを元気づけるつもりでそう言っただけで、ドビーは頷いた。そして突然立ち上がると、なんの前触れもなしに窓ガラスに激しく頭を打ちつけはじめる。


「ドビーは悪い子!ドビーは悪い子!」

「やめて…!いったいどうしたの!?」


声を噛み殺して叫ぶ。パタパタと誰かが階段を上がってくる音が聞こえて、飛び上がってドビーを引き戻し、布団を上からかけて隠した。ヘドウィグが目を覚まして一際大きく鳴いたかと思うと鳥籠の格子にバタバタと激しく羽を打ちつける。カプリコがカツカツとくちばしを鳴らしてそれを宥めた。

「ハリー?」

「…なんだ、デイジーか……。」


ホッと溜息をつくと、なんだじゃないよ。とデイジーが顔を顰めてドアを後ろ手に閉める。


「パパが、イライラしてる、よ。もう、ちょっと…静かにしないと…まずいよ。しゃべり声も、聞こえてて、メイソンさん達が、不審に思ってるの。
……で、だから、そこにいるのは、だれ?」


さすがと言うか、なんというか、デイジーはすぐに僕のベッドが少し膨らんでいるのに気付いて指を差した。そっと布団を退かすと彼女は目を丸くさせる。


「屋敷しもべ妖精のドビーだって。」


僕が早口でそう言うと、ああ、教科書に載ってたっけ。とデイジーは顔を顰めて自分の枕カバーを剥いで穴を開け、ドビーに着るように言った。ドビーが、なんて優しいのだろうと再び目に涙を浮かべると、泣いちゃ、ダメ。とデイジーがピシャリと言ったので、ドビーは必死に口を両手で押さえていた。たぶん、ただデイジーは、古くて汚いそれが相当気になって、少しだけ不憫に思っただけなのだろう。ドビーの身につけている枕カバーはペチュニアおばさんなら発狂してもおかしくないくらいに小汚かった。


「一階にまで、声…聞こえたけど、いったい、何をしてたの?」

「わからないけど、いきなり彼が窓に頭を打ち付けたんだよ。」


どうしてあんなことをしたの?と尋ねると、ドビーめは自分でお仕置きをしなければならないのです。と妖精が清潔な枕カバーを抱きしめて言った。


「自分の家族の悪口を言いかけたのでございます…。」

「君の家族って?」

「屋敷しもべ、妖精なんだから、仕えてる魔法族の…一家じゃない?」

「はい、その通り、ドビーめがお仕えしているご主人様、魔法使いの家族でございます。ドビーは屋敷しもべです。一つの屋敷、一つの家族に一生お仕えする運命なのです…。」


その家族は君がここに来てることを知ってるの?と僕が興味本位で聞くと、ドビーは身を震わせる。それを見たデイジーが、知らないの?と聞くと妖精が小さく頷いた。


「ドビーめはこうしてお目にかかりに参りましたことで、きびしーく自分をお仕置きしないといけないのです。ドビーめはオーブンの蓋で両耳をバッチンしないといけないのです。ご主人様にばれたら、もう……。」

「ばれたくない、なら、お仕置きしないで黙ってた方が…いいと思うけど、なあ。」

「そうだよ。君が両耳をオーブンの蓋に挟んだりしたら、それこそご主人が気付くんじゃない?」


僕がデイジーに同意をすると、ドビーは首を振って、ドビーめはそうは思いません。と視線を落とす。


「ドビーめは、いっつもなんだかんだと自分にお仕置きをしていないといけないのです。ご主人様は、ドビーめに勝手にお仕置きをさせておくのでございます。時々お仕置きが足りないとおっしゃるのです…。」

「勝手にお仕置き、させておくんなら、文句言わないでほしいものだ、けど。」

「どうして家出しないの?逃げれば?」

「無理だよ、ハリー。」


今度はデイジーが首を振った。屋敷しもべ妖精って言うのは、本能的に家事労働を…行ってしまうものだし、不本意でも、主人からの命令には絶対服従。主人から衣服を…貰うことが、妖精からしてみれば、解雇ってことに、なる、けど…、そこまで言って口を濁す。ドビーがコクリと頷いた。


「屋敷しもべ妖精は解放していただかないといけないのです。ご主人様はドビーめを自由にするはずがありません。…ドビーめは死ぬまでご主人様の一家に仕えるのでございます…。」


あまりの不当さに目を見張って、僕なんか、あと四週間もここにいたら、とっても身が持たないと思ってた。君の話を聞いてたらダーズリー一家でさえ人間らしいって思えてきた。と告げる。誰か君を助けてあげられないのかな?僕に何かできる?と言ってしまったことについては失敗したと思った。ドビーはまたしても感謝の雨あられと泣き出し、それが聞こえたのだろう、下から、デイジーを呼ぶおじさんの声が聞こえる。焦ったデイジーが思わず少し声を荒げて、泣くな!と言って、痛みに呻いていた。


「いい…?私と、同じ敷地内に、いるときは泣いちゃ、ダメ。悪いけど、今、すごく…状況が悪いの。わかってくれると…うれしいんだけど…。」


ドビーはそれにしっかりと二度と頷き、再びおじさんに名前を呼ばれたデイジーは、今消した!大変だよ!私のすきな俳優がさあ!と右頬を左手で押さえながら階段を掛け降りていく。それを僕と一緒に目で追っていた妖精と目が合った。


「……嬉しかったのでございます。ハリー・ポッターが、何かできないか。って、ドビーめに聞いてくださった。魔女の方が気を遣ってくださったのも初めてでした。
ドビーめはあなた様が偉大な方だとは聞いておりましたが、こんなにおやさしい方だとは知りませんでした…。」

「ぼ、僕が偉大だなんて、君が何を聞いたか知らないけど、くだらないことばかりだよ。僕なんか、ホグワーツの同学年でトップというわけでもないし。ハーマイオニーが……、」


ドビーの称賛の言葉に赤くなりながら答えていたけれど、ハーマイオニーのことを思い出しただけで胸が痛んで、やめた。デイジーには革製のブックカバーに銀の栞だったけれど、僕にはプレゼントは何もなしだ。別にプレゼントが友人関係のものさしだとは思っていないけれど、気にしないわけにいかなかった。キラキラした目で僕を見つめる妖精に、デイジーも僕を見誤ってるんだ。偉大なんかじゃないよ。と呟くとドビーは目を輝かせて恭しく口を開く。


「ハリー・ポッターは謙虚で威張らない方です。ハリー・ポッターは『名前を呼んではいけないあの人』に勝ったことをおっしゃらない。」

「ヴォルデモート?」


その人間の名前を口にすると、あぁ、その名をおっしゃらないで。おっしゃらないで。とドビはコウモリのような耳をパチッと覆って呻くように言った。慌ててごめん。と続ける。


「こういう話ができるの、ずっとデイジー一人だったから忘れてたんだ。その名前を聞きたくない人はいっぱいいるんだよね…。僕の友達のロンなん…か……。」


ロンもデイジーには、双子のフレッドとジョージと一緒に作ったらしい、不恰好な手作りケーキとバースデーカードで、僕には、一通も……。デイジーは気を遣って何も言わなかったけれど、ロンを思い出すたびに胸が疼いた。素直に、デイジーが羨ましかった。
そんな僕の胸中なんて知る由もないドビーは、ヘッドライトみたいな目を見開いて、僕の方に身を乗り出す。じろじろ見られるのは、なんだか見透かされているような気がして気分がいいとは言えなかったし、相手は彼しかいないのに、なんだか見せ物にされているような気分に陥った。
ドビーめは聞きました。そう言ったドビーの声はかすれていた。緊張しているようにも感じたし、希望に満ちあふれているようにも感じる。


「ハリー・ポッターが闇の帝王と二度目の対決を、ほんの数週間前に……。ハリー・ポッターが、またしても、その手を逃れたと!」


僕が頷くと、ドビーは、あぁ、と感嘆を吐き、目に涙を湛えて、身に纏った汚らしい枕カバーの端っこを顔に押し当てて涙を拭ってから盛大に鼻をかんだ。


「ハリー・ポッターは勇猛果敢!もう何度も危機を切り抜けていらっしゃった!でも、ドビーめはハリー・ポッターをお護りするために参りました。あの小さなお方にも伝えることを、決して、お忘れなきよう…。……警告しに参ったのです。あとでオーブンの蓋で耳をバッチンとしなくてはなりませんが、それでも……。」


何を言おうとしているのか、一字一句聞き逃すまいと全神経を妖精に向ける。ドビーは深く息を吐いて、口を少しだけ、開いた。


「ハリー・ポッターはホグワーツに戻ってはなりません。」


カチャカチャと階下で食器同士が当たる音と、遠い雷鳴のようにゴロゴロというバーノンおじさんの声だけが僕の耳に届く。さっきまでとは全く違う。水を打ったような静けさが僕とデイジーの部屋に広がった。


「な、なんて言ったの?僕、だって、戻らなきゃ。…九月一日に新学期が始まるんだ。それがなきゃ僕、耐えられないよ。ここがどんなところか、君は知らないんだ。ここは身の置き場がないんだ。僕の居場所は君と同じ世界、ホグワーツなんだ。」

「いえ、いえ、いえ。」


僕の逼迫した思いをドビーは首を振ってキーキー声で否定する。


「ハリー・ポッターは安全な場所にいないといけません。」


あんまり激しく頭を横に振ったので、耳がパタパタいっていた。


「あなた様は偉大な人、優しい人。失うわけには参りません。ハリー・ポッターがホグワーツに戻れば、死ぬほど危険でございます。」

「どうして?」


死ぬほどだなんて、そんなバカな。と驚いて尋ねると、ドビーは突然全身をワナワナ震わせる。


「罠です、ハリー・ポッター。」


囁くように言った。


「今学期ホグワーツ魔法魔術学校で世にも恐ろしいことが起こるよう仕掛けられた罠でございます。ドビーめはそのことを何ヵ月も前から知っておりました。ハリー・ポッターは危険に身をさらしてはなりません。ハリー・ポッターはあまりにも大切なお方です!」

「世にも恐ろしいことって?」


誰がそんな罠を?と聞き返すと、ドビーは喉を締められたような変な声をあげて、狂ったように壁にバンバン頭を打ちつける。ブワッと全身の毛穴という毛穴から冷や汗が出て、わかったから!と叫びながらドビーの腕をつかんで引き戻した。言えないんだね。わかったよ。と彼をなだめてから、でも君はどうして僕に知らせてくれるの?と素朴な疑問をぶつけると、急に嫌な予感が襲ってきた。


「…もしかして、それ、ヴォル……あ、ごめん。……『例のあの人』と関係があるの?」


ドビーの頭がまた壁の方に傾いたので、首を縦に振るか、横に振るかだけしてくれればいいよ。と慌てて付け足す。いいえ。と、ゆっくり、ドビーは首を横に振った。


「『名前を呼んではいけないあの人』では、ございません。」


ドビーは目を大きく見開いて、やたら句切ってそう言い、何かヒントを与えようとしているように感じたけれど、皆目見当がつかない。『あの人』に兄弟がいたかなぁ?と首を傾げると、ドビーは首を横に振って、さらに目を大きく見開いたが、やっぱり何を伝えたいのか、それだけじゃ何もわからなかった。


「それじゃ、ホグワーツで世にも恐ろしいことを引き起こせるのは、他に誰がいるのか、全然思いつかないよ。だって、ほら、ダンブルドアがいるからそんなことはできないんだ。」


あ…君、ダンブルドアは知ってるよね?と改めて聞くと、ドビーはお辞儀をした。


「アルバス・ダンブルドアはホグワーツ始まって以来、最高の校長先生でございます。ドビーめはそれを存じております。ドビーめはダンブルドアのお力が『名前を呼んではいけないあの人』の最高潮のときの力にも対抗できると聞いております。」


しかし、でございます。ドビーは眉間に皺を寄せ、声を落として囁いた。


「ダンブルドアが使わない力が……正しい魔法使いなら決して使わない力が……。」


そして、ドビーは止める間もなくベッドから飛び降り、僕の机の上の電気スタンドを引っ掴んで、耳をつんざくような叫び声をあげながら自分の頭を殴り始めた。
叫びたいのは僕の方だと一瞬怯み、一階が突然静かになったのに気付いた。あら…?消した、はず…なんですが…。と言うデイジーの声が微かに聞こえ、次の瞬間、バーノンおじさんがドスドスと玄関ホールに出てくる音が響く。


「ダドリーがまたテレビをつけっぱなしにしたようですな。しょうがないやんちゃ坊主で!デイジーもどうしてさっき気付かなかったんだか!」


心臓が、早鐘のように鳴った。
早く!洋服箪笥に!と声をひそめてドビーを箪笥に押し込む。戸を閉め、ベッドに飛び込んだ。まさにその時、ドアがカシャリと開いた。


「一体、貴様は、ぬぁーにを、やって、おるんだ?」


バーノンおじさんは僕に詰め寄り、顔をいやというほどこちらの顔に近付けて食い縛った歯の間から絞りだすように声を出した。


「日本人ゴルファーのジョークの折角のおちを、貴様が台無しにしてくれたわ…!…今度音をたててみろ。生まれてきたことを後悔するぞ。わかったな!」


おじさんがドスンドスンと床を踏み鳴らしながら出ていく。階下まで行ったことを音で確認して、震えながらドビーを箪笥から出した。


「ここがどんなところかわかった?僕がどうしてホグワーツに戻らなきゃならないか、わかっただろう?あそこにだけは、僕の……つまり、僕の方はそう思ってるんだけど、僕の友達がいるんだ。」

「従姉にはプレゼントを贈るのに、ハリー・ポッターには手紙もくれない友達なのに…ですか?」

「たぶん、二人ともずー…っと……、」


え?と眉をひそめる。彼は、知らないはずだ。だって、今日、初めて会ったんだ。


「僕の友達が手紙をくれないって、どうして君が知ってるの?」

「…ハリー・ポッターはドビーのことを怒ってはダメでございます…。ドビーめはよかれと思ってやったのでございます…。」


僕が尋ねると、ドビーは足をもじもじさせて、そう答えた。
君が、僕宛の手紙を…僕宛の手紙だけをストップさせてたの?と語気を強めて、聞く。すると、妖精はするりと手の届かないところに逃れ、ここに持っております。と着ている枕カバーの中から分厚い手紙の束を引っ張り出した。見覚えのあるハーマイオニーのきちんとした字、のたくったようなロンの字、ホグワーツの森番ハグリッドからと思われる走り書きも見える。
ドビーは僕の方を見ながら心配そうに目をパチパチさせた。


「ハリー・ポッターは怒ってはダメでございますよ。…ドビーめは考えました…。ハリー・ポッターが友達に忘れられてしまったと、あなた様の小さな従姉は忘れられていないのにと思って……ハリー・ポッターはもう学校には戻りたくないと思うかもしれないと…。」


話は無視した。聞いても意味がないと思ったのだ。手紙をひったくろうとしたけれど、ドビーは手の届かないところに飛びのいた。ホグワーツには戻らないと約束したら手紙をを渡すと、僕は危険な目に遭ってはならないと言う。そんなことはどうだってよかった。…いや、危ない目に遭うのはどうだってよくないけれど、でも、それでも手紙さえあれば、僕は何だっていいと感じた。


「どうぞ、戻らないと言ってください。」

「いやだ。僕の友達の手紙だ。」


さすがに怒って、返して!とドビーを睨み付ける。妖精は、それではドビーはこうする他ありません。と悲しげに目を伏せた。そして、止める間もなくドビーは矢のようにドアに向かい、階段を全速力で降りていく。
僕も全力で、それでいて音を立てないように跡を追った。興奮と緊張とで口の中がカラカラする。胃袋なんか引っ繰り返りそうだ。最後は一気に六段飛び降りて、猫みたいに玄関ホールのカーペットの上に着地した。あたりを見回してドビーの姿を探す。食堂からバーノンおじさんの声が聞こえてきた。


「…メイソンさん、ペチュニアに、あのアメリカ人の配管工の笑い話をしてやってください。妻ときたら、聞きたくてうずうずしてまして…、」


大丈夫、気付いてない。と玄関ホールを走り抜けてキッチンに入る。と、胃袋が消えてなくなるかと思った。ペチュニアおばさんの傑作デザート、山盛りのホイップクリームとスミレの砂糖漬けが、天井近くを浮遊しているのだ。ドビーは戸棚のてっぺんの角の方にチョコンと腰掛けている。あぁ、ダメ、と擦れた声が漏れた。


「ねぇ、お願いだ…。僕、殺されちゃうよ…。」

「ハリー・ポッターは学校に戻らないと言わなければなりません。」

「ドビー、お願いだから…、」

「どうぞ、戻らないと言ってください。」

「僕、言えないよ!」


では、ハリー・ポッターのために、ドビーはこうするしかありません。悲痛な目付きのドビーが言い、今更重力の存在を思い出したようにデザートが落ちていく。スローモーションのようだった。コマ送りで皿は床に向かっていき、心臓が止まるような音を立てて落ちた。食堂が悲鳴があがる。皿は割れ、ホイップクリームが、窓やら壁やらに飛び散っていた。茫然とそれを見ていると、鞭を鳴らすような音がしてドビーは消えた。バーノンおじさんがキッチンに飛び込んでくる。続いて、のたのたとデイジーが胸を押さえながらキッチンを覗いた。えっ、と彼女が言う。僕は頭のてっぺんから足の先までペチュニアおばさんのデザートをかぶって、ショックで硬直していた。

ひとまずは、おじさんが、僕が精神不安定で知らない人に会うと気が動転する甥で、二階に行かせていたとかなんとかでその場を取り繕って、なんとかいった、らしい。メイソン夫妻はおじさんに、さあ、さあ。と食堂に戻されていたので詳しくはわからないし、二人が帰った後で、虫の息になるまで鞭で打ってやると言われてしまい、モップを渡された後も頭がそれでいっぱいになっていたからだ。


「どうして、こんな格好、に…?」


一緒になってモップで床を拭くデイジーが心配そうに眉をひそめて言った。ペチュニアおばさんが、顔を真っ青にしてフリーザーの奧からアイスクリームを引っ張り出し、小走りで食堂に向かっているのを眺めながら、後で、言うよ…。とボソボソ口を動かす。デイジーは困ったように、大丈夫、だよ。致命的、では、ないよ。商談成立したら、鞭だって、ないよ。と僕を励ました。
が、ようやくホッと安心できたと思ったの束の間、食堂で新たな事件が起きた。二人で黙って床をこすっていると、ギャーッという叫び声と、ダーズリー一家は狂ってる!という喚き声がし、メイソン夫人が僕達の前を駆け抜けてバタンとドアが勢いよく閉まる音が響いた。


「妻は鳥と名がつくものは、どんな形や大きさだろうと死ぬほど怖がる。一体君達、これは冗談のつもりかね。」


今度はメイソン氏が僕達の目の前を通り過ぎ、止まって、デイジーに笑いかけるとそのまま出て行った。
なんでだろう?と疑問に思う間もなく、おじさんがやってきた。その小さな目には悪魔のような炎を燃やしているように感じる。少し後ろに退ったのだけど、それより速くおじさんはこちらに迫ってきた。怖くて、モップにすがりついて、やっとの思いでキッチンにキッチンに立っているようなものだった。


「読め!」


おじさんが押し殺した声で毒々しく言う。どうやらおじさんの手にしている手紙が原因で、そこで初めて全て合点がいった。ふくろう便で来たんだ。きっと。メイソン夫人は鳥が嫌いで、だから、


「いいから、読め!」


手紙を手にする。誕生祝いのカード、ではなかった。


ポッター殿

 今夕九時十二分、貴殿の住居において“浮遊術”が使われたとの情報を受け取りました。
 ご承知のように、卒業前の未成年魔法使いは、学校の外において呪文を行使することを許されておりません。貴殿が再び呪文を行使すれば、退校処分となる可能性があります。(未成年魔法使いに対する妥当な制限に関する一八七五年法、C項)
 念のため、非魔法社会の者(マグル)に気づかれる危険性がある魔法行為は、国際魔法戦士連盟機密保持法第十三条の重大な違反となります。
  休暇を楽しまれますよう!
敬具
  魔法省
  魔法不適正使用取締局 マファルダ・ホップカーク


手紙から顔を上げ、生唾をゴクリと飲み込んだ。
お前は、学校の外で魔法を使ってはならんということを、黙っていたな。バーノンおじさんの目には怒りの火がメラメラ踊っている。


「言うのを忘れたというわけだ……なるほど、つい忘れていたわけだ…。」

「聞かれなかったから言わなかっただけだよ。」


デイジーが素早く言うと、お前は黙っていろ!とおじさんが怒鳴った。おじさんは、今回の一連の騒動の原因の僕を、早くどうにかしたいらしく、大型ブルドッグのように牙を全部剥き出して迫ってきた。


「さて、小僧、知らせがあるぞ…。わしはお前を閉じ込める…。お前はもうあの学校には戻れない……決してな…。戻ろうとして魔法で逃げようとすれば……連中がお前を退校にするぞ!」


狂ったように笑いながら、おじさんは僕を二階に引きずっていった。
バーノンおじさんは言葉通り容赦なく、翌朝、人を雇って僕達の部屋の窓に鉄格子をはめさせた。食事なんかデイジーが持ってきてくれればいいのに、部屋のドアに、わざわざ「餌差入口」を取り付け、一日三回、わずかな食べ物をそこから押し込むことで、惨めな気分にさせてきた。それに朝と夕にトイレに行けるよう部屋から出してくれたけれど、それ以外は一日中、部屋の中だった。
初日は、囚人体験できるじゃないかとデイジーがケラケラ笑ってくれて、いくらか楽になったけど、三日目の夕暮れ、一階で怒鳴り合いがあって、部屋に戻ってきたデイジーは、左腕で顔を見せないようにして荷物を素早くまとめると引っ掴み、走ってに部屋を出ていった。


「(さすがに、我慢できなかったんだ…。)」


他人事のみたいにそう思って、デイジーの家出が今度こそうまくいくように手を振った。後ろでカシャンと鍵が閉まる。


「(…それより自分だ。)」


ダーズリー一家はまったく手を緩める気配もなく、僕一人じゃ状況の打開の糸口さえ見えないのだ。唯一の希望と言えば、デイジーがロンやハーマイオニーと運良く出会って助けてくれるとか、ダイアゴン横丁でハグリッドと、これまた運良く出会って助けてくれるとか、そんなものしかない。
自分一人で窓の鉄格子のむこうに陽が沈むのを眺めては、一体自分はどうなるんだろうと考えると、本当に惨めで仕方なかった。

魔法を使って部屋を抜け出したとしても、そのせいでホグワーツを退校させられるなら意味がない。でも、このままはいやだ。今のプリベット通りでの生活なんか、最低の最低、路上生活の方がまだ自由があるだけマシに思えた。
ダーズリー一家は“目が覚めたら大きなフルーツコウモリになっていた”という恐れもなくなり(そもそも魔法を習って一年でできるわけがないのだけれど)、僕は唯一の武器を失った。ドビーはホグワーツでの世にも恐ろしい出来事とやらから、僕を救ってくれたかもしれないけど、このままじゃ結果は同じになりそうだ。あぁ、餓死しそう。

餌差入口の戸がガタガタ音を立て、ペチュニアおばさんの手が覗いた。缶詰スープ一杯の差し入れだ。たぶん、夕方の怒鳴り合いでイライラしていたのだろう。いつもより少なかった。それでも胃が痛むほどお腹が減っていたし、これ以上スープを減らされても困るので、文句を言わず、ベッドから飛び起きてお椀を引っ掴んだ。冷めきったスープだったけれど、一口で半分が消えた。デイジーの机の一番大きい引き出しから香草の入った袋を取り出して口に入れる。それから部屋の窓際に置いてあるヘドウィグとカプリコの鳥籠にスープと袋を持って行き、空っぽの餌入れに、スープのお椀の底に張りついていた、ふやけた野菜と香草を入れてやった。二羽と一人の食事が同じって、どうなんだろうとは思ったけれど、余計に惨めになるだけなので口にしなかった。静かに香草を食むカプリコと違い、ヘドウィグは羽を逆立て、恨みがましい目でこちらを見るので、嘴をとがらせてツンツンしたってどうにもならないよ。三人でこれっきりなんだもの。ときっぱり言った。

空の椀を餌差入口のそばに置き、またベッドに横になる。なんだかスープを飲む前より、もっとひもじかった。

仮にあと四週間生き延びても、ホグワーツに行かなかったらどうなるんだろう?きっとデイジーには事情聴取するんだろうけど、なぜ戻らないかを調べに、誰かをよこすのだろうか?デイジーに事情聴取するとしても、その前に彼女はホグワーツに辿り着けるのだろうか?お金は?そこはクリアしたとして、ダーズリー一家に話して、僕を解放するようにできるのだろうか?

部屋の中が暗くなってくる。気疲れなのか、空腹すぎて体が余計な体力を消費しないようにしているのか、とにかく疲れ果てて、グーグーなるお腹を抱えて、答え無き問いをぐるぐるぐるぐると何度も繰り返し考えながら、ゆっくり微睡みはじめる。


夢の中で、僕は動物園の檻の中にいた。掲示板には“半人前魔法使い”とかかっていて、鉄格子のむこうから、みんながじろじろ覗いている。僕はお腹が空いていて、弱ってて、藁のベッドに横たわっていた。


『あぁ、ドビー!よかった、君に会いたかったんだ!』


見物客の中にドビーの顔を見つけて、僕は助けを求めた。けれど、ドビーは、ハリー・ポッターはそこにいれば安全でございます!と言って姿を消した。その隣でデイジーが鉄格子の間から手を伸ばして僕の頭を触って、去年のブラジルに行ったヘビみたいだね。と困った顔をする。
ダーズリー一家がやってきた。ダドリーが檻の鉄格子をガタガタ揺すって、僕を笑っている。
ガタガタという音が頭に響くから、やめてくれ。と呟いた。


「ほっといてくれよ…。…やめて……ぼく、ねむりたいんだ…。」


そこで目が覚めた。月明かりが窓の鉄格子を通して差し込んでいる、と思う。けれど、月明かりにしてはいやに明る過ぎた。誰かが本当に鉄格子の外から僕を覗いていて、目を細める。赤毛だ。そばかすだらけで、鼻が高い……。


「ロン!」


声を出さずに叫んで、窓際に忍び寄り、鉄格子越しに話ができるように窓ガラスを上に押し上げた。






ハリー主体だとどうしてもこうなる。
日本人ゴルファーのジョークが日本人ゴルファーのフォームがおかしいくて、その理由が狭いベランダでぶつからないようにクラブを振ってたっていうCMのアレだと思えてならない。
20111221
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