この一ヵ月、ダドリーはハリーを恐がって一緒の部屋にいようとはしなかったし、パパもママもハリーを物置に閉じ込めたり、嫌なことを無理強いしたり怒鳴りつけたりもしなかった。そもそもハリーとは一切会話がなかった。 私は逆に、特にママに嫌悪丸出しで接せられることになった。恐らくハリーのママのことを思い出してなんだろうけど、色々言われたあげくに泣かれたりなんかした時は最悪だった。ハリーはうちの家族に無視され続けることに気が滅入っていたが、こっちだって辛い。 パパは案外いつも通りだったけど、ダドリーからは何もなかった。本当に、“何も”だ。ピンクの尻尾に噴き出しても全然。それだけは、痛くないのは最高にうれしかった。 ただ、問題が一つあった。なんと、私にはホグワーツ入学の際、条件付きだったことが発覚。通信で普通の学校の勉強もするというものだ。ただでさえ新しい学校の、新しい勉強があるというのに血も涙もない。 ハリーと私は学校の用品とふくろうとカプリコとで一緒に部屋に閉じこもっていた。ふくろうは魔法史で見つけたヘドウィグという名に決めたらしい。 教科書は面白かった。ハリーはベッドで横になって読むだけだったけど、私はいくつか杖を使って挑戦してみた。意外とイケる。そんな感じだ。おかげでテレビやエアガン、八ミリカメラなどのガラクタが直ったので拝借することができた。 八月三十一日。ついに明日出発となり、ハリーがキング・クロスへ連れていってほしいと伝えると、九と四分の三番線の汽車であることに大嘘つきだとかなんとか言ったが、あっさりオーケーが出て、少し驚いた。 ダドリーをロンドンの病院に連れて行って、しっぽを取ってもらうらしい。私が、取ってあげようか?と真剣に言ったら、ダメだ。と怒鳴られはしなかったが、低く唸るように言われた。 翌朝、私達はプラットホームにちゃんといた。九と四分の三番線はもちろんないのをパパはしっかり確認して、私に新品の携帯電話を渡す。何かあったら電話しろという意味らしい。まぁ使うことはないだろうと思ったが、黙って頷き荷物に入れた。 新学期をせいぜい楽しめよ。パパが笑った。皮肉なのはわかっている。ハリーが振り返って、それから顔を元に戻した。 「三人とも大笑いしてる。」 「だろうね。あんな仕様もない嘘に騙されてるって思ってるから。」 大丈夫だよ。あるよ。きっと。どこにあるかはわからないけど。 ヘドウィグとカプリコを連れているので周りからはジロジロ見られた。カプリコが窮屈そうに身体を動かしている。ハリーが駅員に尋ねたそうだけど、ダメだったようだ。 「ハグリッドはきっと何かをいい忘れたんだよ。ほら、デイジーも見たでしょ?ダイアゴン横丁に入るときに左側の三番目のレンガを叩いてたの。」 「へぇ、じゃあ杖出して九番と十番の間の改札を叩くくらいの価値はあるんじゃない?私寝てたから知らないけど。」 どうする?このままいても埒が開かない。そう言った時、背後から、マグルという単語が聞こえた。振り替える。ハリーも聞こえていたらしい。ふっくらした女の人が、四人の男の子に話し掛けていた。みんな燃えるような赤毛にそばかすで、トランクを押しながら歩いている。しかも、ふくろうが一羽、そこにいた。 あとをつけ、みんなが止まったときに話が聞こえるくらいのところで止まった。 さて、何番線だったかしら。とお母さんらしき先ほどの女の人が聞くと、九と四分の三よ。と私と同じくらいの背の女の子が言った。この子も赤毛で、お母さんの手を握って、ママ、あたしも行きたい……。と言ったが、あなたはまだ小さいからね。ちょっとおとなしくしててね。と言われていた。 「はい、パーシー、先に行ってね。」 どこから行けというんだろうか。一番年上らしい男の子がプラットホームの“9”と“10”に向かって進んでいく。いやいやいや、まさかまさか。進行方向になんとなく気付いてハリーを見るが、見過ごさないようにしていた。ところが、男の子がちょうど二本のプラットホームの分かれ目に差し掛かった時、私達の前に旅行者の群れが流れてきて、その最後のリュックが消えた頃には、男の子も見えなくなっていた。なんとなく確信する。だって、魔法学校なわけだし、あり得ないこともない。はずだ。たぶん。 「フレッド、次はあなたよ。」 「僕フレッドじゃないよ。ジョージだよ。まったく、この人ときたら、これでも僕たちの母親だってよく言えるよな。僕がジョージだってわからないの?」 「あら、ごめんなさい、ジョージちゃん。」 「冗談だよ。僕がフレッド。」 男の子が歩き出す。双子なのだろう。そっくりな男の子が後ろから、急げ。と声をかけた。二人は走って、消える。 やっぱりそうだ。でも自信がない。ハリーに、ちょっと、聞けない?と尋ねると、ええっ?と眉をハの字にした。無理矢理背中を押す。 「私には無理だ。おまえにはできる。」 「ちょっ、まってよ!自分で行くから!」 二人でカートを押して、ハリーが、すみません。と声をかけた。 「あら、こんにちは。坊や、ホグワーツへは初めて?お嬢ちゃんも?ロンもそうなのよ。」 女の人が最後に残った男の子を指す。背が高くてやせててひょろひょろ。そばかすだらけで鼻が高い。 ハリーが頷く。 「はい。でも……あの、僕、わからなくて。どうやって……。」 「どうやってプラットホームに行くかってことね?」 今度は私が頷いた。 「心配しなくていいのよ。九番と十番の間の柵に向かってまっすぐに歩けばいいの。立ち止まったり、ぶつかるんじゃないかって怖がったりしないこと、これが大切よ。」 怖かったら少し走るといいわ。と小声で教えられ、背の高い男の子の前にと促される。 「じゃあ、デイジーから。」 「いやいやいや、何言ってんの。」 「レディファーストだよ。杖の時は僕が先だったでしょ?」 背中を押され、覚悟を決めた。軽く早足で向かう。ごくりと唾を飲む音さえ聞こえた。歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、いつの間にか、ざわめきの声の反響が変わっていた。 紅色の蒸気機関車が、乗客でごったがえすプラットホームに停車している。ホームの上には“ホグワーツ行特急11時発”。あってる。後ろには改札のあったところに九と四分の三と書いた鉄のアーチがあった。あってる! 隣にハリーが嬉しそうな顔をして並んだ。 「どこに座る?」 「後ろの方がいい。どうせ前から座れなくなってくだろうし。」 カートを押しながら歩いて、やっと最後尾の車両近くに空いてるコンパートメントの席を見つけた。ヘドウィグを先に入れて、続いてカプリコ。一人分ずつトランクを私が引っ張って、ハリーが押す。上がらない。それどころかハリーが手を離したので、当然私も耐え切れず手を離す。二回も彼の足の上にトランクが落ちた。すごく痛そうだ。 「あの、ごめん。」 「い、いいから、そっち。」 ハリーが涙目でもう一度持ち直す。私も持ち直して引っ張っている時だった。 「手伝おうか?」 「ぴゃぁっ!!」 いきなり背後から肩に手を置かれ、顔を覗き込まれた。吃驚して今度は私から手を離してしまう。ハリーの向こう脛に当たった。うわ、あれいたい。 「えぇと、えと、あの…その、えっと、…ちょっと待ってね。」 声を掛けてくれた男の子から逃げるようにして一度外に出て、ハリーに声をかける。 私は、はっきり言って、同年代の人達とあまり話したことがない。いつもダドリーやダドリー軍団に囲まれていたから友達なんかできるはずもなく、だから人見知りになってしまったのだけど、私は極度にビビりにもなってしまった。蚤の心臓だ。ダドリーによくおどかされて余計にそれがひどくなっていたのも自覚している。 真っ赤な顔をハリーの背中に隠して、ハリーに、お願い。と言ってもらった。 「おい、フレッド!こっち来て手伝えよ!」 あっという間だった。双子のおかげで私達のトランクは客室の隅におさまる。私は二人に、素早く、ありがとう。と言ってコンパートメントに亡命。吃ってしまって、ああ、なんて情けないんだろう。まともにありがとうも言えないなんて人としてどうかと思う。 少ししてハリーが私の向かいの窓際に座った。赤毛の一家を羨ましそうに暫く眺めてからこっちを見た。 「楽しそうだね。」 「うん。 …あ、ねえ、デイジー、人見知り直してよ。たぶん僕の脚、痣だらけだ。」 「…私、今回は頑張ったよ。ありがとうってちゃんと言えた。吃っちゃったけど、言えたもん。」 「そうだ、さっきの二人がね、デイジーのことかわいいねって言ってたよ。ガールフレンドかって聞かれたから、従姉なんだって言ったら名前聞かれて、で、そう言ってた。」 「…そのひとたち、わらってたでしょ。」 「うん。」 「……さいあくだ…。」 初っぱなから転んだ。焦り方が尋常じゃないから、きっとそれを見逃さなかったんだ。次は、もうちょっと落ち着いて行こう。大丈夫、大丈夫。 笛がなった。外であの赤毛一家のお母さんが、急いで!と言ってるのが聞こえた。あの、一番小さな女の子が泣き出す。 「泣くなよ、ジニー。ふくろう便をドッサリ送ってあげるよ。」 「ホグワーツのトイレの便座を送ってやるよ。」 「ジョージったら!」 「冗談だよ、ママ。」 汽車が動き出した。ハリーはあの家族をずっと見てた。私も見てた。羨ましいなあ。ダドリーが、泣くなよ。なんて私に言うときは決まってバカにしたような言い方だった。泣くなよ、泣いたらバレちゃうだろ。普通の兄が想像できなくて、なんだかなあ。と外を見る。速い、速い。あの家から離れられることに少しほっとした。なんだかんだで私にとっては鳥籠みたいに窮屈だったのかもしれない。 カプリコを出してやる。暴れないし、肉食でもないからたぶん平気だろう。撫でていると安心した。 「ここ空いてる?」 赤毛の、一番年下の男の子が入ってきて尋ねた。他はどこもいっぱいなんだ。というので私はすぐさまハリーの隣に移動した。 先ほどこの子のママが鼻に泥がついてると言っていたのを思い出してチラリとその子を見る。まだ付いていた。目が合って、俯く。落ち着け、落ち着け。そう考えるほど頭の中がぐるぐるしていく。 「おい、ロン。」 双子が戻ってきた。出来るだけ顔を見せないように俯いた。からかわれたりしたら困るし、ごめんだった。 「なあ、俺たち、真ん中の車両あたりまで行くぜ。リー・ジョーダンがでっかいタランチュラを持ってるんだ。」 「わかった。」 ロンがモゴモゴと言うと、双子のもう一人(だと思う)(声まで似ていた)がハリーの名前を呼んだ。よかった。もうすでに忘れ去られているのかもしれない。影が薄いのは一向に構わない。モブだったら最高だ! 「自己紹介したっけ?僕たち、フレッドとジョージ・ウィーズリーだ。」 「君は、デイジーだろ?」 もう片方が私の肩を指先でとんとんと叩いたので、恐る恐る顔を上げた。ハリーから聞いたんだ。人見知りなんだって?さっきは驚かしちゃったみたいでごめんな。そう言われてフルフルと頭を振る。 違うんです違うんです。あ、いや、人見知りなのはほんとうだけど、悪いのは私で、あの、逃げてごめんなさい。そう言おうと思ったけど、口は思ったように開かなかった。 「こいつは弟のロン。悪いやつじゃないから仲良くしてやって。」 「じゃ、またあとでな。」 バイバイ。とハリーとロンが言った。私も小さく手を振る。二人は少し笑って、振り返してくれて、それからコンパートメントの戸を閉めて出ていった。 ロンが、君、ほんとにハリー・ポッターなの?とポロリと零す。ハリーが頷くと、ふーん。とロンが納得した。お兄さんたちがふざけているのかと思っていたらしい。 「じゃ、君、ほんとうにあるの?……ほら……。」 ロンがハリーの額を指すのでハリーが前髪を掻き上げて傷跡を見せていた。ほんとうにハリーは有名なんだなあ。カプリコを撫でながら思った。老人から子供まで、みんながハリーを知っている。それだけすごいことなんだ。 「それじゃ、これが『例のあの人』の……?」 「うん。でもなんにも覚えてないんだ。」 「なんにも?」 「そうだな…緑色の光がいっぱいだったのを覚えてるけど、それだけ。」 「うわー。」 ロンが感嘆の声を上げた。しばらくハリーを見つめていて、それから窓の外を見た。 「君の家族はみんな魔法使いなの?」 ハリーの問いにロンは、あぁ…うん、そうだと思う。と曖昧に頷いた。 「ママのはとこだけが会計士だけど、僕たちその人のことを話題にしないことにしてるし。」 その答えを聞いて、じゃ、君なんか、もう魔法をいっぱい知ってるんだろうな。と呟いた。 「君はマグルと暮らしてたって聞いたよ。隣の…デイジーがそこの子だったんだろ?どんな感じなんだい?」 「ひどいもんさ。みんながそうだってわけじゃないけど。おじさん、おばさん、僕のいとこ…あ、デイジーの双子の兄貴なんだけど、そこはそうだった。だって、デイジーにだって自分の子供なのに、こっちの人間だってわかったら化物扱いなんだ。僕に優しいはずがないよ。僕らにも魔法使いの兄弟が三人もいればなあ。」 ね。とハリーが同意を求めてきたから、こくりと頷く。 「あの、やさしいね、お兄さん。ダドリーとは全然ちがうもん。」 「ダドリー?」 「えっと、私の双子のお兄ちゃん。」 「似てるの?フレッドとジョージみたいに。」 「デイジーとダドリーほど似てない双子っていないよ。」 へえー。ロンが興味深げに私を見る。あいつらはママでも間違えるくらいそっくりさ。その言葉に、だろうなと思った。 「ああ、でも兄貴は三人じゃないんだ。五人だよ。」 ロンが顔を顰めて口を開く。 「ホグワーツに入学するのは僕が六人めなんだ。期待に沿うのは大変だよ。ビルとチャーリーはもう卒業したんだけど…ビルは首席だったし、チャーリーはクィディッチのキャプテンだった。今度はパーシーが監督生だ。フレッドとジョージはいたずらばっかりやってるけど成績はいいんだ。みんな二人はおもしろいやつだって思ってる。僕もみんなと同じように優秀だって期待されてるんだけど、もし僕が期待に応えるようなことをしたって、みんなと同じことをしただけだから、たいしたことじゃないってなっちまう。 それに、五人も上にいるもんだから、なんにも新しい物がもらえないんだ。僕の制服のローブはビルのお古だし、杖はチャーリーのだし、ペットだってパーシーのお下がりのねずみをもらったんだよ。」 ロンは、デイジーの、その鳥かっこいいね。と言ってから上着のポケットに手を突っ込んで、ぐっすり寝ている太ったねずみを引っ張りだした。 「スキャバーズって名前だけど、役立たずなんだ。寝てばっかいるし。パーシーは監督生になったから、パパにふくろうを買ってもらった。だけど、僕んちはそれ以上の余裕が…だから僕にはお下がりのスキャバーズさ。」 ロンは喋り過ぎたと思ったらしく、耳元が赤くなっていた。いいなあ。と言いながらカプリコを撫でたので、名前を教えてあげた。 「私の双子のお兄ちゃんが我儘でね、誕生日プレゼントなんか私が一つで向こうが三十何個ももらってて、だから今年はこの子だったの。」 「すっげえ。三十個以上ももらってるの?」 「そう。別にふくろうを買う余裕なくたって、全然恥ずかしいことなんかないよ。おかげであの人なんか、我儘プーだ。」 「ダドリーばっかり新しいもので、服なんかそいつのお古だし、僕らの部屋はそいつの壊れた玩具で半分は埋まってるよ。誕生日に碌なプレゼントをもらったことがないしね。」 自分達の身の上話をすると、ロンは少しだけ元気になったみたいだった。私も、ロンと話すのにちょっとは慣れてきたみたいだった。 「だいたい、ハグリッドが教えてくれるまでは、僕、自分が魔法使いだってこと全然知らなかったし、両親のことも、ヴォルデモートのことも……。」 そこでロンが息を呑んだ。私とハリーが、どうしたの?と聞くと、君、『例のあの人』の名前を言った!と驚きと称賛の混じった声を上げる。 「君の、君の口からその名を…。」 「僕、名前を口にすることで、勇敢なとこを見せようっていうつもりじゃないんだ。名前をいっちゃいけないなんて知らなかっただけなんだ。わかる?僕、学ばなくちゃいけないことばかりなんだ、きっと…。」 ハリーは目を伏せてから溜息を吐いた。きっと、僕、クラスでビリだよ。と、ずっとそんなことを気にしていたらしい。ロンが、そんなことないさ。と励ました。 「マグル出身の子はたくさんいるし、そういう子でもちゃんとやってるよ。」 話しているうちに汽車はロンドンからどんどん離れ、スピードを上げていく。しばらくコンパートメント内は静かになって、みんなで外の景色を見ていた。 十二時半ごろ、通路でガチャガチャ大きな音がして、えくぼのおばさんが笑顔で戸を開けた。車内販売だと言う。ハリーも私も朝食がまだだったから、勢いよく立ち上がる。知らないお菓子ばかりで、ハリーが全部少しずつ買うからそれを分けてもらえばいいや、とかぼちゃパイと蛙チョコレートを買った。 ハリーが両腕いっぱいのお菓子を空いてる座席にドサッとおくと、お腹空いてるの?とロンが目を丸くして聞いた。 「ペコペコだよ。」 「朝ご飯食べてないの。」 ハリーがかぼちゃパイにかぶりついた。ロンに、食べる?と聞くと、僕、これがある。と暗い顔でデコボコの包みを出して、開いた。 サンドイッチが四切れ。そのうちの一切れを摘み上げてパンをめくった。 「ママったら僕がコンビーフは嫌いだって言ってるのに、いっつも忘れちゃうんだ。」 「交換しようか?」 「いいよ、デイジーはそれしかないだろ?」 「じゃあ、僕のと換えようよ。いっぱいあるし、これ、食べて。」 ハリーがパイを差し出すと、でも、これパサパサでおいしくないよ。とロンが言った。ママは時間がないんだ。五人も子供がいるんだもの。と慌てて付け加える。 「いいから、パイ食べてよ。デイジーがコンビーフすきなんだよ。」 ハリーがパイを押し付け、サンドイッチをひったくった。おい、私に責任全部押し付ける気か。 「これなんだい?」 ハリーが蛙チョコの包みを取り上げて聞いた。 「私も、チョコが食べたくて買ったんだけど…カエルってどういうこと。」 「まさか、本物のカエルじゃないよね?」 「まさか。でも、カードを見てごらん。僕、アグリッパがないんだ。」 ロンの話によると、蛙チョコレートには有名な魔法使いや魔女の写真の載ったカードが付いているらしい。所謂食玩。つまりはおまけだ。五〇〇枚ほどロンは持っているらしいのだが、アグリッパとプトレマイオスがないと言った。プトレマイオスって魔法使いなんだと私の関心はそちらに向っていた。 ハリーが包みを開け、カードを取り出した。半月形のメガネに高い鉤鼻、銀色の髪とひげ。写真の下には名前が書いてあった。ハグリッドの言っていた、ダンブルドア先生をようやく知ることができた。 この人がダンブルドアなんだ!と声を上げるハリーの隣で私も包みを開ける。プトレマイオスだった。ロンが羨ましそうにしていたので、集めてないから。とあげた。 「いなくなっちゃったよ!」 突然、ハリーが何ものってないカードを私に見せる。ロンが言うには、写真は動くのが当たり前で、マグルの動かない写真は不思議らしい。 ハリーがバーティー・ボッツの百味ビーンズの袋をあけた。ほんとうになんでもありな味ばかりらしい。二人はあれやこれやと手当たり次第に口に入れていたが、ロンが、ジョージが言ってたけど、鼻くそ味に違いないってのに当たったことがあるって。と言ったので私は遠慮した。 車窓には既に整然とした畑はなく、荒涼とした風景が広がってきた。森や曲がりくねった川、鬱蒼とした暗緑色の丘が過ぎていく。 じっとしているのに退屈してきたのか、カプリコがもぞもぞと毛繕いをし出した。 コンパートメントがノックされ、丸顔の男の子が泣きべそをかいて入ってきた。 「ごめんね。僕のヒキガエルを見かけなかった?」 九と四分の三番線のホームでおばあさんに呆れられていた子だ。私達が首を横に振ると、男の子がメソメソ泣き出す。 あまりに不憫だったので、一緒に探そうかと申し出たが、もういろんな人が探してくれていてこれ以上他の人に迷惑はかけられないと言った。 どうしてそんなことを気にするのかなあ。とロンは男の子が出ていってから首を傾げた。 「僕がヒキガエルなんか持ってたら、なるべく早くなくしちゃいたいけどな。もっとも、僕だってスキャバーズを持ってきたんだから人のことは言えないけどね。」 ロンは膝の上のスキャバーズを見た。死んでたって、きっと見分けがつかないよ。うんざりしているようだった。 そこでロンは何かを思い出したように顔を上げた。スキャバーズを黄色にしてみせてくれるらしい。ガサゴソとくたびれた杖を引っ張りだした。あちこち欠けていて、端から一角獣のたてがみがはみ出していたが、まあ、いいか。とロンが杖を振り上げる。 「誰かヒキガエルを見なかった?ネビルのがいなくなったの。」 コンパートメントの戸が再び開いた。カエルに逃げられた子が、今度は女の子を連れて現われたのだ。 女の子は栗色の髪がフサフサして、真新しいホグワーツのローブに着替えていた。 なんとなくつんけんした話し方だったので、私は怯んで小さく首を横に振る。ロンが、見なかったって、さっきそう言ったよ。と答えたが、あら、魔法をかけるの?それじゃ、見せてもらうわ。と女の子は杖に気を取られていたらしく、座り込んだ。ロンはたじろいだけれど、あー…いいよ。と咳払いした。 「お陽さま、雛菊、溶ろけたバター。このデブねずみを黄色に変えよ!」 何も起こらなかった。ロンの杖の先はスキャバーズに向いているけれど、起きさえしない。その呪文、間違ってないの?と女の子が言った。 「まあ、あんまりうまくいかなかったわね。私も練習のつもりで簡単な呪文を試したことがあるけど、みんなうまくいったわ。」 「デイジーも休み中、やってみせてたよ。」 ハリーがすかさず言った。ロンがこっちを見て、続いて女の子がこっちを見た。やってみせて!と目が輝いている。 顔が赤くなった。断れなかったので、そろそろとトランクに手を伸ばして杖を取った。ハリーの膝の上の蛙チョコレートの包みに杖を向け、深呼吸する。 「“ 包み紙がくしゃくしゃに丸まって、形を変える。小さな翼をはばたかせて宙に飛ぶ。ロンは口をぽかんと開けていた。 「あなた、それよくできたわね!変身術って一番難しい教科だって教科書書いてあったもの!全部暗記したから間違えてないはず。」 「えっと、私の杖、呪文と変身術に向いてるって。」 「それにしてもすごいと思う。私はハーマイオニー・グレンジャー。あなたは?」 「え、あ、デイジー・ダーズリー。」 「よろしく。」 ハーマイオニーが手を差し出したので握手に応じた。私の膝の上のカプリコが傍を飛び回っていた青い小鳥をつつくと元の包みに戻る。ハーマイオニーが、まあ!と感嘆の声を上げた。 「なんて綺麗なの!あなたのそれ、不死鳥でしょう?私、幻の動物とその生息地という本で読んだわ。飼育が困難って本当?名前は?」 「カプリコっていうんだけど…別に困難じゃないよ。飼育してるわけじゃないし……あの、なんていうか、家族みたいなものだよ。一緒に寝起きしてご飯食べて遊ぶの。」 と言ってカプリコを見る。私の指を甘噛みした。触ってもいいかと聞かれたので頷く。カプリコが大人しく触られていたので、ちょっとえらぶった話し方だけど、悪い子ではないのだろうなと思った。ダドリーの時は大暴れして、危うく目を潰しかけたのだ。身の危険を感じたからかもしれないが、静かな彼女の姿しか見ていなかったので、その時はいったいなにごとかと吃驚した。 そっちの二人は?とハーマイオニーが聞いた。二人が名乗るとハーマイオニーはハリーの名前に反応した。どうやらハリーは近代の魔法史に載っているそうだ。まあ、みんな知ってるくらいだし、ない話じゃないなと思った。どんな風に書かれているんだろう?きっとダドリーに虐められていたことなんか書かれてないに違いない。英雄が虐められっ子だったなんて笑っちゃうし。 ハリーは自分が本に載っていることに呆然としていた。 「僕が?」 「まあ、知らなかったの?私があなただったら、できるだけ全部調べるけど。 三人ともどの寮に入るかわかってる?私、いろんな人に聞いて調べたけど、グリフィンドールに入りたいわ。絶対一番いいみたい。ダンブルドアもそこ出身だって聞いたわ。でもレイブンクローも悪くないかもね…。 とにかく、もう行くわ。ネビルのヒキガエルを探さなきゃ。三人とも着替えたほうがいいわ。もうすぐ着くはずだから。」 ハーマイオニーがネビルと呼ばれていた子を連れて出ていった。すっごい喋る子だねえ。と目をパチパチすると、ロンが、どの寮でもいいけど、あの子のいないとこがいいな。と杖をトランクに投げ入れた。私も手に持ったままだったけれど、あとでローブを来たときにポケットに入れればいいやとそのままにした。 「へぼ呪文め。 ジョージから習ったんだ。ダメ呪文だってあいつは知ってたのに違いない。」 「君の兄さんたちってどこの寮なの?」 ハリーが聞くと、グリフィンドール。とロンがまた落ち込んだ。 「ママもパパもそうだった。もし僕がそうじゃなかったら、なんて言われるか。レイブンクローだったらそれほど悪くないかもしれないけど、スリザリンなんかに入れられたら、それこそ最悪だ。」 「そんなに悪いの?私、スリザリンに入りたがってる子、見たよ。」 「たぶんそいつ、碌なやつじゃなよ。断言できる。」 「そこってヴォル……つまり、『例のあの人』がいたところ?」 あぁ。と言ってロンが席に沈んだ。ハリーが、それで、大きい兄さんたちは卒業してから何をしてるの?と尋ねる。私もちょっと興味があった。魔法使いって、卒業したら何するんだろうと思うのだ。マグルの仕事を就職先にして魔法で仕事を片付けてしまうのだろうか? ロンは簡潔に、チャーリーはルーマニアでドラゴンの研究。ビルはアフリカで何かグリンゴッツの仕事をしてる。と答えた。思い出したように顔をこちらに向ける。 「グリンゴッツのこと、聞いた?日刊預言者新聞にベタベタ出てるよ。でもマグルの方には配達されないね。誰かが、特別警戒の金庫を荒らそうとしたらしいよ。」 「ほんと?それで、どうなったの?」 ロンは、なーんにも。と答えた。誰も捕まらなかったから大ニュースなんだと言う。私はグリンゴッツにハリー達が行ってる間、寝ていたので、それがどんなに異常なことかわからなかった。ロンのパパは、きっと協力な闇の魔法使いだろうと言ったらしい。でも中身は何も盗られていなくて、そこが変だとロンが言った。こんなことが起こると、影にヴォルデモートがいるんじゃないかとみんなが怖がるそうだ。 「君達、クィディッチはどこのチームのファン?」 「うーん、僕、どこのチームも知らない。」 「ひえー!」 ロンがものも言えないほど驚いたので、そもそもクィディッチがどんな競技かもわかんないの。箒を使うっていうのだけは知ってるんだけど。と慌てて私が付け足した。 「まあ、そのうちわかると思うけど、これ、世界一面白いスポーツだぜ?」 そう言うなり、ロンが詳しく説明し出した。ボールは四個、一チーム選手は七人でポジションはどこ、兄貴たちと見にいった有名な試合がどうだったか、お金があればこんな箒が買いたい。 そこまできて、またコンパートメントの戸が開く。ネビルもハーマイオニーもおらず、男の子が三人入ってきた。その内の真ん中の一人はマダム・マルキン洋裁店にいた、やたら気取った子だった。 「本当かい?このコンパートメントにハリー・ポッターがいるって、汽車の中じゃその話でもちきりなんだけど。それじゃ、君なのか?」 「そうだよ。」 「じゃあ、そっちの君はマグル出身者ってわけだ。」 バカにしたようにその子がせせら笑いをした。何も聞いてないふりをして窓の方を見る。ダドリーでこういう人間の対処の方法は慣れていた。不幸にも、私はバカにされるのも慣れていたので、我慢なんかお手の物だ。 やはりダドリーと同じ扱いで間違ってはいなかったらしい。私の態度に鼻で笑って、ハリーに両脇の、それこそダドリー軍団と遜色ないほどにでかくて意地悪そうな男の子を紹介していた。 「僕がマルフォイだ。ドラコ・マルフォイ。」 クラッブとゴイルとドラコ・マルフォイ。こいつらの名前を聞いたらすぐに方向転換することを肝に銘じる。竜座だなんて大層な名前だ。ロンがクスクス笑うのを誤魔化すかのように軽く咳払いをした。 「僕の名前が変だとでも言うのかい?君が誰だか聞く必要もないね。パパが言ってたよ。ウィーズリー家はみんな赤毛で、そばかすで、育てきれないほどたくさん子供がいるってね。 ポッター君。そのうち家柄のいい魔法族とそうでないのとがわかってくるよ。間違ったのとは付き合わないことだね。その辺は僕が教えてあげよう。」 チラリと横目で見ると、ドラコ・マルフォイはハリーに握手を求めていた。綺麗な手をしてると思った。どうせ家事なんか手伝ったこともないんだろう。無意識に、少しだけ頬が膨れた。偉そうな態度くらい止めたらいいのに。 「間違ったのかどうかを見分けるのは自分でもできると思うよ。どうもご親切さま。」 ハリーは冷たく言って、握手には応じなかった。 ポッター君。僕ならもう少し気を付けるがね。ドラコ・マルフォイを見ると、赤くはなってはいなかったけれど、青白い頬にピンク色がさしていた。 「もう少し礼儀を心得ないと、君の両親と同じ道を辿ることになるぞ。君の両親も、何が自分の身のためになるかを知らなかったようだ。君の従姉やウィーズリー家やハグリッドみたいな下等連中と一緒にいると、君も同類になるだろうよ。」 ハリーとロンが立ち上がった。 「もう一ぺん言ってみろ。」 「へえ、僕たちとやるつもりかい?」 「今すぐ出ていかないならね。」 ロンの顔は髪の毛と同じくらい赤くなっていたし、ハリーは不快感を全面に現していた。マルフォイがせせら笑う。クラッブとゴイルはハリーやロンよりずっと大きかったから、はた目から見ても、どう考えてもマルフォイに分があった。 「出ていく気分じゃないな。君たちもそうだろう?僕たち、自分の食べ物は全部食べちゃったし、ここはまだあるようだし。 おやおや、君のペット。ずいぶんよさそうな鳥じゃないか。え?」 そっちも、もらっていこうかな。マルフォイがカプリコに手を伸ばした。その背後のゴイルはロンのそばにある蛙チョコに手を伸ばす。彼が羽毛を逆立て、マルフォイの指を噛んだ。鋭い悲鳴が二ヶ所から上がる。ゴイルが指に食らい付いたスキャバーズを振り回していた。 「この、よくも噛んでくれたな!」 マルフォイがカプリコに、今度は掴み掛かろうとする。すかさず彼女を左腕で囲い、右手に持っていた杖をマルフォイの喉元に突き付ける。息を飲む音が聞こえた。 「さわらないで。どっか行って。」 たぶん、私はすごく情けない顔をしていたと思う。マルフォイがゆっくり後ろに下がった。スキャバーズが壁に叩きつけられる。 「この子の鉤爪が君を抉ってもいいなら、別に触ってもいいよ。たぶん、指じゃ済まされないけど。」 カプリコが私の腕の間を擦り抜けた。大きな翼を広げて、本当に鋭い爪を三人に向けてギャアギャアと威嚇すると三人は足早に逃げていった。恐らく、本当に抉られると思ったのかもしれないし、誰かの足音が聞こえたのかもしれない。 「一体何をやっていたの?」 間もなくハーマイオニーが顔を出した。床にはお菓子が散らばっていて汚いし、ロンはスキャバーズのしっぽを掴んでぶら下げていた。おまけにカプリコはまだバサバサと空中に留まって、逆立った羽を元に戻さないでいたのだ。 ロンの見立てによると、スキャバーズは気絶だと思われたが、もう一度ロンが見た。 「驚いたなあ、また眠っちゃってるよ。」 本当に眠っていた。 ロンが、マルフォイに会ったことがあるの?と聞いてきたのでハリーがダイアゴン横丁でのことを話す。ロンはマルフォイの家族の話を聞いたことがあるらしく、暗い顔をした。 「『例のあの人』が消えた時、真っ先にこっち側に戻ってきた家族の一つなんだ。魔法をかけられてたって言ったんだって。パパは信じられないって言ってた。マルフォイの父親なら、闇の陣営に味方するのに特別な口実はいらなかったろうって。」 ロンはハーマイオニーの方を向いて今さらながら尋ねた。 「何かご用?」 「あなたたち急いだ方がいいわ。ローブを着て。私、前の方にいって運転手に聞いてきたんだけど、もうまもなく着くって。 二人とも、喧嘩してたんじゃないでしょうね?まだ着いてもないうちから問題になるわよ!」 「スキャバーズが喧嘩してたんだ。デイジーもね。僕たちじゃないよ。」 「わっ、私もしてないよ!ちょっと杖を向けて、どっか行ってって言っただけ!」 いやいや、あれは勇ましかったよ、デイジー君。ロンがおどけて言うので、床に落ちていたお菓子を拾ってぶつけた。 「で、よろしければ、着替えるから出てってくれないかな?」 そう言われ、いいわよ。とハーマイオニーが答えて私の手を引いた。コンパートメントを貸してくれるらしい。ハーマイオニーが出ていこうとして戸に手を掛けたが、一度止まってロンの方へ振り向いた。 「あなたの鼻、泥がついてるわよ。気が付いてた?」 ロンが私達が戸を閉めるまで、ハーマイオニーを睨み付けたのは言うまでもない。 あと五分で着くと言うアナウンスが流れた頃には着替えも終わっていて、ネビルやハーマイオニーにバイバイをしてハリーとロンのいるコンパートメントに戻った。 荷物は車内に置いておけば学校に届けてくれるそうなので、ちょっと我慢してね。と鳥籠に入ってもらったカプリコに向かって謝った。 男の子二人は、青白い顔で残ったお菓子を詰め込んでいたので、先に通路に出ると溢れる人の群れにもみくちゃにされた。 列車が動きを止める。人が流れるのに逆らわずにいると自分が今、どの辺にいるのかわからなくなってしまった。遠くで聞き覚えのある声が、イッチ年生はこっち!と言っているのが聞こえた。そんな状態が数分続いて、不安になって辺りを見回す。けれど、周りは空と同じくらい黒いローブしか見えない。私は同年代と比べても、頭一つ分は小さかった。 「イッチ年生は向こうだぜ?」 「ぴゃっ!」 突然肩を抱かれて短い悲鳴が口を吐いた。周りの生徒に何事かとこちらを見たので恥ずかしくなって俯く。それから恐る恐る右を見ると、ロンの双子のお兄さんのどちらかが口を押さえて笑いに耐えていた。からかわれたことに気付いて、再び俯いて鼻をすすった。心折れそう。 「フレッド、その辺にしとけよ。泣きそうだ。」 ロンの双子の兄弟のもう一人がいつの間にか左に立っていて、肩が跳ねる。フレッドと右の人を呼んだから、たぶんこっちはジョージなのだろう。あ、ごめん。とジョージが言った。吃驚させるつもりはなかったんだけどさ。と彼らの妹を撫でるかのように頭を撫でられた。 俺はそのつもりだったけどね。とフレッドがそう言うので少し距離をあけようとすると、ニヤと笑って肩にかけた腕を引いて距離を詰めてきた。危うく転びそうになるのをジョージがうまく助けてくれて、フレッドの腕を剥がした。 「一年生は逆だよ。ハグリッドが呼んでるし、すぐわかると思うけど、もうそろそろ湖に向かうだろうから早く行った方がいい。」 「一年生が組み分け前からグリフィンドールの席にいたら、絶対面白いと思うから、君は俺たちと一緒に来た方がい、いっ!」 ジョージがフレッドにラリアットをかます。こいつは俺が相手しとくからさ。と苦笑した。 「あ、ありがと。」 ぺこりとお辞儀して逆流する。すぐに上級生とぶつかって、謝る。振り返ると双子がクスクス笑ってこちらに手を振っていた。なんだか恥ずかしかったけど嬉しかったので小声で、バイバイ。と言って小さく振り返した。 「大丈夫かなあ。」 「あんな反応、俺たちにいたずらしてくれって言ってるようなもんだよな。」 その声が私の耳に届くことはなかった。 似非双子。双子好きすぎてつらい。 20110812 |