(!)このお話は三姉妹設定という特殊な現代パロディ(女体化あり)です。 (!)苦手な方は自主回避をお願い致します。 職人街である不破町、住宅街である黒木町、その二つの町のライフラインである夢前商店街の代表が一同に会する夢前商店街連盟役員会議は、毎月一日の正午から黒木寺の講堂で開かれる。 会議と言ってもこんな田舎町に一月そこらで大きな波風が立つはずもなく、大抵は町の近況などを報告しあって小一時間程度で解散になる。だが今日は、夏の長い日が落ちきった今になっても会議が終わらない。 伊助はぐらぐら煮立ち始めたヤカンの火を止めて茶筒の蓋を引っ張る腕に全腕力を注いだ。 錆びがこびりついた缶はなかなか言うことを聞かず、伊助をますます苛立たせた。 そもそも女手のないこの寺はこういう細々した品にまでは手入れが行き届いていないことが多い。それが解っていたから、わざわざ茶葉を用意して持ってきたのだが、まさか使い切ってしまう程に長引くとは思わなかった。 あらかじめ洗ってお盆に並べておいた湯のみを見やって溜息を吐く。夢前商店街から和菓子屋の山田と洋菓子屋の安藤、不破町から二ノ坪屋の跡取り娘と小松田屋の若旦那、黒木町から黒木寺の現住職であり市長も務める黒木翁とその孫息子。それにお世話役として呼ばれた自分を合わせて、総勢7人が息を殺して講堂に詰めているのだ。息苦しくないはずが無い。 それもこれも黒木寺の御曹司がとんでもないことを言い出してくれたおかげである。伊助は再び缶に苛立ちをぶつける。それでも満座を見渡すなり議事進行を任されているはずの奴が「よろしいでしょうか」と前置くなりにこやかに切り出した言葉が頭の中で割れんばかりに鳴り響いた。 「来年度から、巫女を一般公募し夢前祭の目玉イベントの一つとしてみてはいかがでしょうか」 その場にいた全員が揃って、口をぱっかり開けた(彼の祖父すら入れ歯が落ちんばかりに口を開き放しだった)。驚きのあまり言葉もない聴衆を見渡して、御曹司の演説は続いた。 「今年の夢前祭の申し合わせは、不運にして巫女と笛の 楽師が間に合わなかったじゃないですか。その穴を埋めてくれた兵太夫と団蔵…失礼、同級生なもので…が案外好評だったと小耳に挟みまして。もちろん笛は他の舟楽師たちのフォローあってのことですが」 申し合わせ当日舟の船頭を担当していた小松田屋の若旦那が表情を曇らせるのを察して彼は付け加えた。実際、団蔵の演奏は聞けたものではなかっただろう。何せ彼は申し合わせの数日前に笛の楽師が口ずさんだワンフレーズのみを頼りに演奏したのだ。 その件については深く関わってしまっている上に煽ってしまったのは他ならぬ自分達だ、なんとも言い辛い、と伊助は亀の子のように首をすくめた。その間も御曹司はいつにもまして飄々とした語り口で続けた。 「夢前祭、またその中心である巫女や舟楽師は今やこの市の重要な観光資源です。舟楽 師はそれなりに練習が必要でしょうが、巫女はいわば象徴的なものに過ぎません。毎年応募者の中から選定し大川市の伝統を体感していただく、というのも一興かと」 御曹司が言葉を切ると、場に永遠とも思われる沈黙が落ちた。そしてややあって彼のすばらしい提案に惜しみの無い拍手が…送られるわけがなかった。 元々大川市を観光都市へという改革路線はこの町の少子高齢化を憂いた黒木寺の住職が打ち出した。郊外の街へと通う人々が多いベッドタウンの黒木町では大きな反対運動は起こっていないが、何世代も前から暖簾を掲げこの町を支えてきた夢前商店街と不破町の職人衆がおいそれと首を縦に振ろうはずが無い。 缶の蓋はギリギリ悲鳴を上げるがしぶとく胴体に張り付いている。伊助は諦めて缶をコンロの脇に置き、息を整え拳を握り締めた。かくなる上は外装を粉砕してでも…。 「何をしてるの?」 さらりと掛けられた声に驚いて振り返ると、思いのほか近い位置に顔が寄せられていて、慌てて身を引く。しかし直ぐ後ろはシンクで、さほどの距離は設けられず、縁に手を置いて俯いた。伊助の動揺をよそに彼は手を伸ばす。びくっと肩を震わせた伊助の脇を、茶筒が通り過ぎる。彼は缶を反対の手に持ち替えて、溜息を吐いた。 「そんなに脅えなくても、何にもしないよ。君の中の僕は一体何者なんだ」 「だ…だって突然いるから…っ」 「一応声はかけたけど、お取り込み中だったみたいだから」 庄左ヱ門はさらりと言って茶筒の蓋を捻った。蓋は軽い金属音と共に外れた。筒を伊助に渡して、薬缶の方へ移動する。筒に掘り込まれた螺旋状の溝に視線を落として、伊助は細く息を吐いた。力を込め続けた手が震えていた。庄左ヱ門はそ知らぬ顔をして続ける。 「お茶が遅いって安藤先生がねちねち言い出してね。様子を見に来たんだよ」 「…そりゃどーも。後はやるからいいよ」 伊助の低い声に、薬缶に手を伸ばしかけていた庄左ヱ門はその手をぴたりと止めた。 その隙に薬缶を取り上げて、急須と湯のみに湯を注ぎ温める。流れるような一連の所作を壁に寄って大人しく眺めていた庄左ヱ門が不意に微笑んだ。 「何か…落ち着くなぁ」 「は?」 「ほら、僕の家両親が忙しいだろ。家事はまかないさんに任せきりだし、親と食卓を囲んだこともないし…だからもしもお母さんがいたらこんな感じなのかなって思って」 はにかんだように笑う庄左ヱ門を伊助は邪険に跳ねつけた。 「私はあんたのお母さんじゃない。ただの同級生。それ以上でもそれ以下でもない」 「…つれないなぁ」 庄左ヱ門ははっきりした眉を下げて肩をすくめた。だが残念ながらそんな演技にほだされる程浅い付き合いではない。伊助はありったけの不信を露に彼を睨んだ。 柔道の大会では大の男すら萎縮させるほどの覇気を真っ向から受け止めて、庄左ヱ門は平然と笑みを浮かべる。 「言いたいことがあるなら聞くけど」 挑戦的な言葉には迷いが微塵も感じられない。その裏にはどんな言葉を叩きつけられても、論破できるというゆるぎない自信が覗く。伊助ははき捨てるように呟いた。 「じゃあ言わせてもらうけど、なんであんなこと言ったの」 「あんなこと?」 「夢前祭のこと!あんただってこの町に住んでるなら、この町の人がどれだけあのお祭りを大切にしているか解っているでしょう?それを…突然あんな風に…夢前祭の具足は全て不破町で作ってる。祭りを支える人々は夢前商店街に縁のある人ばかり。あんたの発言は彼らの誇りを踏みにじる行為だった!」 「そうかな?僕は祭りをやめろと言ったわけでも工芸品を外注するといったわけでもないよ。ただ夢前祭を…誰もが楽しめる形に変えられたらいいと思っただけだ。そう、あの祭りに関わる人全てが…楽師や巫女も含めてね」 先の祭りの騒ぎの根幹を暗に示されて、伊助は一瞬口を閉ざす。少なくとも、巫女が巫女としての役割に縛り付けられて苦しんでいたことは確かだ。役割に殉じる程の覚悟が必要な祭りなど、時代錯誤も甚だしいと伊助もそう思う。 俯いてしまった伊助の肩が小刻みに震えていることに気がついて、庄左ヱ門はおそるおそる手を伸ばした。その肩に指先が触れるか触れないかのその時、跳ねるように伊助の顔が上げられた。 「庄左ヱ門が言ってること、私だってわかるよ。先にきちんと説明してくれたら、一緒にもっと反感を買わない方法を考えたのに…どうして何も話してくれないの、どうして全部自分でやろうとするの!頭いいくせに、自分を守ることは知らないんだから…もっと自分を大切にしてよ…っ」 もはや最後は叫ぶように言って、伊助は手近にあった茶筒を投げつけた。投擲された茶筒は的である庄左ヱ門を大きく外れて壁にぶつかり茶葉を辺りに撒き散らす。 しばらく肩で息をしていた伊助は、頬を伝う雫を手の甲で拭って、炊事場を飛び出した。あっという間に遠ざかる雷鳴のような足音を聞きながら、庄左ヱ門は足元に転がってきた茶筒を拾い上げ、ややへこんだその体を胸に押し当てた。 「やっぱり君には勝てないな」 ああやって飛び出しておいて、今頃どこかで死ぬほど後悔してるんだろう。まったく、自分を守ることを知らないのも、自分を大切に出来ないのも、全部彼女の方だ。素直な言葉は時に誤解をされてしまうけれど、その裏に隠されている優しさは確かに庄左ヱ門の心を温める。 恋愛はより多く愛した方が負けと誰かが言っていたが、それならば僕は一生彼女に勝てないままでいい、と庄左ヱ門は一人心の中で呟いた。 おわり (2011/7/31) |