元々、生きる術を学ぶためにこの学園の門を叩いた。 その意志は今まで変わらなかったし、これからも変わりようがないと自負している。 詰まらぬ情やお涙ちょうだいの絆等にほだされるようなつまらない人間には成り下がるつもりもない。 ごろり、と床で寝返りを打つと、薄い灯りに照らし出された細い影が振り返った。 背中で揺れる髪の毛は普段ならば明るい橙色だが、今日は茶色味が勝って見える。 相当強力な染め粉で染め上げられたのか、一度湯を浴びただけでは完全には落ちなかったらしい。 柔らかなそれに戯れに手を伸ばすが避けられてしまった。 「いい色になってんな、それ」 「ありがとう。男前でしょ?」 珍しくユキちゃんにも褒められちゃった、とおどけて言う。 喉を鳴らすに従い揺れる栗色の背中は見慣れたそれとはかけ離れていて、いっそ変姿の術にかけられているようだ。 「いつまでその色のままなんだ?」 「さぁ…調合してくれたユキちゃんに聞いてみないと。でも、直ぐに一年生の実習の監督係りしなきゃいけないんだよね?もう一回染めるのも面倒くさいし、当面このままかなぁ」 眉尻を下げて乱太郎は微笑んだ。きり丸がよく知る穏やかな表情は、その周りを取り巻く色がどうにも鈍いせいか心なしくすんで見えた。 きり丸はさりげない仕草で寝返りを打った。彼の動きに従って長い黒髪がさやさやと音を立てた。 ** ようやく眠った。 乱太郎は気取られぬよう、最新の注意を払って細く息を吐いた。 学園の門をくぐるなり頬に鮮やかな紅葉の跡を刻まれた庄左ヱ門に手招かれた時は何事かと肝を冷やしたが、事情を聞いて合点がいった。 乱太郎がくの一教室のユキと忍務に出て三つの夜をまたいだ。 その間、傍目には分からぬほどの速度ではあるがきり丸の機嫌は傾いて行ったそうな。そして今夜、ついにくの一教室の爆弾娘に火をつけるに到ったらしい。 だが乱太郎は話を聞き終えるなり、隣から姿を消したユキほどは焦っていなかった。 とりあえず庄左ヱ門の頬の手当てをし、それからゆっくり湯を浴び、そして今に至る。 文字通りの忍び足を最大限に活用して、乱太郎はきり丸が丸くなっている夜具の枕元に立った。 そしてその顔を覗きこむ。切れ長の涼やかな瞳は長い睫毛に縁取られた瞼ですっかり覆い隠され、睫毛に隠された涙袋は目元から目尻に至るまで黒々と染まっていた。 乱太郎は眉を潜めた。 案の定、寝付けなかったのだ。 どうしてだかは自分にもわからない、と以前に言っていた。 一人で瞼を閉じるとまるで闇に呑まれてしまうようで、もう二度と目覚められないのではないかという疑念に苛まれて、気がつけば一人で眠れなくなっていたのだと言う。 低学年の頃は深夜にふと目を覚ますと、窓辺に腰かけてぼんやり月を見上げる横顔によくであったものだが、その度に手招いて同じ布団に誘い、手を握って眠りについたものだ。 今でこそ手を握るなんてことはしないが、相変わらずきり丸を一人には出来ない。 起きてしまうかもしれない、という確信に近い予想の下、絹糸のような黒髪を手でそっとすく。 きり丸は薄く瞳を開いたが、直ぐに眠気に負けて深い呼吸をし始めた。 果たしてどんな夢を見ているやら、乱太郎は手を止めずに笑みを浮かべた。 金色の稲穂、優しい手、輝く夕べ、そういうもの全てを一緒にしたみたいな君の夢。 了 (摂津の、猪名寺) (2011/7/23) |