(!)このお話は三姉妹設定という特殊な現代パロディ(女体化あり)です。
(!)苦手な方は自主回避をお願い致します。








ゴーストインマイハート




逢魔が刻にすれ違った人の顔をじっくり見てはならない。
何故なら袖触れ合ったものがこの世のものとは限らないからだ。

「あれ?乱太郎?」

きり丸は思わず声を上げてしまった。振り返って確認してみるとやはり見間違いではない。華奢な体躯に特徴的な赤い髪の毛、そして山田屋の従業員の証である小紋の着物を身に纏っている。きり丸は首を傾げた。今日は店長である山田の奥さんが同窓会か何かで家を空けているため、彼女は店じまいまで忙しくしているはずだ。
実際、自分がこの不破町に配達に出た時はすっかりなれた手つきでレジを売っていた。そもそも自転車で出た自分よりも後に出たはずの彼女が先につけるはずがない。山田屋には自転車は一台しかないし、今日は彼女は学校が終わってすぐに店の手伝いに入ってくれたから、自前の自転車というわけでもないはずだ。
利吉の運転で配達車、という可能性もないわけではないだろうが、店をもぬけの殻にしなければならないほどの大口の注文など、今日は入っていなかったはずだ。
そんなことを考えている間にも、彼女は不破神社へと続く緩やかな坂道を登っていく。
きり丸は慌てて自転車を止め、名前を呼びながらその背中を追いかけた。しかし別段焦っている風もない彼女の背中は遠ざかるばかりで、少しも近づけない。
ようやくその肩に手を触れられるほどの距離まで近づけたのは、鳥居のほんのすこし手前だった。

「らんたろ…」
「きり丸?」

名前を呼ばれて、ぴくりと手が止まった。声の主は正面の石段を降りきると、手にしていた携帯電話をぱくんと二つに折りたたみながら鳥居をくぐり朗らかな笑みをきり丸に向けた。

「珍しいね、こんなところで会うの」
「こんにちは、四郎兵衛先輩……こんばんは…?」
「どっちでも構わないよ。ところで、一人で何してたの?」

きり丸は、え、と呟いて肩に置こうとしていた手を引いた。きり丸が手を置こうとしていた空間には、人の姿など欠片もなかった。慌てて周囲を見回してみるも、自分と四郎兵衛以外に人影はない。
四郎兵衛は首を捻るきり丸の肩を叩いた。

「お店のお使い?終わったんなら一緒に帰ろうよ」
「あ…はい。今日は不破神社の月行事があるらしくて」

きり丸が答える間にも、四郎兵衛はさっさと坂を下りていく。慌ててその背中を追いかけながら、きり丸は背後を振り返った。
西日に照らし出された鳥居は、見慣れた夢前神社の鳥居より幾分小ぶりだ。奥に覗く石段も含め、太古の昔から存在していそうなそれの周辺は人っ子一人見当たらない。眩しいほどの橙の夕日がいっそ白々しく感じられた。
月行事?という問いかけに四郎兵衛の方に向き直ったきり丸は小走りに彼に並んで頷いた。

「なんでも、不破町流のお月見だそうで。月じゃなくて月に見立てた水盆に思い思いの花を飾って、そこに映りこんだ月を生けた花ごと愛でるらしいっす。だから、季節は外れるけど寒天を使った水菓子がいいって別注が…」

そこまで言って、きり丸は言葉を途切れさせた。四郎兵衛が不意に歩を緩めたからだ。つられて歩を緩めたきり丸は、小さく息を飲んだ。
きり丸の脇を、ススキを小脇に抱えた赤毛の少女がゆっくりと通り過ぎる。
思わず声を上げそうになったきり丸は、四郎兵衛の大きな掌に口元を覆われて、すんでのところで踏みとどまった。四郎兵衛は静かに首を横に振る。

「声をかけちゃだめだ」
「でも…」
「きり丸にどんな形が見えているのかはわからないけど、それはこの世のものじゃない」

きっぱりと耳元で囁かれた言葉に、きり丸は一瞬目を見開き、ついでいぶかしげに眉を潜めた。

「馬鹿にしてんすか」

きり丸の露骨な反応に、四郎兵衛はただ微笑んだ。
そんなやり取りをしている間に、乱太郎の姿は更に滑るように先へと進み、そこでふっと消えてしまった。
徐々に日が傾き、橙と藍が交じり合う。
四郎兵衛はきり丸の口から手を外し、ごめんね、と頭を下げた。

「迷信だと思うけど、今日聞き取り調査でこういう昔話を聞いたばっかりだったから」
「こういう昔話…?」
「うん、同じ学科の先輩に、大川市の民間伝承についての研究をしている人がいてね。今日は不破神社で聞き取り調査をしてきたところなんだ」

研究、と呟いて、きり丸はようやく四郎兵衛がこんなところにいる理由に合点がいく。四郎兵衛はこの春、三姉妹の次女と同じ大学の文学部に進学した。そこで日本の神話や伝承など、あまり食っていけなそうな学問を学んでいると三姉妹の長女が嘆いていた気がする。彼女は以前から四郎兵衛と左近をくっつけたがっていたが、そこにはやはり安定した収入が見込めていて欲しいらしい。
四郎兵衛は背後を振り返り夕闇に沈む鳥居を見上げた。

「そもそも夕暮れは逢魔が刻といって、人ではないものが人の形を借りて跋扈する時間である、というのは、民俗伝承における通説。この不破町では満ちた月はその力を強める働きをすると考えられているらしい。だから、今夜は不破神社の周辺で見知った人とすれ違っても、声をかけてはいけないんだって。証拠に今日はこの辺、不自然なくらい人影が無いでしょう」

ね、と朗らかに言われて、きり丸はそんな非科学的な!と叫びたい気持を必死で押さえた。
この科学の時代にそんな御伽噺のような話がまかり通ってたまるものか。しかし、では今自分がこの目で見たものはなんなのか、という自問に答える術を、きり丸は生憎持ち合わせていなかった。
そんなきり丸の葛藤など露知らぬ四郎兵衛はなんだかロマンチックだよねーと笑う。

「ロマンチックって、ただの怪談じゃないっすか…先輩、趣味悪いっすよ…」
「そうかなぁ。だってさ、あっちは声がかけて欲しいわけだろ?っていうことは、その人が声をかけずには居られないような、どうしても逢いたい人の姿を借りて出てくるってことだろう?家族や親戚や、恋人や、あるいはただどうにも好きな人とか」
「はぁ…どうにもす……っ」

何も考えずに四郎兵衛の言葉を反芻しそうになったきり丸は思い切り舌を噛んだ。生理的な涙を必死でこらえ、きり丸は四郎兵衛をまじまじと見つめる。
四郎兵衛は鳥居に背を向けゆっくり坂道を降りていく。

「きり丸は土井先生なのかなーと思ってたけどね」
「…四郎兵衛先輩!」
「大丈夫大丈夫。誰にも言わないから」

妙に楽しげな先輩の背中を穴が空くほど睨みつけて、きり丸は問うた。

「先輩には、何が見えたんすか?」
「え?」
「俺に声かけんなって言ったってことは、なんか見えてたってことでしょ?先輩には何に見えてたんすか?」

きり丸の声が届いた瞬間、四郎兵衛は僅かに足を止めた。
すっかり夕闇に包まれた参道には灯りが灯り始めていた。
朱塗りの傘を被った灯篭の一つを見上げ、四郎兵衛は眉を潜めた。

「僕はねぇ、さっきメールで夜食用に山田屋の大福買ってこいってよこした人」
「…へぇ……って、それノーヒントもいいとこじゃないっすか!」
「大福まだ残ってるかなー、山田屋のって言ったらそれ以外ぜったい受け取ってくれないんだよね。大体今日は校外出るっていっといたのにどうしてそういうこと頼むかなぁ…」

四郎兵衛は一人でぶつぶつぼやきながら柔らかな灯りに照らし出された道を下っていく。
きり丸は彼の意味深な発言の真意を問いただすべく、慌てて彼の後を追う。
二人の背後で、すっかり闇に覆われた不破神社の木々がざわりと揺れた。



◇ ◇ ◇



「あっ帰ってきた!」

肩を並べて暖簾をくぐるなり襲ってきた(という形容がもっともしっくり来る)歓声に、きり丸は反射的に踵を返したくなった。横にいたはずの四郎兵衛にいたっては完全に逃げ出す体勢に移っていて、きり丸はその襟首を捕まえていなければ今頃どうなっていたかしれない。
四郎兵衛を半ば引きずるようにして店に入ったきり丸は、レジの少女と揃ってこちらに手を振る見知った女性の姿に密かに息をこぼした。

「左近先輩、あんまり威嚇すると流石の四郎兵衛先輩だってその内逃げ出しますよ」
「大丈夫だって。結局逃げ出せないんだから。おら、遅いから自分で買いにきちゃっただろーせめて連絡くらいよこしやがれってんだ!」
「だから!僕は今日は聞き取り調査だから、パシられてもパシれないって朝言ったよね!」
「聞いた!それがどうした!」

四郎兵衛の必死の訴えにも、左近はどこか楽しげに応戦する。
長い黒髪に白い肌、真っ赤な唇に長い手足と、見た目はモデル体系の日本人形と形容されるほどに美の粋を極めているのに、相変わらず強烈な中身である。
途切れる気配すら見せない舌戦に早々に辟易し、そそくさと工場の方へ移動したきり丸の腕を、待って、と小さな手が掴んだ。
やや下方を見やれば、乱太郎が心配そうな表情でこちらを見上げている。先ほど見た姿と変わらぬ小紋をまとう彼女の指先は、作務衣の上からでもわかるほどに温かかい。

「あんな風に言ってるけど、左近姉さん、きり丸の戻りが遅いって言ったらすごく心配してたんだよ。…どうしたの、何かあった?」

メガネの奥の大きな瞳が真っ直ぐにきり丸を見詰める。その聡明なまなざしの前に隠し事など出来ようか。だがしかし、きり丸にも男の矜持というものがある。
きり丸はぐっと言葉を飲み込み、そして掴まれていない方の手の、指を三本だけ立てて乱太郎の眼前に突き出した。

「聞きたいことが三つあるんだけど、いいか?」
「う…うん」
「一つ、乱太郎は今日不破町に行った?」
「ううん。ずっとお店に居たよ。きりちゃんも知ってるでしょ」
「そっか…二つ、ススキの花言葉って何?」
「ススキ?うーん…『心が通じる』とかかな」

本当になぁに?と首を傾げる乱太郎を見詰め、きり丸はゆっくり首をふった。
願えば、欲しいものが形になって目の前にぱっと現れる。そんな世界なら如何に簡単だろう。でもそうではないから、きり丸は心の中で呪文を唱えた。

「三つ、今度の休み、暇なら一緒にでかけねぇか」

雨にも負けず風にも負けず妖怪にも負けぬ、強い心で君を想おう。




おわり
(2011/10/11)










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