その時は宇宙にワープしてね




空に月もない晩だった。
三治郎は一際羽振り良く枝を張った木に腰掛けて、はみ出した足をぶらぶら揺らした。
静かな夜だが、全くの無音ではない。
目を閉じて耳をすませると、得体の知れぬ生き物が立てる物音や風に揺らされた枝や葉がこすれあう音が聞こえる。
忍術学園は今日も賑やかだ。
ややあって、彼方から笛の音が聞こえてくる。三治郎は瞳を開いて、足を引いた。
全神経を傾けて音の出所を探る。すると、出所はそう遠くないということがわかった。ちなみに三治郎の言う「遠くない」は、裏裏山までその範囲が有効だ。
枝を蹴ろうとした三治郎は、腕を後ろから引き止められて踏鞴を踏んだ。

「何するの、喜三太」
「ん〜連れてってもらおうと思ってぇ」

腕を引いた当人は三治郎に後ろから抱き着いてのほほんと笑った。
三治郎は、ぼく三治郎ほど耳が利かないから、と嘯く男に眉根を寄せて苦笑して見せた。

「うそつき。僕なんかよりよっぽど昆虫の情報網広げてる癖して」
「丑三つ時だよぉ?虫さんたちはもうおねむ」
「まぁいいや。一緒に行こうか」

しょうがない子、と頬を掌でぺちぺち叩かれて、喜三太はにっこり笑った。


◇ ◇ ◇


「またとちった」

鋭い指摘が弓矢のように飛んできて、団蔵は笛を投げ捨てて地団駄を踏んだ。

「だああちくしょう!」
「団蔵、次に笛投げたら、もう貸さないよ」

顔は無表情のままでありながら、声に不快感をにじませたのは、先ほど団蔵を叱責した庄左ヱ門である。
団蔵はそれに応えることなく地面にへたり込んだ。

「俺こんなの出来ねぇよ…!」
「うん、だろうね」

今にも絶望の縁から身投げせんばかりの団蔵にあっさり答えて、庄左ヱ門は腰をかけていた岩から飛び降りた。
開けた場所を探した結果、裏裏山の岩場しかあるまいという結論に達したのはおとといの話で、団蔵は今日に至るまで一度も一曲通して吹けたことがない。
団蔵は容赦のない言葉の槍に低く呻いた。

「庄ちゃんったら酷い…!」
「別に当初の予定通り僕が忍務に当たってもいいんだよ?兵太夫もその方が安心するだろうし」
「やだぁあ俺も白拍子の兵ちゃんと一緒にお泊り忍務したいもん!」

そうだろうとも。
がんばる!と気合を入れなおして笛を口元にあてがう団蔵に、庄左ヱ門は再び岩に背をつけて小さく肩をすくめた。


◇ ◇ ◇


また、と苛苛呟いたのは兵太夫ではなくきり丸だった。構えていた苦無をぴっと木の幹に放ってため息を吐き出す。

「気が散ってしゃーねーな、あいつの演奏」

とん、と軽い音を立てて的の中心を射抜いた苦無に、おお、と感嘆の声を上げて手を叩いたのは虎若。裏山の鬱蒼とした木立は投擲武器の練習に持ってこいなので、よく練習にくるのだ。今夜は三人の他にもう一人、兵太夫の姿があった。
同じく苦無を構えていた兵太夫は息を吐き出して被りを振った。

「これなら庄左ヱ門に来てもらった方がよっぽどいい」

まぁそれはそうだろうな、と笑うきり丸と兵太夫を交互に見やり、言葉を返しかねた虎若は縮こまった。
同室者の血の滲むような努力を日々間近で見ていると簡単に笑い飛ばすことは出来なかったのだ。
今回の実習は予め組の半分に忍務内容が提示され、忍務内容を受け取った者がその忍務の趣旨と各々の適正に見合う相棒を自由に選んで良いということになっていた。
きり丸は乱太郎に声をかけ、虎若は伊助に声をかけられ、と割合すんなり決まっていく中、最後までもめにもめたのが兵太夫と庄左ヱ門、そして団蔵の組だった。
仮にも忍者の卵なので、互いの忍務の内容は知らないが、兵太夫は最初庄左ヱ門を指名していたらしい。しかし庄左ヱ門は他に三治郎、金吾にも声をかけられており、残酷な話、他二人よりも忍者としての才覚で勝る兵太夫からの誘いを断ったのだそうだ。
兵太夫は今回の忍務でどうやら白拍子に扮するつもりらしく、管弦楽に通じて尚且つ腕っ節も立つ人間は他に思いつかなかった。途方に暮れていたところに名乗りを上げたのが、団蔵だったというわけだ。
そもそも管弦楽などやったことのない人間にこんなこと、と散々渋った兵太夫だが、背に腹は変えられない。
嫌々手を組むことになったが案の定じゃないか、と力任せに投擲した苦無は的を大きく逸れて草むらに消えた。

「あーあ。ていうかさ。お前が女装にこだわんなきゃあいつもあんな苦しみ味わうことないんじゃねぇの?」

手を庇のように額にかざし、苦無のとんでいった方向に視線をやりながらきり丸は言う。
傍若無人なきり丸の言い草に、兵太夫は彼を睨み付けて懐からもう一本苦無を取り出した。
今度はきり丸が先ほど投擲した苦無の隣に突き刺さる。

「忍務の内容も知らないくせに適当なこと言わないでくれる?絶対に女装が必要だから、庄左ヱ門がほしかったの」
「今あるもんをうまく料理すんのが忍者だぜ?団蔵をうまいこと活かす方法を考えるのもお前の仕事だろ」
「あーあー、きり丸は第一希望がすんなり通ったもんねー!乱太郎なら器用だし使い勝手のいい特技いっぱいあるからね、忍務成功万々歳でしょうよ!」
「言っとくが乱太郎に断られても、は組の連中となら絶対に成功するような策が何通りも立てられるけどな。まぁ少なくとも相棒が自分で視野狭めといて小さいうまく行かないだけで自分は不幸だって嘆きまわる馬鹿じゃなくてよかったよ」
「おい、それは僕のことか?」
「だーれも兵太夫のことだなんて言ってませんけどぉ?」

虎若は二人の言い争いが段々とエスカレートしていくのをはらはら見守っていた。舌戦が激しくなるにつれて的は黒光りする鉄の刃で埋まっていく。もはやそろそろ代わってくれとは言い出せない空気である。とうとう刺さった苦無で的が見えなくなると、二人は得物を投げ捨てて互いの胸倉を掴みあった。
仕方なし、虎若は手にしていた苦無を懐にしまい込み二人の元に歩み寄った。そして二匹の猫のように互いを引っかきあう二人の脳天に鉄槌を落とす。

「お互いに言いすぎだと気がつきながら止まれないなら、どっちもどっちの大まぬけだ、阿呆」

虎若はため息交じりに呟いて、完全にのびた二人を両脇に抱えあげた。


◇ ◇ ◇


そんなわけで、と語る虎若に、こらえきれずに噴出したのは伊助だった。そんなに笑ってやるな、とたしなめる金吾の頬もわずかに緩んでいる。
伊助は目じりに浮いた涙の玉を手の甲でぬぐって口を開いた。

「全く、兵太夫はなんのかの言いつつ団蔵なら出来るって信じてるって言えばいいし、きり丸もたまに頑なになりすぎちゃう兵太夫のこと心配してるって言えばいいのに。素直じゃないねぇ」
「その本音に気がついていないという節もあるけどな」

伊助の意見に頷いて、口元を緩めた金吾は、同意を求めるように虎若に視線を向けた。
虎若も苦笑しながらこくりと頷く。忍者は優秀な人間ほど素直になれないという法則でもあるのだろうか。本当は誰よりも仲間を案じているのも彼らだというのに。
怪我人を寝かせた布団と診療空間を区切る衝立の向こうから顔を覗かせたしんべヱが、衝立の上に重ねた腕に顎を乗せて笑う。

「でも団蔵、とっても上手になったよねぇ」

ほら、としんべヱは視線を宙に投げる。遠くから途切れ途切れに聞こえる笛の音は、もうただの音の塊ではなく、調べとして響いていた。
衝立の奥で二人の頬の引っかき傷を検分していた乱太郎は柔らかに微笑んだ。
感情に任せたにしては、薄皮一枚剥げただけだ。これなら実習までには完治するだろう。






理屈で割り切れなくて疲れてしまったら、その時は宇宙にワープしてね。
僕らの元まで来て欲しい。
そしたら、地上の理論なんて案外小さなことって気がつけるかもしれないから。






(成長は組)
(2012/2/10)
(『君の隣が一番好き』提出作品)











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