この世で一番深いところに潜ってみたい。 それが、私のかねてよりの願いだった。 きっかけはもう覚えていない。 ただある日ふと鋤を抱えて地面に突き刺してみたら、後はもうただ転がり落ちていくだけだった。 穴を掘っている最中はいい。掘り上がってしまえば、次に生じるのは欲だった。 もっと早く、大きく、綺麗に、深く、底へ。 どんな穴を掘っても、甘く痺れるような快感は得られなかった。乾いた心がもとめるままに穴を掘り続けた。 その姿を、まるで獣だ、と称したのは同室の男だ。 本能にのみ従うのは人の諸行ではないと、委員会帰りでぼろ雑巾のような風体をした彼は噛み締めるように言った。 いや、悪鬼であると称したのは同じ委員会の一つ下の後輩だ。 掘り上げたばかりの穴に招かれざる客として飛び込んできた彼は、捻挫した足を冷やしながら私を睨んだ。 はて、化物と畜生ならばどちらがより醜悪であろうか。 ある時、委員長に聞いてみた。 それも化粧の実験台になれと座らされたはいいものの、沈黙に耐えかねた先輩に何か話せと所望された故だが。 私の話を聞き終えた彼は刷毛を動かす手を止めず、呆れた風に言った。 「他人の意見など捨て置け。お前は己をどちらだと思う」 「…どちらとも自覚したことはありません」 「ならばどちらでもないのだろう」 あっさり言って骨張った指の先に紅を付けた先輩に、では、と問うてみた。 「先輩はご自分が何者であるかご存知なのですか」 私の顎に手を添えて細部を検分していた先輩の切れ長の瞳が、僅かに開かれる。 「さて…私は私でしかないからなぁ」 「それはずるい答えです」 「かもしれんな。自分が何者かきちんと把握している人間なぞ、滅多にいるまい」 む、とむくれて見せると、頬を両側から手のひらで抑えられた。 元より人に意のままにされるのは馴染まぬ性分だ。 強制的に息を吐かされて更に不満を募らせていると、先輩は徐に唇の端をつり上げた。 「真におぞましきは、人の頭の外にはみ出したモノだ」 そう言った先輩の真意がどこにあったのかは分からない。 だが、一つだけ確かなことは、彼に較べたら自分なぞおぞましいほどちっぽけな存在であるということだ。 了 (綾部、立花) (2011/5/19) |