周囲から優秀と評価を受ける雷蔵だが、苦手なことがある。 それは学園関係者ならば誰もが知るように、二つや三つから一つを選択することである。 なんでもかんでも、あれやこれやと可能性を考えあぐねてしまって、どうにも一目見て直ぐに判断ということが出来ない。 その悪癖はこんな状況であっても発揮されてしまう。 「こちらのお色たちでしたら、大変お似合いかと」 丁寧に白粉を叩いた美しい顔に笑みを浮かべた店員は上品な笑みを浮かべて、雷蔵の目の前に小箱を二つずいと突き出す。 朱漆の塗られた上質な小箱に収められているのは、紅だ。 暁の空のような橙がかった空の色と、秋の初め紅色に染まり始めたもみじの色。どちらにせよ明るく前向きな印象を与える二つの紅は、血色の良い雷蔵にはどちらもよく似合うだろう。 雷蔵は思わず現状も忘れ、腕組みをして真剣にうなり始める。男一人小間物屋で少女達に混じって、というと、如何にもおかしな風情に映るが、自らの買い物にいそしむ少女達の中に、雷蔵を気に留める者など一人も居ない。 それは何故か、それは雷蔵が今正に忍術学園五年生全クラス合同の、女装の実習の真っ只中であるからに他ならない。 今回の実習の課題は、市中の一般の女性に混ざって買い物をしてくること。 一緒に暖簾をくぐった兵助や勘右衛門はさっさと櫛と結紐を購入して店を出て行った。同じクラスの八左ヱ門は、始まって直ぐに入った甘味どころで声帯を絞り忘れ、失格を食らった。 三郎は、実習開始当初から姿が見えない。 「もしもお色で迷っていらっしゃるようでしたら、どうぞお試しください」 人形めいた瞳の一切笑っていない笑みを浮かべた店員がさっそく小指で明け方の色の紅を掬い取り、さぁお早くと近づいてくる。 断るに断れず、曖昧な笑みを浮かべて僅かに身を引いた瞬間、ほっそりした手が脇から伸びた。 「こちら、頂けるかしら」 風に揺れる柳の枝のような、しなやかな声音に誘われるように手の主を振り返る。 そこには、後輩経由で自分達とも親交が深い、元ミスマイタケ城の姿があった。とろけるような笑みを浮かべる彼女の前では、白粉で固めたまやかしの美しさは凍りつくしかない。 妖術でもかけられたようにぎこちなく商品を差し出す店員は、恐らく彼女が、ついでにそちらのお嬢さんも頂くわ、と笑ったことにも気がついていないだろう。 「さぁ行きましょう」 狐につままれたような雷蔵に、元ミスマイタケ城はその白い手を差し出した。 * 「やられたねぇ」 矢羽根だ。 笑顔で接客を続けながら、独特の音波を聞き分け、返事を返す。 「不破は減点。鉢屋は大減点だ。人の忍務に手を貸すなど言語道断。」 そう返して、矢羽根を送ってきた当の本人に視線をちらりと送ると、彼は涼しい顔で少女達のきらきら輝く視線を受け止めながら白粉刷毛の使い方を説明している。普段はふわりと波打つ柔らかな髪の毛をきちんと纏め上げているので、どことなく普段よりもきりりとしているような気がする。まぁ、中身は普段の不運な彼なのだが。 「それは否めないね。不破もあれに気がつかないのは流石にどうかと思うよ」 「だろう。しかもあいつ、この私を見て「化粧濃い」とか思ってやがったぞ」 「あはは。不破、この店の判定監督員が仙蔵だって知ったら真っ青になるぞ。それにしても鉢屋、健気だねぇ」 「どういうことだ」 「さっき、長次が判定員してるお店に、鉢屋来たんだって。それで、不破が悩んでた紅を二つ買ったらしいよ」 ということは、鉢屋の懐にはあの色の紅が三つということか、と呆れて返すが、後は笑い声しか返ってこなかった。 思わず脱力しかかったが、少女がわぁ、と先ほど広げたままだった紅を見て寄ってきたので、慌てて笑顔の仮面を貼り付けた。 そして、よろしければこちらも、と言って先ほど後輩が購入していった紅を出す。 蓋を取りながら、仙蔵は赤い紅を引いた唇で完璧な弧を描いた。 「そちらのお色、素敵でしょう。そうですね、さながら常春の、と言ったお色でしょうか」 了 (不破、鉢屋、立花、善法寺) (2011/3/19) (『春立つ』様提出) |