その度、今回ばかりは、と覚悟は決めてきた。 視界が歪んですぐ目の前すら覚束ない。思わずついた手が、板の上を滑った。ぬるりと錆の臭いが立ち込める。 ついぞ慣れることのない気味の悪さを衣で拭き取ってしまいたい衝動に駆られたが、反対の手で抑えた腹回りは既に重く冷たい。乾いた布地はもう幾ばくもないことを悟り諦めた。 もう少し上手く立ち回ればよかったというには、今更過ぎる。 この段に来てしまってからの後悔は何も生まない。 報告はすでに飛ばした。 ざまぁ見やがれ、今ここで俺がくたばっても今頃情報は庄左の手の内だ。 やり遂げたのだ、と安堵した瞬間、強烈な眠気に襲われた。 ゆっくり瞼を押し上げたら、まばゆい光が眼球に差し込んだ。 そのままぼんやりその輝きを享受していると、不意に顔面に影が落ちた。 「直射日光は、目に毒だよ」 「へぇ」 気のない返事を返す。 途端に、額にぱちんと張り手が落ちてきた。 その手はそのまま顔を覆う。薄赤い闇の中に閉じ込められて、俺はもう一度、声を漏らした。 「何も見えん」 「何か見たかったものでも?」 「別に無いけど」 「じゃあこのまま寝ておきな。寝てもいい時に寝ないから、わけのわからないところで寝込けるんだよ」 精一杯の皮肉が込められた言葉は少し震えていて、笑いを噛み殺すのに苦労した。 やっぱり、お前にはそういう台詞は柄じゃない。 「三治郎は持ち直したのか?」 「まだ姿は見てないけど…昨日、実習に出掛ける前に虎若がそろそろ大丈夫って言ってたから、直ぐに顔見せると思うよ」 「虎若も大変だ」 「望んでやってることだからいいんじゃない?むしろ三治郎の方が虎若にべったりなんだから…」 「今回も兵太夫は荒れたか」 「今回は金吾が被害者みたい。久しぶりにべそべそしてたよ〜って喜三太が言ってた」 「いつも通りって奴だな」 「…まぁね」 瞼の裏で相も変わらぬ様子の同級生が賑やかに駆け回る。 笑って泣いて飛んで跳ねて、ひっきりなしに巡る声は賑やかをついつい通り越してしまうことも多いけれど。 目が覚めたら奴らに会いに行ってみるか、なんて思っていたら、それを見越したように、瞼を覆っていた手のひらに頭蓋に沿ってするりと撫でられた。 「きりちゃん、ゆっくりお休み」 降り注ぐ天啓を聞いて、ようやく俺は幼子のような安らかな眠りに落ちた。 了 (摂津の、猪名寺) (2011/2/1) |