「で、結局どうすんだ」 「どうするかねえ」 堂々巡りの会話がまた巡った。 狸野郎が、と悪態を吐きながら碁盤に石を打ち付けると、狸の顔が微かに歪む。 「ああ…それ…うん…そうか」 「待ったなしだからな」 「無論だよ…」 頷きながらも意気消沈という風情を隠せていない。 この男、将棋なら右に出るものはいないくせ、囲碁には滅法弱い。 いつものことだ。 「投了する?」 「……………」 「あっそ」 帰らぬ答えを勝手に解釈して、両手を後ろについて上半身を預けた。 こうなると長いのは先刻承知のこと。 この時間があれば果たして何件のアルバイトがこなせたのか。 今更嘆いても仕方がない。 虎若が貸してくれたんだ、と嬉しそうに碁盤を背負って訪れたこの男を部屋に招き入れたのは他でもない俺自身なのだ。 「しかし」 不意に奴は口を開いた。 「きり丸は囲碁が強いな」 「まぁ…三治郎ほどじゃねぇけどな。腹の読み合いは日々の糧ですんで」 「なるほど…」 「大体演技なんざ忍者の基本の基だろ。御大尽がご所望とあらばどんな人間にも成りきるし、どんな人間にも取り入るぜ。どんな手を使ってでも」 先ほどまで口に出していた、で、どうする、はもう言わなかった。 板張りの簡素な天井に視線を逃がしたまま、しばらく待つも、返事はない。 手持ちぶさたなので盤面の動きを頭の中で一から再生して、次の手を読んでいると、石が置かれた音がした。 「例えば、忍務中に想像を遥かに越えた事態が起こって、忍務の完遂か自分の命かって状況になったら、お前はどうする」 盤面に顔を戻して、内心驚いた。 まるで丁寧に築き上げた城塞の中、腹心の武将に短刀の切っ先を喉元に突きつけられたようなと言おうか。 窮鼠 猫を噛む、起死回生、驚天動地、の一手だった。 「…こりゃ、恐れ入った。足もすくむわ」 「それが質問の答えか?」 「な、わけあるか」 一睨みして、碁石を掴んだ。 庄左ヱ門が、ゆっくりこちらに面を向ける。 追い詰められた鼠が獅子より気高く牙をむく。 …呑まれてはいけない、と告げるのは理性なんて高尚なものではなく、獣の本能だ。 瞬きを一つ分の拍を置いて、石を盤に打ち付けた。 「当然、忍務優先だ。それを成すために俺たちはここにいる」 庄左ヱ門の眉間に一本皺が寄った。 それを知りつつ、でも、と言葉を重ねる。 「俺たちがここにいるのは、どこかの命知らずが無鉄砲なことをしでかした時に、そいつを救いにいくためでもある」 盤面で腹心の部下を取り押さえるのは、旧知の家老達。 それを暫く見つめていた庄左ヱ門は、ありませんと頭を下げた。 そして顔を上げるなり、天に向かい伸びる青竹が如く背筋を伸ばす。 「ドクタケの出城に不審な動き有りとの噂がある。出城内部の情報収集、状況に応じて攪乱を頼みたい。…下手をすれば死間だ。心して、勤めて欲しい」 最近では忍務の采配まで任される明晰たるは組の頭脳はそれだけを口早に告げると、唇を引き結んだ。 やれやれようやくか、と軽口を叩きながら、俺は拳二つ分体を後ろにずらして、頭を下げた。 「確かに、拝命致しました」 了 (黒木、摂津の) (2010/12/29) |