君のテンポが愛しい | ナノ



音村楽也がヘッドフォンを外す回数は一日に数える程しかない。
ひとつ、顔を洗う時。ひとつ、風呂に入る時。ひとつ、海で泳ぐ時。
つまりはなにかしら水と触れ合う時だ。この時ばかりはヘッドフォンが水に濡れでもしたら困るので、しぶしぶながら外す。(いつか防水仕様のヘッドフォンを手に入れるのが音村の夢だ。)それ以外ではたとえ授業中でもサッカーの試合でも絶対に外さない。
ヘッドフォンをしているからといって、会話の妨げになるわけではない。その人当たりの良い性格から、人望はあるしコミュニケーションも良好である。そんな音村のこだわりを咎める者は、おおらかな沖縄の地において誰一人としていないのだ。
しかし、音村にも自ら進んでヘッドフォンを外す時がある。
それは、綱海条介が傍に居るときだ。

「おとむらーぁ、今日もノってるかあ?」
「ああ。」

いつものように満面の笑顔で綱海が話しかけてくる。ヘッドフォンを静かに外す。アレグロ。その笑顔は見る者の気持ちを明るくさせ、溌剌とした声は耳触りが良い。リズムの調和を乱されるのは苦手とする音村だったが、綱海にだけはどれだけ近づかれても気にならない。
言葉を紡ぐ抑揚、動作、表情。
音村にとって、綱海の奏でるリズムはそのすべてが心地良いのだ。隣に腰掛けた綱海を柔和な笑顔で迎える。しかし、綱海は何かを考えている。カルマート。腕を組んで眉間に皺を寄せる姿さえも音村にとっては好ましい。あえてその静かなリズムに身を委ね、綱海が口を開くのを待つ。

「音村って俺が話しかけるといつもそれ外しちまうよな。…なんか邪魔してワリィな。」

ふてくされたような声音。だが、実際はバツが悪いのだ。視線を落として頬を掻いているのがその証拠だ。ベルデントシ。陽気なリズムは時に転調があってこそ、その明るさの魅力が際立つ。

「なんだ、そんなことか。いいのさ、俺は綱海のリズムが好きなんだ。」

眼鏡の奥の瞳が細められる。まるで愛しいものを見るように。綱海はしばらく瞬きをしていたが、柔らかく穏やかに笑って見つめれば、みるみる内にその頬は髪色に負けないほどの桃色に染まった。

「かあー!はっずかしい奴だなお前!」

プレスト・アニマート。あからさまに照れてしまったことがより恥ずかしさを煽るのだろう。照れ隠しに音村の背中をばしばしと叩くが、一度熱をもった頬は中々おさまらない。「あー、くそ!今こっち見んなよ!」と、そっぽを向いて視界にうつるのを拒むが、髪の間から覗く耳や項も頬と同様である。珍しく盛大に照れている綱海を見て、音村はまた、ふわりと笑った。
アマービレ。今日も綱海条介のリズムは心地良く響く。


カンタービレが聞こえる