※無理矢理抜歯される側視点※
悪魔のような男だった。いや、悪魔そのものか。
くだらない諍いで喧嘩して、殴られて、前歯がグラグラに抜けそうになった。
飯を食うにも事欠いて歯医者に行ったはいいものの。
学校と家との間にちょうどあり、ひっそりと佇むその歯医者。他に客はいないようだが外観も綺麗で真新しい感じがする。
中に入ると看護師はいないのか、白衣を着た男が一人、居心地の悪い笑顔を向けてくる。
金髪で着崩した俺を見る目は大概見下すか軽蔑するか、大人の余裕がありますよ、と偽善的に微笑むか。
そんなものばかりに慣れていたから、その医者の、まるで近所に住む知り合いのお兄さんみたいに親しみを覚える笑顔に俺は戸惑う。
居心地が悪い、そんな感覚が一番合っている気がする。
歯医者に来るのなんて初めてで、慣れない扱いにソワソワとした。柔らかい椅子はゆっくりと倒れて殆ど仰向けになる。
「ああ、これはもう抜いた方がいいですね」
と言われたのが一瞬理解出来なくて、何を?と考えている間に麻酔が打たれた。
麻酔なんてそんなすぐ使うものなのか?歯ってそんな簡単に抜くものなのか?
聞きたい事、言いたい事は山ほどあったが、薄い手袋をつけた指が舌を押さえつけ、口を開かせ、俺はされるがままになった。
止めろ、という言葉も上手く吐き出せず、ゴリッと骨に受けた衝撃に目を見開く。
「ああっあっあっ」
怖いなんて言いたくなかったが怖かった。何が起きているのか見えないし、麻酔のせいで感覚もボヤけている。
けれど、歯を抜かれているという事だけはわかっていて、頭と心がバラバラに混乱していた。
「はい、抜けたよ」
カラン、器具が置かれたスペースに俺の抜けたばかりの歯が転がる。血に塗れた白が目に入ってゾッとしたが、とりあえずは終わったのかと肩の力が抜けた。
頭を撫でてくる医師の子供扱いが少しうざったい。けれど安心感から退けずにはいた。それが間違いだった。
「あっ……?」
ギュッ、とベルトが頭に巻き付けられた。それから慣れた手つきで両手がそれぞれ肘置きに固定される。
ドッと汗が吹き出て、心臓が爆音で鳴る。
「なにっ……なんでっ抜いたのにっ」
「あと三本抜くからね」
困惑する俺に、にっこりと笑いかける。当たり前のように、今からする事がどんなに残虐非道かも忘れるような微笑み。
「やっ、あっあっあああああ」
叫ぶのは間違いだった。口が大きく開いてしまうから。
医者は俺の口に手を突っ込み、噛んでも閉じれないようにした。二本目の歯がゴリゴリと揺り動かされる。さっきよりも麻酔の効きが悪いのか、今度はとんでもない痛みが襲った。
「うん、叫んだ方が痛みは紛れるからね」
痛い、怖い、痛い、怖い、怖い。
「はい、抜けたよ。あと二本だからね」
「あああっあーっあーっ」
カランと抜いたばかりの歯が、一個めの歯の横に転がされる。間をおかずに次の歯が器具に挟まれて、神経を削るような痛みに脳が焼けこげる。
「偉いね、次で終わりだからね」
労いの言葉も、優しい微笑みも、容赦なく歯を引っこ抜く手と乖離しすぎて頭がおかしくなりそうだった。
どうしてこんな目にあってるのかわからない。なんでこんな事をされているのか。少しのためらいもなく、四本目の歯が。
目が覚めるとあの椅子の上に寝たままだった。口の中の違和感と痛みで吐きそうだった。
一瞬意識が飛んでいたのだろう。手に何かを持たされていて、確認すると血の気が引いた。
銀の皿に四つの歯。ポラロイドで撮られたような写真には、下半身を晒して気絶した俺が、今と同じように歯の載った皿を持って写っている。
ガシャン。
「うっおえええっぐっげほ、っう、うっ……」
思わず皿を床に落として、耐えきれず吐く。歯を抜いたところにあてがわれていたらしい布かなんかが一緒に吐き出された。血まみれになっていてますます気持ち悪い。
「ああ、目覚めた? ちょっと無理したから気分悪くなったかな。痛み止めと抗生物質、二日分出したから、それが無くなったらまた来てください」
えずく俺の手に、袋に入った薬と、さっきの写真を握らせる。
相変わらず居心地の悪い笑顔を向けてくるそいつを突き飛ばして、俺は歯医者から逃げ出した。
続く
戻る
戻る