『あんたなんか産まなきゃよかった』
 と言われた時、悲しいとは少しも思わなかった。
 それよりも、生まれた時から待ち焦がれた言葉をやっと与えられたような、そんな喜びさえ感じた。
 俺は、産まれなきゃよかったんだ。

〔首 A〕

 いつからそう思っていたのかはわからない。
 ふと気がつくと、いつもそう思っていた。
 どうして俺は生きているのか、何のために生きているのか、産まれてしまったのか。
 そんな俺にお母さんがくれた答えは、的確で、俺が待ち望んでいた、正解だった。
「あんたなんか産まなきゃよかった」
 そう言われた時、全身に電気が走ったようだった。どうしてこんな簡単なこともわからなかったのだろう。知ってしまえばなんて当然のこと。
 産まれてしまった事が間違いだったのだ。
 お母さん、貴女のたった一つの過ちを、俺は許します。
 お母さん、貴女が俺を産んだことは間違いだったのです。
 けれど、だからと言って、俺を許さなくていいです。
 俺は、俺の存在は、間違いなのですから。

 この世界での俺の居場所は極々一部に限られていた。
 学校の教室の小さな傷でまみれた机。
 均等に割られたゴミ溜めのロッカー。
 俺の存在を許さない下駄箱。
 それから、廊下に備え付けられたクローゼットの、俺の部屋。
 どこでどうしたら迷惑をかけずに死ぬ事が出来るか、この過ちを正す事が出来るか。
 俺は狭い小さな俺の部屋に入る。外側にしか無いクローゼットの取っ手に紐をかけ、内に回し、首をかけた。
 至極簡単で、確実な方法だった。
 遺書は書いた。誰も悪く無い。俺が間違っていただけだから、家族も、クラスメイトも、誰も裁かれる必要は無い。俺が間違っていただけだから。
『産まなきゃよかった』
 お母さんの言葉が頭に響く。
 お母さん、俺はようやく、ようやく正しい事が出来るんだ。

 意識が飛ぶ寸前でカタンと音がした。ガタガタと世界が揺れて、回って、俺は生きていた。
「大丈夫か」
 お母さん、貴女の完璧な長男は、今日、間違いを犯してしまった。
 俺を生かしてしまった。
 俺が生きていると、世界はまた間違いを犯す。

 病室で目覚めると、外は赤く黒く太陽が沈んでいた。
 静かな部屋に、シャリシャリと音がする。窓辺でお母さんが、リンゴを剥いていた。器用に、皮は繋がったままだった。
「どうしてあんなことするの」
 お母さんが言った。窓の外を向き、手元だけを見ている。
「あんなことして、あんな遺書まで書いて、あんたはどうして私を苦しめるの」
「ごめんなさい」
 お母さんがリンゴを剥く音が止まった。
「俺が産まれなきゃよかったんだ。でも産んだのはお母さんなんだ。お母さんが間違ってたんだよ」
 責めるつもりはなかった。けれど、俺一人ではどうしようもなかった。
 だから、正しい世界に戻すために、俺はお願いする。
「だからお母さん、俺(間違い)を殺して」

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