大学卒業し、2年間のニート生活を経て某配達業へと就職。体力勝負なところもあったが、「お兄さんいつも笑顔が素敵ね」なんてお客さんから褒められて元気になれるんだから、俺にはこの仕事が向いてるのかも知れない。
 そんなこんなで、この仕事に就いて初めての夏が来る。想像以上の酷暑っぷりに、体力はすり減る毎日だった。
 昼休み。屋上は喫煙スペースとなっていて、その端っこ日陰のところに奴はいた。
 制服の帽子を顔に被せ、壁を背もたれにすやすやと眠る。河渡(カワト)、彼とは同い年の、同じ高校の友人だった。けれど河渡は高卒でここに就職したから、立場上は先輩だった。
 気がつくと1人マイペースに行動していて、それでいて他の職員から構われる、まるで猫みたいな奴。
 河渡の隣に俺も座ると、ひんやりと心地よく、暑さで火照った身体が癒される。
「かわとー、もう休憩終わるぞー」
 あっという間に午後の仕事が始まる時間。河渡に声をかけてみるが、反応はない。
 河渡は先輩だ。他に人がいるときは先輩と呼んでいたが、仕事が終わったりまれに二人きりになるときは呼び捨てにしていた。河渡といると高校時代を思い出す。
 先のことなんてなにも考えなくても突き進めた、馬鹿で無謀で、無敵な日々。
 あれから少し大人になったけれど、あの頃から俺は、少し疲れただけだ。
「かわとー」
 起きない河渡の帽子を外す。ストレートの黒髪が揺れて、涼しげな表情で眠っている河渡の顔が露わになる。
 その頭が少し傾いて、それでも起きない。
「かわとー、起きないとちゅーするぞー」
 冗談のつもりで言ってみても、まだ起きない。
 冗談。そう、冗談のつもりだった。それなのに、河渡の唇に意識がいく。薄く、可愛げもない唇。微かに開いて酸素を取り込む。
 そこに吸い寄せられるように、俺は顔を近付けた。

……

「休憩終わるぞ」
 こんなの夏の暑さのせいだ。誤魔化すように帽子を乱暴に被せて立ち上がると、河渡はようやく目を覚ましたらしい。けれど俺は足早にその場を立ち去る。
 今、河渡の顔を見るなんてとても無理だ。唇に残った感触で、頭がいっぱいだから。


 その日の午後は散々だった。仕事に集中できないで、代金を間違えたり配達先を間違えたり、とにかく散々だった。
 ため息を吐きながら更衣室に入ると、先客がいたらしい。
「おつかれさまでーー……す」
 シャツを脱いで晒されている広背筋の逞しさに息を呑んだわけではない。たしかに、同じ男として憧れるところはあるけれど。
「おつかれ」
 こちらをちらりとも見ないで事務的に返される。河渡はいつも無愛想なやつだ。それでも嫌味も悪意もないから、気付けばみんな河渡に惹かれている。
 ロッカーが隣同士だから、俺は河渡の隣に立ってシャツを脱いだ。なんとなく気まずい。しかも忘れかけていた唇の感触を思い出す。見た目より柔らかくて、心なしか甘い、唇。
「ってばか……」
 ごん。ロッカーに頭を打ち付けて、不埒な妄想を無理矢理止めた。そんな奇行に、河渡は俺を変な奴と思ったかもしれない。それでもいい。河渡本人から白い目で見られれば頭は冷えていくに違いない。
「オレさ」
 言葉を発した河渡に、そちらを見るとぱっちりと目が合う。ほとんど変わらない身長の、ちょっとだけ背の高いのは河渡の方。
 口角を上げて微笑むなんてらしくない表情に見惚れていると、顔が近付く。
「眠り浅いんだよね」

……

「気をつけて帰れよ」
 着替えの終わった河渡はそう言って、俺の肩を叩いて出て行った。
 茫然として立ち尽くした俺は、河渡が完全に立ち去ってから我に帰る。
「……え、それ……え?!あ……んな、あっえ?えええっ」
 みるみる体温が上がっていく。それが夏の暑さのせいじゃないのはたしかだった。

終わり

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