その時を待っていた。

 あの日から翼斗(よくと)は休学し、一週間の後に退学手続きが取られた。本人は来ず、兄が全て手続きしたらしい。
 携帯に電話したが解約されたらしく、使われていない電話番号だという案内が流れた。
 なんの連絡も取れなかったが、不思議と落ち着いていた。
 淡々と過ぎていく日々を見送り、その時が来るのを待っていた。

「お前さ、金待ちの友達に逃げられたんだって?」
「え? それオレらが駆け落ちの邪魔したから?」
「うわかわいそー」
 あの日あの時と同じに、バイトの先輩が声をかけてくる。違うのは、少し欠けた月が雲で覆われてることくらいだ。
「なあ、それよりまたお前のケツ、使わせろよ」
 肩が掴まれ、振り向かせられる。俺は鞄から取り出したそれを徐(おもむろ)に刺した。
 サク。
 手応えは呆気ない。
「は?」
 引き抜き、また刺す。サク、サク。
「おっあ……」
「……は? 何やってんだよ」
 先輩が血を吐いて手が汚れた。よろめいて尻餅をつく先輩を追うと、彼の友人が俺を止めようとする。その手を払い退け、先輩に跨る。
 左手で先輩の顎を掴み、曝け出された首を掻き切った。
「うっうわ」
「うあああっ」
 血は噴き出して、駆け寄った友人らが頭から被る。一人はその場で崩れ落ちて吐き出した。もう一人は逃げていく。
 俺はまた先輩の身体を刺したが、手が滑って包丁の柄を掴めなくなったからそこでやめた。
 シャツで手と顔の血を拭い、近くに置いていたリュックから服を出して着替える。もうあとは要らないものだから、全て置いていった。

 駅から数分のところに翼斗の家がある。どうやって翼斗を拐おう?そう逡巡した時に、家の中からがしゃんと割れる音がした。
「翼斗?」
 玄関を開けようとしたけれど鍵が閉まっている。ガチャガチャ数回繰り返すと、中からかちゃんと鍵が開けられた。
「祈(いのり)……」
 涙を零す翼斗が、崩れるように俺に抱きつく。見ないうちに痩せてしまったようで、すごく軽かった。
「翼斗、遅くなったけど、駆け落ちしよう、二人で」
「うん」

 隣の駅から最終列車に乗った。
 他にも乗客はいたが、徐々に減っていく。
 車両の中には二人だけになった。どちらとも言わずに握った手と、肩と、触れるところが熱い。
 二人で、二人きりで、どこまでも行こう。
 この電車の終点は、海の見える街だ。

終わり

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