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 1番聞きたくて、1番聞きたくなかった声。古佐治が振り向くと、下戸三月が左手をあげて立っていた。
「っ……見せつけるねー、おい」
「えへへ、いいでしょう」
 薬指の銀に光る指輪を嬉しそうに指で撫でる三月に、心がジリジリ灼けつく。
 そうなる事がわかっててあえて言葉にする。柿狗との関係を口に出来るのは自分の前だけだろうから。三月が喜ぶ言葉を、口にせずにはいられない。
「羨ましいよ」
 腹の底では嫉妬が渦巻いているのに、無意識のうちに笑顔を貼り付けている。飼い慣らされた犬のようだ。それでも三月が見ているのは、猫のような彼の事だけ。
「今日はどうかしたのか?」
 三月の実家とも、柿狗の実家とも離れた駅で見かけた理由を聞く。聞いたところで、どうせ柿狗のためなことはわかっているのだけれど。
「柿狗くんと一緒に暮らすことになったから、ちょっと買い出し。なんか、こう言うのってわくわくするよね」
 照れ臭そうにはにかんで、心底嬉しそうな三月に、胸が締め付けられて苦しい。この胸の苦しみを何度も経験し過ぎて、むしろ心地よさすら感じた。
「へー、二人暮らしするんだ。いっそ俺も混ぜて三人……」
「古佐治には」
 いつもの冗談めいた言葉を三月が遮る。
「本当に感謝してる。ありがとう」
 なんだよ、それ。
 三月の言葉に、込み上げるのは怒りだった。頭がカッと熱くなって、口から吐きそうなどす黒いものを必死で堪える。
「それじゃあ、まだ買い物残ってるから」
「ああ、じゃあな」
 最後にもう一度左手を上げた三月の背中を見送ったあとも、しばらくその場から動けなかった。
 三月に怒りを覚えたわけではない。結局強引に奪うことすら出来ず、いい人でいたいがために大人しくしていた。そのくせ諦めることも出来ず、どす黒いものだけを溜め込んでいる。
 今にも爆発しそうなほどに。

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