01.止まった時計と古本屋
単刀直入に言うと、不死身の古本屋の少年たちの話。
この姿のままで成長しない、時間が止まっているふたりの話。
「クロ、昨日引き取った本いくらにする?」
朝。
歯を磨いているとひとりの少年が声をかけてきた。
そいつは見た目十代前半、長めの前髪にゴーグルを頭にひっかけ、さらに首から鈴をぶらさげている。
「ん、一冊100円」
「はいよー」
そいつは軽い返事をして値段シールをぺたぺた貼っていく、その度に鈴が小さくちりんと鳴った。
まるで砂糖菓子を粉々にしたような錆びた古い鈴の音色を聴きながら鏡に向き合う。
鏡には黒髪の少し眠そうな同じく十代前半の少年、すなわち見飽きた自分がうつっていた。
俺はクロであいつはシロ、一緒に古本屋を営んでいる仲間だ。
仲間といってもこの店のカウンターと奥の倉庫で暮らしているから、もはや家族というべきか。
俺たちがなぜ死なないのか、なぜ古本屋を営んでいるのかにはちゃんと理由があるが、まあ今はいいとして。
この、寂れた商店街『千年通り』で長いことのんびり古本屋をやっている。
「シロ、今何時?」
「んー、朝8時。ねえ、これ見てよ」
シロが口をゆすいだ俺に一冊の本を差し出した。
本のタイトルは「不思議の国のアリス」。
時計を持った兎と少女が手を繋いでいる可愛らしい表紙で、鮮やかな色彩が使われた大きめの絵本だ。
「絵本?」
「そう、兎をストーカーしたら穴に落ちてトランプに拉致される女の子の話なんだけどね」
「それがどうかしたのか?」
「凄いよね!」
シロが興奮した様子で大声をあげた。
「ちょ、うるさい。というか何が凄いの」
「穴だよ穴!女の子ひとり簡単に落ちる穴があったのに何で今まで誰も気が付かなかったんだろうね、兎をストーカーしてないただの通行人が穴に落ちてトランプに捕まっちゃったら大変なのに!冤罪なのに!」
ああもしかしたら、村人何人か消えてるのかもしれない可哀想!と、シロがぎゃあぎゃあ騒ぐ。
言い忘れてたけど、シロの『凄いこと』は大抵凄くない。
むしろどうでもいい。
そのあとしばらくはしゃいで絵本に向き直り、百面相をしていたシロはやがてがっくりと絵本を閉じた。
「何、がっかりしてるね」
「夢だった」
「は?」
「夢だったんだよ、トランプも兎も穴もぜーんぶこの女の子の夢だった!全く、庭で寝たりなんかするからこんな変な夢みるんだよ、ハラハラさせちゃってさあ!ああもう!」
シロが絵本を乱暴に叩く。
「売り物だぞー」
「知らないよこんな打楽器!オレはにんじんと漢数字と夢オチが大っ嫌いなんだよ!」
「知ってるけどさ、その本が好きな人だっているかもしれないし」
「好きじゃないから売られたんだってば!」
「まあそうなんだけどね」
穴ねえ、と俺は古本を店に並べながら考えてみた。
もし俺の中に穴が空いているとしたら何が落ちてくるんだろうか。
きっとそれは少女でも兎でもない甘ったるい永遠で、俺はそれをぼたりぼたりと底なしの沼のように受け入れているのだろう。
そして俺はそれを絶望として、支えとして息をする。
もしくは自分が穴に落ちたのではないか。
シロと共に永遠に続く穴へ。
「そろそろお店開けよっか?」
シロの声がする。
「そうだね」
たまに、不安になるときがある。
死なない世界。
進まない世界。
永遠って、いつ終わるんだ。
永遠の命だと自覚しているからこそ、それにすがっているからこそ俺は終わりがこんなにも怖い。
もし世界中の何もかもが、俺たちを置いて終わってしまったら──?
「シロ」
「ん?」
「俺たちって、いつ死ぬの」
俺の突然の問いに、シロはさあね?と首を傾げた。
「いつだっていいと思うよ、オレは」
「え」
「始まった以上終わっちゃうし、完成した以上壊れるし、歩いた以上立ち止まるし、生まれた以上死んじゃうよ」
「でも、俺たちは」
「そりゃ死なないよね、だけどそれは」
体だけの話だよ。
シロはすっと真顔になった。
「心は死んじゃうかもしれないんだ」
「心って」
「何も感じなくなるかもね、考えなくなるかもね、オレがこれを読んだって夢オチに怒らなくなるかもね」
シロが表紙の女の子をとん、と叩く。
「もしそうなる日が来ても、悲しいけど──いいと思うんだよね、オレは」
「なんで?」
「だってオレは、どうなったってどうせずっとクロとふたりぼっちだ」
ぼたり、ぼたり。
永遠は進んでいる。
「なんかクロにしては珍しく暗いね?」
「……別に」
「たまにはいーけどね、あは。暗いクロはクロじゃない、名前はクロだけど」
「駄洒落かよ」
「うるさいですよー。じゃあ、今日も開店しますか」
シロが背伸びをして呟く。
俺はそうだね、とまたどこまでも甘ったるい永遠を受け入れて笑い、店のシャッターを上げた。
この商店街も以前は活気溢れる街だった、と思い出すことが出来て良かった。
「開店ですよー!」
朝9時。
シロは上げたシャッターへジャンプしてハイタッチし、俺はさっきのことを心の中の重要企業秘密ボックスへ押し込んで思い出す時まで忘れたふりをする。
シロの鈴が砂糖菓子を溢した。
中学のころもさもさ書いていた漫画が出てきました。
その主人公のふたりです。
どうぞよろしくお願いします。