今日やるべきことは黄瀬くんに引越しが早まったことを言うことと、智香にいろいろいうことだ。
智香への用事は終わった。謝れば怒られた。惨めになるから、とかそういうのではなくて本当に仕方ないのだからと怒ったのだ。それからは、雑談をして引っ越すことを伝えた。彼女の反応は泣き出すという一番困る反応だったから焦ったのは記憶に新しい。
「……やあ、黄瀬くん」
「よく、変な噂されて会おうっていう気になるっスね」
「おやおや、笑うな。その手の噂は信じていないからな。そんなもの気にせずともいいだろ」
笑い飛ばして向かいの席に座っている黄瀬くんの瞳を見る。綺麗な、色だった。澄んでいて、何にも真剣な彼だからそう思えるのだろう。
「で、今回の先輩の話は?」
「とりあえず、引越しが早まったことを伝えようと思った」
「は!?え、嘘!」
「はは、嘘をついてどうする。嘘をつくならもっとマシな嘘をつくさ」
「……そんな、」
「それとね、言っていいのかな……黄瀬くんだから構わないか。笠松くんに告白のようなことをされたよ」
一気に用件を言ったからだろう。黄瀬くんの頭の中がこんがらがっているからか、唸っている。コメカミを唸りながらグリグリと押している姿は可愛らしい。
「先輩、俺から一言言わせて欲しいっス」
「はいはい、何だ?」
「引越しのことは笠松先輩に言ってくださいってことっス」
「……それとこれとでは話が」
「何が違うんスか。はぐらかしたままどこかへ行かれて笠松先輩の気持ちは?どうなるんスか!」
軽く机を叩いたからか、乗っていたグラスの中の氷が音を立てて崩れる。
ほとんど誰もいないカフェだが店員の目が気になった。何事かと見てくるご老人も向かい席に座っているのが見えた。
「黄瀬くん、落ち着け?な?」
「俺だったら……」
「え?今なんて」
「俺だったら、好きな人に黙ってどっか行かれるなんて絶対やだから。だから、言ってください」
ああ、何故こんなにも他人のことなのに真剣になれるんだろうか。私なら絶対なれない。でも黄瀬くんは真剣で真っ直ぐで……本当に、
「尊敬、するよ」
「へ?」
「君は、笠松くんのことそんなに好きじゃないんだろう?」
「んん、まぁああいう熱血漢でちょっと早く産まれたからって偉そうにしてる人は好きじゃないっス。けど、多分好きじゃないことはないっスよ」
今まで見てきた黄瀬くんの笑顔の中で一番心に残る笑顔だった。
でもその、好きか嫌いかと問われて好きの方に傾いている、苦手な人の中に分類される人間にどうしてこうも真剣になれるのか。
「俺は敷島先輩と笠松先輩の目が好き」
「目?」
「そうっス。綺麗で澄んでて、何事にも真っ直ぐで自分の信念を貫く目なんスよね」
「そう、なのか?」
「二人ともそうっスよ?とりあえず、そんな二人がくっついた瞬間をこの目で見たいんスよ」
「……そっか」
「そうっス」
ニコニコ笑っている彼は仕事が入っているからと言ってお金を置いて店を出ていった。たまたま仕事があるから部活を休んだ彼から時間を少し頂いたのだ。
「ん?」
お金の下に置いてある会計とは全く関係ないレシートを見る。
黄瀬くんの字だろうか、お店のアンケートシートの裏には【頑張れ!応援してるっスよ^^】と可愛らしい絵文字付きで書かれたものだった。それを大切に胸ポケットにしまって店を出る。
そして、学校に急いで戻るのだった。
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