どれほど寝たのだろうか。机に突っ伏して寝ている黄瀬くんはいつからいたのだろうか。いつから眠っていたのだろうか。保健室の先生はどこに行ったんだろうか。
「黄瀬くん……」
イケメンは寝ていてもイケメンである。静かに寝ている彼は少しだけ女の子に見えてしまったのは仕方が無いと思う。それだけ、綺麗な顔をしているのだから。
「んっ……」
「!……すまない、起こしたか?」
「せんぱっ!?生きてたんスね!」
「いや、勝手に殺さないでくれ」
「嘘っスよー」
机から顔をあげた彼は無邪気に笑って椅子に深く腰をかけなおす。隣にある椅子に私も腰掛けて、机に肘をついて黄瀬くんを見つめた。本当に改めて見ると女から見れば、まつげ長い鼻筋通ってる小顔イケメン目が大きい。さすがはモデル様。
「な、何スかー?照れるっス」
「はは、君でも照れるのか」
「当たり前じゃねぇっスか。俺も人間っスからね」
コロコロと表情が目の前で変わる。赤くなって、眉間にしわを寄せて、誇らしげな顔をして、笑って。彼に恋をする人達はこういう笑顔や仕草を見て好きになるのだろうか。胸が苦しく、なるのだろうか。
「黄瀬くん、は」
「ん?」
「恋、とか……するの、か?」
「へっ?」
「いや、あの、な、何でもない!」
「あー!いいじゃないっスか!もっと聞かせて欲しいっス!」
目を輝かせた彼は恋バナが大好きな周りの女子みたいで。純粋で綺麗だと思った。
「で?で?」
「は!?な、何がで、なんだ!」
「いや〜。先輩今恋、とか言ったじゃん。それっス」
急に羞恥が込み上げてきて、肘を机から離し、顔を黄瀬くんから思い切りそらした。きっと今、茹でダコのごとく顔が真っ赤だろう。
「いや、だから……というか、恋ってどんなもの、だ」
「恋っていうのはいろいろっス。俺だったら傍に居てくれるだけで心が暖かくなる。でも、他の男と話したりすると胸が苦しいって言うか痛いって言うか」
「へぇ……黄瀬くんも恋してるのか」
「そんなもん、します〜」
「今すっごく馬鹿にされた感あったぞ」
「馬鹿にしたもん」
「うわ、正直ものだな、君は」
しかし、傍に居てくれるだけで心が暖かい、か。それに、他の男と話したりすると胸が痛くて、苦しい?
「じゃあ、その痛くて苦しい気持ちをなくすにはどうしたらいいんだ?」
「それは……告白して付き合うとか、もしくはフラれてスッキリする……とかじゃねぇっスかねぇ」
「そっか……」
じゃあ、私はフラれたらいいのか。そうすれば、きっとこの胸の痛みも苦しみも、モヤモヤも消える。
でも、フラれたくない。そんな思いがあった。やはり好きだ。男女の仲がどんなものかは知らないが、やはりそこは一緒にいたい。傍に、いてほしい。
「黄瀬くん」
「はいー?」
「私ね、引っ越すんだ」
「……は?」
笑えていた、だろうか。あっけらかんと、他人事のように言えていただろうか。それよりも私は、黄瀬くんに何を言っているんだろう。関係もない、ただ知り合っただけの彼に、何を言っている。
「それ、本当っスか?」
「ああ。本当だよ」
泣きそうな顔をした彼は頭を抱えて唸り始めた。何事かと心配して覗き込めばため息を疲れて押し返された。いやまぁ、近かったかもしれないけれど。
「先輩って笠松先輩のこと、好き?」
「はぁあ!!!?」
「いや、好きなのかなぁ、と。で、どうなんスか?」
「いや、それ、は」
引いたであろう熱が再び顔に集まってくる。名前まで出されれば隠せなかった。その名前に胸が跳ね、また胸が痛んだ。
彼の顔を思い出す度に、浮かび上がる光景は智香と抱き合っているその姿。
「わからないんだ……だけど、多分そうだと思う」
「そうかそうかー」
「「え」」
「黄瀬、敷島。ここは恋愛相談所じゃないんだ。他を当たれ」
「ぎゃー!先生!」
「ほう、敷島。悲鳴を上げるとはいい度胸じゃないか」
ポイ、と首根っこを掴まれて保健室を追い出された。顔を見合わせて帰る準備をしようとすれば黄瀬くんから差し出された手には私の鞄が引っかかっていた。同じクラスの子に頼んで帰る準備を済ませてしまったらしい。男前である。
「倒れられたら何か後味悪いんで、家まで送ってくっス」
「いいのか?」
「ほら、行くっスよ〜!」
背中を押されて仕方無しに歩き出した。家に帰って、何か彼に出せるものはあったろうか。それより、犬とか大丈夫か?黄瀬くんは、平気そうだな。じゃれあってくれそうだし。
茶でも出そう。
さっきの話、続きを聞かれるだろうか。そんな小さな悩みが今は私の頭の中をぐるぐると回っていた。
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