届かない思いをねじ込んだの

あの日を境に女の子から話しかけられる率がグンと上がった。そしてあの日を境に苗字さんから話しかけられることはなくなったし、剰(アマツサエ)目を合わせられることなんてなくなった。それが何よりも悲しくて辛かった。誰でもいいなんて思えない。俺は苗字さんにこっちを見て欲しいのに。彼女はこっちを見ることも、気にかけることもなく、生活している。

「はあ……」
「どうしたんですか、及川部長」
「んー?何でもないよー?」
「ふふ、そんな顔じゃないですよー?」
「そうかな?」

どうして目の前にいる女の子が苗字さんに重なって見えるのだろうか。どうして彼女を求めてしまうのだろうか。

「及川部長、思い詰めないでくださいね?」
「え?」
「だって記憶、無くなっちゃってるんでしょう?それを気に病んだりしない方がいいですよ」

君に何がわかるの。

「そういうのって自然に治っていくものなんじゃないですかぁ?」
「そう、だね」

とっさに出そうになった言葉をぐっと抑えた。
そうだ、記憶を失ったこともないくせに何がわかるのだろうか。友人も誰が友人だったかさえもわからない。恋人も、言われるまで恋人がいるなんてわからなかった。大好きだったはずの人たちを忘れた気持ちをどう理解して、口にしているのだろうか。意味がわからない。軽々しくそういうことを言える女の子たちがよく分からない。

「あ、あの及川部長」
「ちょっとゴメンネ、用事思い出しちゃった」
「あ、そですか……こっちこそ引き止めちゃってごめんなさい!」
「ううん、またね」

苗字さんに会えないとすごく苦しい。かと言って俺は彼女のことを何も知らなくて、もしかしたら恋人じゃないかもしれない。いや、それはありえない仮定だけど。俺は彼女のことを何も知らなければ理解もしていない、覚えても、いない。傷つけて彼女を沢山泣かせたことだろう。俺の知らないところで彼女はきっと泣いている。
会社に戻った時もそうだった。笑っているその目元の化粧だけ少し濃い。何かをまるで隠しているかのように明るく塗られた人工的なもの。

「思い出さな……」
「まだ一週間……?」

岩ちゃんと苗字さんの声だった。何を話しているのかがわからない。かすかにしか聞こえないその言葉に耳を傾ける。


「徹がああなったのは私のせいだから」


何故かそこだけ鮮明に聞こえた。まるで周りの音がすべて遮断されて、苗字さんの声しかそこに存在しないかのような、そんな感覚に陥った。
どういう事なんだろうか。

「ここで話してても意味ねぇだろ。家帰ったら存分に愚痴れ。どうせ俺しかいねぇし」

扉を開けて入った瞬間、爆弾発言が耳に入る。家に帰ったらって彼女らは一緒に住んでいるのだろうか。こんなにもイラついたのは、不安になったのは初めてだ。

「ねぇ、岩ちゃん」
「……んだよ」
「2人ってさ、一緒に住んでるの?」
「それは」
「そうですよ」

岩ちゃんが何かいう前に苗字さんがそう言った。コーヒーカップをソーサーに戻して綺麗に笑う。相変わらず、綺麗な作り笑いだった。

「本当は及川さんと住んでいたんですが、何せ記憶を失ってらっしゃるものだから。同じ場所に住めないんです」
「そんなの、俺気にしないし」
「私が!……気にするんです」
「へ?」
「一緒に住んでいて辛くなるのは私です。だから、今ははじめに泊めて貰ってるんです」

どんどん語尾が強くなっていく苗字さん。

「だって同じ空間にいたら誰だって愛して欲しいと願うじゃないですか。記憶がなくても私のこと愛せますか?愛せないでしょう!知らない女で、ただの同じ会社にいる女としか見れないでしょう!」

確かに、そうだった。
ああ、俺が彼女に近づくと必ずと言っていいほど泣いてしまうんだね。今の俺には君の涙を拭う資格なんてないんだ。ごめんも何も言わずにその場から逃げるように背を向けた。きっと何かあの場で言葉を発したら彼女をもっと泣かせていただろうから。
 
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