ただいま

「岩ちゃん?俺!及川だけど!」
『及川……?どうした?』
「名前は、今そこ?」
『名前ってお前まさか!』
「それは後!名前は!?」
『今は家にいねぇよ』

はぁ!?なんて大きな声を上げたものだから通行人に変な目で見られてしまった。タクシーは途中で下車。道がこみすぎてて全くと言っていいほど進まなかったからだ。降りて今は走ってる。久しぶりにこんなに走ったな。

「どこ!?」
『あー』
「とお、……及川さん?」

たしかに小さな声だけれど、名前を呼ぶ声が聞こえた。俺の名前を呼ぼうとして萎んでいった声。ここ1週間そんな感じだったね、名前。
コンビニから出てきた彼女は目を見開いて買ったものが入っているであろうビニル袋を落とした。

「名前……」
「……え?今ちょ、いたい……」

ぶつかるような勢いで彼女を抱きしめる。少し抵抗するかのように身じろぎした彼女は俺の腹あたりをぐっと押した。腕も動かせぬように抱きしめたからだろう、押せる場所がそこしかないのだ。それがまた愛おしいと思えた。

「ごめんね、名前」
「本当に……徹?巫山戯てるとかじゃ、」
「ないよ。俺だよ」
「……本当の本当?偽物じゃない?夢じゃない?」

ボロボロ
その効果音が今の彼女にはすごく合うだろう。大粒の透明な涙をこぼしながら俺の名前を呼んで肩口に顔を埋める。

「どうやったら信じてくれる?」
「名前、もっと……」
「沢山名前のこと傷つけたごめん」
「ホント……」
「名前、誕生日祝えなくてごめん」
「ふ……っく、ぅあ……」
「いっぱい泣かせて、ごめんね」
「ぁ、う……ッひ、ぅ……」

−愛してる

そんなことを彼女にささやきながら長い髪の毛をなでる。岩ちゃんには連絡を入れて二人でタクシーに乗り込む。手を繋いだ。お互い何かを話すわけでもない。二人して窓の外を眺めているのに、手は繋がっていた。重ねた細い手を握りしめる。

「この家、久しぶりな気がする。3日くらいしか空けてないのにね」
「ごめんね」
「徹を責めてるわけじゃないよ」
「追い出したみたいでごめんねホント」
「ううん、私が嫌だっただけだから」
「その言い方、傷つくな」

はにかむようにして笑ってただいまという彼女の笑顔は本当の笑顔だと思う。あの動画や写真のような笑顔だった。ソファに彼女を座らせて台所に立つ。少しの蜂蜜と牛乳をマグカップにいれて電子レンジで温める。
いい匂い、と彼女が笑った。泣きはらした目は赤くなっている。瞼を親指でなぞるとこそばゆいのか顔を背けてしまった。

「本当に、徹だ……」
「何それ、まだ信じてなかったのー?」
「違うよ、なんか夢見たいで。これ、美味しい」
「そ?ありがと」

一息ついている彼女の隣はすごく落ち着いた。ここ3日ほどすごくこの無駄に広い家が寂しくて落ち着かなくて、物足りなくて。名前がそんなものをすべて埋めてくれた。たった1人隣にいるかいないかの違い。俺にとって名前の存在がそれだけ大きいということを実感した。

「ホントは」
「ん?」
「レストランで花束渡して、ロマンチックに行こうと思ってた。名前の誕生日に言いたかったんだけど……」

計画は沢山していた。それを実行しきれなかったのは自分のミスだ。仕方ないと言いきれない、ミス。

「名前、あんなにたくさん傷つけて泣かせたのにこんな事言うのもどうかと思うけどさ」

ポケットから取り出したものを彼女の指に通す。良かったピッタリだ。
少し間抜けな声を出して放心している名前を引き寄せて腕の中に閉じ込める。まだ間抜けな声を出している彼女の口を塞いだ。指を絡めてソファに押し倒す。自分の指に当たる冷たい金属。
ゆっくり唇を離して彼女の顔を伺う。

「はは、真っ赤だ」
「な、ん……」
「名前と喧嘩したあの日ね、これ買いに行ってた。隣にいた子は会社の子であのジュエリーショップの娘さん。世間話して仲良く話してただけだよ」
「それは、なんとなく……喧嘩したあとにわかってたの。ごめん、なさい。それから、これはその、どうしたら」
「俺と、結婚してくれる?っていうことですケド……ダメですか」
「……徹、あの日はごめんなさい。私の勝手な誤解とヤキモチで徹を傷つけた。大ッ嫌いって言ってしまってごめんね。私本当は徹のこと、大ッ好きなのに……バカみたい」

そういいながら彼女は指にはまったシルバーをなでて、俺の頬に手を這わす。

「結婚式は徹の誕生日がいいな」
「遠いなぁ」
「はじめの誕生日が一番近いね」
「何でそこで岩ちゃん出すの」
「近いから」

ケロリとそういった彼女は泣いていた。

「ごめ、嬉しくて……」
「そう言ってもらえて何よりだ」

優しくもう一度彼女と唇を重ねる。
首に回された手が合図で彼女を抱き抱えてもう一度、もう一度と重ねた。

「結婚式、たくさん人呼ぶ?」
「早いね、気が」
「だって楽しみでしょう」

そうだ、動画。結婚式で流してもらうことってできるのだろうか。

「名前、写真撮っていい?」
「ヤダ。今化粧取れて汚い」
「そんなことない。いつだって名前は綺麗だよ」
「……バカ」

おじいちゃんになってもきっとこの記憶を失った一週間を俺は、いや、俺達は絶対に忘れない。お互いがお互いの必要性をより理解した。どちらかが欠けてしまえば、どちらかが狂ってしまうそれほどの依存と愛。

翌日岩ちゃんからげんこつ食らった。迷惑かけやがってといいながらも嬉しそうなのはまんざらでもない気がする。親も親で心配したと泣いているし、名前の親御さんにも挨拶もしに行った。

「忘れてた」
「へぶっ!?待ってすごく幸せになって終わる感じだったよねぇ、今!」
「私の想いとか否定してくれたお返しよ」

岩ちゃんからはげんこつ。

名前からはビンタを軽くかまされた。
全く優しくない幼馴染を持ったものだ。
でもそれ以上に二人ともかけがえのない大切な人だ。

【おかえり】

改めて言われると涙が出そうになった。

「ただいま」




―end
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