このキスを覚えてる

もうなんでもいい、縋りたかった。

昔小さな頃に読んだ絵本に書いてあった話を思い出した。お姫様が記憶をなくしてしまって、それを王子様が取り戻すお話。キスをしたらお姫様の記憶を思い出す、王子様のこと以外を。それでもいいと彼はキスをしてお姫様はすべてを思い出す、王子様のことも。愛の力、という奴だ。なんとも幸せなお話だろう。

「はじめ、覚えてる?小さい頃に読んだ絵本」
「どれだ?」
「記憶を取り戻そうとする王子様と記憶を失ってしまったお姫様のお話」
「……ああ、あれか」
「うん」
「あれがどうした」
「キス、したら治るかな。徹は」
「さぁな」

それだけ言ってはじめは病室から出ていった。
昨日、松川と花巻と話をした。3人で慰めあって笑った。それから、他のチームメイトのことも覚えてないのだろうと松川は言った。もちろん、影山や牛島若利のことも。宿敵だったはずの人を忘れた気持ちはどんなものなのかさえも、徹は感じることが出来ない。

「辛いのはそれを理解したくてもできない、徹も辛いんだよね。私も、忘れたらどうしようって昨日考えたよ」

眠っていて、何も言わない徹に向かって話し続ける。

「ねぇ、徹ッ……戻ってきて……謝らせて……本当は、本当、は……大好きなの……」

卑怯だとわかってる。普段こっちからしないことをしてやった。

思い出して

そう願いながら。
唇に触れる熱は確かに目の前にあるのに、彼の心はここにはない。少なくとも私の知ってる彼の心はここに無い。

「こんなんで思い出してくれたらいいのに」

今日は、これでさようなら。
次会うのは会社で、かな。もう私がここに来ることはないから。これ以上、はじめの付き人なんてゴメンよ。
はじめにメールを入れて病室からでる。

「サヨナラ、徹」

彼の頬に伝った涙なんて、私は知らない。



夢を、見た。顔にモヤのかかった女の子にキスされる夢。なんて破廉恥な夢だ、なんて笑ってから自分の唇に触れる。確かに熱を感じた気がした。それから、頬を流れる涙は何なんだろうか。一体何を思い出したのだろうか。感じたのだろうか。夢なのか現実なのか、それさえも分からない。

「起きたのか」
「あれ、岩ちゃん……他に誰かいなかった?」
「……いや、誰もいなかったが」

誰かいたんだな、なんてすぐに分かった。いなかったなら間なんて無かっただろうから。
そう、なんて返して机においてある牛乳パンに、手を伸ばす。

「そうそう」
「んぁ?」
「明日退院だから。仕事行くし、教えてね岩ちゃん!」
「はぁ?誰がお前に仕事なんか教えるか。意地でも思い出せ営業部長」
「はぁ!?俺そんな凄かったの!?適当な社員だと思ってたんだけど!」
「お前がそこまで自分で上がってったんだろーが」

こりゃ、退院したくないな。ナースさんとか可愛いしね、ここ。
なんて、冗談を言ったらすごい形相で睨まれてしまった。こりゃ、酷い。そんなに起こる理由なんてある?普通ないよね。ちょっとしたジョークでしょ、全く。

「ジョークが通じない男は嫌われるよー岩ちゃん」
「お前のその一言一言で気づつく奴がいてもか」
「……それは、俺に彼女がいたってこと?」
「だったら」
「忘れちゃったものは、仕方ないよ」
「!!!!思い出そうともしねぇで、仕方ないとか言うんじゃねぇよ!お前の一言でアイツがどれだけ……ッ」

また泣いてる、俺。情けないね、何で泣くのさ。

「悪、い。言いすぎた」

首を振ることしか出来なかった。
多分俺にとっても、そして岩ちゃんにとっても
 
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -