1「あれ、」
凛は?そう聞けなくて、その言葉で止まった。
ああ、来ないのは私のせいか、そう気づいてしまったから。
フリーズしてしまった私の頭に手を置いたのはハル。違う、何でだろう。期待してしまった。凛じゃないかって。勝手に期待して、勝手に落ち込んでる。こんな状況にしたのは私なのに。
「……どうした」
「ん、いや。何でもないよ」
「あ、凛。珍しいね、遅かったじゃん」
真琴の声が耳に入って振り向くといつもの凛がいた。おはよう、そう口にしようと思ったら素通りされて、ハルの方へと歩いて行ってしまった。
ああ、当然の報いなんだ。
もう、あの頃みたいに笑えない。戻れやしない。私は自分で作った道を自分でぶち壊してしまった。
「っ……」
「ナツ?何か、凛とあったの?」
「……ううん、ないよ。平気」
「え?あ、そう?ならいいけど……」
平気、その言葉はきっと自分自身に言い聞かせた言葉。じゃなきゃ、目の淵に溜まった涙がこぼれ落ちそうだったから。
プールに飛び込んで沈んでいく。鼻をつまんでタイルに横たわる。
気持ちいい。天井に付いている照明の光が程よく水を照らす。ゴーグル越しにに見えるその世界はあまりにも綺麗で、感動してようやく涙がこぼれた。
視界がぼやける。ボヤけてボヤけて、ゴーグルの意味がなくなって外した。
手を伸ばせば届きそうな水面。でも届かなくて、もどかしくて、藻掻くにも藻掻けなくて、手を降ろそうとしたらその手を捕まえる一本の腕。
「っ……」
「何、してるんだよ」
「凛……何で」
「上がってこなかったから心配したんだろうが、阿呆」
「……有り難う」
「着替えて来い。待ってる」
それだけ言うとプールから上がり更衣室の方へ消えていく凛。有無を言わせないその言葉に頷く暇もなく、着替えるしかないのだろう。
プールサイドに上がるとハルが肩を掴んできた。
「ハル?」
「何があった」
「……何も」
「嘘つくなッ」
「!……本当に、何でもないよ」
私は上手く笑えただろうか。
「っ……」
ハルの手が離れて私は更衣室に入った。
使ってまだ半年も経っていないそこは、えらく懐かしく感じた。プールに入った時もそう。プールサイドの感触、水の冷たさ。たった一週間ちょいで懐かしく感じた。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐
「……お待たせ」
「おう」
前を歩く凛の背中を見る。大きくて、でも細身の背中。ずっと、見てきた背中。一年前から、見てきて変わらない。
そっか、一年前から一緒にいるんだ、私達。
「お前さ」
ちょうど誰もいない、木の下の木陰にあるベンチ。そこに腰掛けた凛を見て私も向かい側に座る。
「……うん」
「なんで泣いてんの」
「っ……そ、それは」
そうだ、確かにそうなんだよ。私が泣いたらおかしいんだ。だって、凛が離れていったのは私のせい。私が彼の好意を蹴ってしまったから。私がここにいて、泣いてしまいそうになるのも泣いてしまうのも可笑しい。
「良いけどな」
「……ううん、良くない。私が泣くのはおかしいよ」
「いや、俺も悪かったな」
いつもより、弱々しいけれど、それでもいつも私に向けてくれていた笑顔。さっきのとは違う。私の大好きな笑顔。
「なぁ、勝手に…………好きでいてもいいか?」
「……それは、ダメっていってもいいもの?」
だって、いいよと許してしまえば凛は新しい恋ができない。私に綺麗な思いを抱いたままになってしまう。
それだけは絶対にいけないから。
「……でも、吹っ切れが付くまでね。さっさと新しい恋して。私が言っていいのか分かんないけれど、凛が大好きだから」
「ッ……お前はまた……馬鹿野郎」
「イタッ」
デコピンが容赦無く飛んでくるあたり、もう大丈夫なのだろうか。平気なのだかろうか。
「凛……今までごめんなさい。謝らせて欲しいの」
「いや、んなのいいって……頭上げろ」
「私は凛が大好きだよ。それに、ひどいこと沢山言ってごめんなさい」
「……おう」
「今までありがとう。これから宜しくお願いします」
「こっちも……悪かった」
結局二人とも、笑うのだ。笑えてよかった。本当に良かった。だって、もう一生笑えないのかと思った。
だから、それが嬉しくて、幸せで。いつもの日常に徐々に戻ってきていることに頬がいつも以上に緩んだ。
****
―私が言っていいのか分かんないけれど、凛が大好きだから
そう聞いた瞬間、ああ、あいつは松岡が好きなんだって納得した。確かに自分よりも数倍優しくて気が利く。そんな男に勝てるなんて一度も彼自身思っていなかった。しかし、いけそうではないか、そう思った時だってあった。
「あー、くそっ」
むしゃくしゃした思いを抱えながら、その場をすぐに立ち去った。
胸の中がモヤモヤして気持ちが悪い。胸焼けをきつくした様な気持ち悪さに噎せたのだった。
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