ゲーマー番外編 | ナノ
▼ 名前
休日、二人とも珍しく休みが重なるという奇跡が起きた為に、家の中でくつろいでいる時だった。
たまたま攻略に火を燃やしている乙女ゲームの中でヒロインが相手キャラの呼び方を変えるというシーンがあっただけだ。それだけなんだが……それをやりたくなるのは仕方のないことだと思う。

「笠松くん」
「んー?」
「ゆ、幸くんと名前を改めても……わ、わぁぁあ!?珈琲珈琲!零してるぞ!」
「ん?あ、ああ……」

相変わらず付き合っても呼び方は『笠松くん』と『敷島』である。それは習慣化されたものでなかなか変えられなかったというのと、ただの気恥ずかしさから来ている。

「何やっているんだ、怪我は?火傷は?」
「ねぇよ。でも、手洗ってくるわ」
「ああ。拭いておくよ」

微かに見えた顔はやはり少しだけ赤く染まっていた。しっかりものの彼が珈琲を零すことなんて滅多にないものだから、恥ずかしさできっと零したのだろうと踏んでいたのだがビンゴだ。言った私も私で恥ずかしいのだが。

「うわ、床もか。スリッパを履いていてよかったな……まったく」
「悪い、平気か?」
「机の上と床と。畳じゃなくてよかったよ」
「うお、びしょ濡れだな。タオル取ってくるわ」
「私が」
「……杏奈じゃなくて、零したのは俺だから。お前はゲームやっとけ」

私も不意打ちだったが、不意打ちはもう辞めようと思った今日この頃。笠松くん、いや、幸くんが名前を呼んでくれるなんて思っても見なかったことなのだからきっと顔は真っ赤だ。
ソファの上に置きっぱなしのPSPを手に取り操作をはじめるが恥ずかしくてそれを机の上に置いた。

「馬鹿……」
「誰がだよ」
「君がだ」
「クッションで顔見えねぇんだけど」
「ほ、放っておいてくれ!」
「杏奈」
「ひゃい!?」

足をぐいと引かれ肘置きに頭をぶつける。ソファに寝転ぶ体制になり、ようやく恥ずかしさから顔に当てていたクッションをそろりとしたにずり下ろせば腹部に感じていた重みの正体がわかった。

「か、笠松くん……」
「聞こえねぇなぁ?」
「か、笠ま」
「何つったー?聞こえねー。あ、あ、あ、あ、あ、あ〜」
「……幸、くん」
「ちっせぇ」
「ゆ、幸くん!」
「何だよ」

クッションを完全に退け、そう叫べば楽しそうに目の前で笑っている彼の顔が見えた。それを見るのが恥ずかしくて、腕で顔を隠す。が、そんなもの幸くん、には障害にもならずひょいと退けられてしまった。

「顔真っ赤だぞ?熱か?」
「ち、ちちち近い!」
「んだよ、照れてんのか?」
「悪いか!君だってさっき照れてたろ!」
「照れてたんじゃねぇよ。嬉しかったんだ」

いつの間にか素直になってしまった彼は可愛さの欠片もなくて。もう男の人である。私以外の女性はまだ少し苦手のようだが。とりあえず、女性が得意になる様子はあまりないからいい。いや、まだシャイでウブなのはウブなんだが。

「今も少し顔が赤いぞ?」
「んなもん、ずっとお前敷島って呼んでたんだ。いきなり杏奈って呼ぶのに抵抗があるんだよ。少しは恥ずかしいっつの」
「そうか。私はもっと恥ずかしいんだが」
「何でだよ」
「馬乗りにされていい笑顔で名前を呼ばれるなんて、好きな人にそんなことされてしまえば恥ずかしくて堪らないに決まってるだろう」

高校の時に一度だけ幸男くんと呼んだがすぐに違和感を感じて次の日には辞めていたし、あちらは出会ってこの方ずっと苗字呼び。
いきなり変わる呼び方に、ついていけなくなったのは年だろうか。そんなことをつぶやけば幸くんが上から覆いかぶさってきた。

「重い重い重い!」
「まだまだ若ェよばーか」
「そうか?もう色んな変化についていけないんだが」
「俺らは青春してんだよ。変化についてけねぇのは仕方ないってことにしとけ」
「何だそれ、変なの」
「杏奈、名前呼んでくれねぇか?」

空いている窓から風が吹き、カーテンがけたたましく音を立てる。

「ゆ」

幸くん、そう紡ぐはずだった唇は音もなく彼の唇へと吸い込まれていった。視界いっぱいに広がる彼の顔は心臓に悪い。イタズラっ子のように笑った幸くんの顔は、どんどん私の記憶の中にインプットされていくのだろう。
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