「ごめんなさいね、いきなり来てしまって」
「いえ、お気になさらず……」
お気になさらず、でいいんだろうか。私はこの家に住んでいるのは住んでいるが、こんなことを言えるような立場ではない。
「改めまして、十条稀です」
「……初めまして。佐倉頼です」
「佐倉さんね、征十郎は仕事かしら?」
「はい。今日は会社の方だと」
「そうなの。帰ってくるまで待っていても構わないかしら?」
「あ、はい……」
赤司くんに電話をしたほうがいいのだろうか。よくわからない。
それよりも、なんで来たの?よくわからない。この美人の人は誰?
頭の中ぐちゃぐちゃだ。
「佐倉さん、お話しましょう」
「あ、でも……やらないといけないことがあって」
「あら、じゃあ私が一方的に話してもいいかしら?」
「聞くだけで構わないのなら」
「それで構わないわよ」
ずいぶん気さくな方だと思った。けれどそれは私の見当違い。
話す内容は赤司くんのことばかりで、子供の頃から一緒にいた、だとか今までこんなふうに彼はしてきたのよ、なんて。明らかに牽制しているのが目に見える。私は彼女にとったら邪魔なのかもしれない。彼女がしたいことがよくわからない。
「そうなんですか?」
「そうなのよ。それでね、征十郎ったら」
でもこれはきっと、無意識だ。十条さんは多分赤司くんが大好きで大切でそれを私に話しているだけ。そう思わないと、私がどんどん汚くなっちゃう。赤司くんが幸せになるならそれは私の幸せだと考える。そう決心した。
……決心?
そう思わないとやっていけないから、そんな考えだったのだろうか。幸せだと、思えないのだろうか。
思えるはずがないんだ。私は赤司くんにたくさん救ってもらってたくさん幸せをもらった。それをもっとくれればいいのになんて考えてしまう自分がいる。もっともっと赤司くんのそばにいたいって思う浅ましい自分が。
「佐倉さん?大丈夫?顔色が悪いけれど……」
「あ、平気です。すみません、紅茶のおかわりどうですか?クッキーもありますが」
「じゃあ、いただこうかしら。クッキーもいただくわ」
「はい」
この場に似合わない、クラシック曲。彼女を振り返れば失礼、そう断りを入れて携帯片手にリビングから出ていく。
何か声がしたがとりあえず紅茶を入れてクッキーを出す。けれど、その行為は無意味に終わってしまった。
「準備してくださったのに申し訳ないわ」
「え?」
「急用ができて帰らなくてはならなくなったの。ごめんなさい」
「お気になさらず!平気ですので、」
「本当にごめんなさいね」
征十郎によろしく、そういって帰ってった彼女はまるで嵐のよう。しばらく何も言えず彼女に出すはずだったクッキーを一つ手に取り口に運ぶ。甘いはずのそれが、なんの味もしないものに感じた。ただ、怖くて不安で、私は何に不安になっている不のかさえわからないほど、頭の中は整理しようのないくらいぐちゃぐちゃだった。
「……紅茶、片付けなきゃ」
結局動き出せたのはそれから、数分後で。忘れなきゃ。赤司くんの領域に踏み込んではならない。赤司くんが誰と恋しようが“妹分”の私には関係ない。そう、妹だから。
「っ……あー、ダメだなぁ」
この居場所を、暖かい場所を失うのが怖い。
「ただいま」
「……あ、おかえりなさい!」
「……ああ、ただいま」
この笑顔を見れなくなるのが、頭の上に優しく乗るこの大きな手が、赤司くんが目の前から消えてしまう、それが私には怖くて仕方が無いんだ。
「……今日は病院に行ってから外食にしようか」
「あっ、ご飯の準備してない……すみません」
「構わないさ。行こうか」
「あ、自分でっ」
「いいから、押させてくれ」
「…………うん」
言わなきゃ、十条さんって女性が来てましたよって。それだけ伝えれば済む。
でも口が開かない。
たった、たったこれだけを伝えるだけで私は何に戸惑ってるの……!
「頼、どうかした?」
「ううん、何でも。……名前」
「嫌、か?」
「違うの、その」
―十条さんに悪いなぁって
「どうかした?」
「ただ、恥ずかしいなぁって思っただけ」
「じゃあ、頼」
「だから、恥ずかしいってば」
「頼」
「征十郎って呼びますよ!」
「いいよ」
「へ?」
「好きに呼んでくれて構わない」
ああ、もう。嫌になるな、本当に。
「征くん」
「ははっ、たしかに気恥しいな」
「でしょう?だから、」
「でも、それもいいな」
なんであなたは引き返せなくなるようなことを簡単にしてしまうんですか?どうしてもっともっとって求めてしまうようなことをするんですか?やめてください。
ああ、もうきっと後戻りなんてできない。惚れ込んでしまったのは私だ。
I had fell in love with you.
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